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トマト、チーズ、肉、アンチョビーなどをパン粉にまぜ、香料で香りをつけて焼いた、平たい大型のタルト


常盤新平『遠いアメリカ』(講談社、1987年1月30日2刷、装幀=北村治)

遠いアメリカ』は古書店と喫茶店がふんだんに登場する小生がもっとも好きなタイプの自伝的小説。久しぶりに読み直した。やっぱり面白い。

主人公は大学を出ても定職に就かず英文学の翻訳家を目指している重吉。恋人ができ、先輩の好意もあって、小説の翻訳がようやく出版社に認められ、最後はそこに就職が決まって彼女と結婚できる……とこう書いてしまうと身も蓋も味もそっけもないが、これがなかなか苦難の道なのである。その叙述にあからさまな自虐的なぶざまさがかえってスマートに見えたりするところが常盤新平ならではの芸(あるいは人柄)なのかもしれない。

喫茶店
エリーゼ 7, 9
コロンバン 26, 27
ユタ 38, 163, 164, 206, 213, 214. 219, 222
レンガ 40
トップ 52, 89, 107, 111, 224
カスミ 106
アンヂェラス 134. 147
大都会 155

書店・古書店
誠志堂 44
高田馬場の古本屋 17, 18, 187, 196
イエナ書店 28, 30, 116, 218
三原橋の書店 31
百軒店の古本屋 碇さん 43, 79, 105, 147, 204, 218
丸善 103, 104

現在では嘘としか思えない翻訳家ならではのカルチャーギャップも見受けられる。1950年代だから、英訳すると言っても、現実のアメリカについてまだまだ知識が乏しかった。(引用文中の一行アキは原文では改行です)

 翻訳しているわけでもないのに、大きな英和辞典を引くなどめったにないことだ。四ヵ月前に翻訳した短編のなかに出てくる "pizza" がまだ気になっている。折にふれて「ピッツァ」という単語が頭に浮かぶのは、その実体を知らないからだろう。
 
 大辞典の一三三二頁左段のまんなかに、英語以外の単語であることを示すイタリック字体でそのピッツァが出ている。「一種の大きなパイ(トマト、チーズ、肉、アンチョビーなどをパン粉にまぜ、香料で香りをつけて焼いた、平たい大型のタルト)」とある。

 椙枝に訊いてみたが、彼女にもわからない。イタリア料理であることは間違いなさそうだけれど、と言っただけである。

 小説では、ニューヨークに住む貧しい若夫婦が二週間に一度、下町へピッツァを食べに行く。二人きりで赤ん坊は安アパートの小児用寝台に寝かせて、外出し、安くて美味いピッツァを食べ、葡萄酒を飲む。会社の発送係をしている夫は葡萄酒に酔い、幸運にも宝くじが当って懐もあたたかかったから、細君を誘って映画を観る。

 翻訳しながらつつましく暮す彼らの生活に共感するところがある。もしかしたら僕たちも彼らに似た生活を送ることになるのではないかという気もする。もっとも、それはたんなる空想であるが。

 ピッツァだって、と辞書を見ている重吉は思う。辞書に載っているのだし、アメリカにちゃんとあるのだから、いつかは食べられるかもしれない。コカコーラだって四、五年前から飲んでいる。スピレインの小説に出てきたクリーネックスもやがて輸入されるだろう。

P174-175

う〜む、恐ろしい時代があったものだ。英和大辞典の説明も間違っているし。

ただ、小生も中学時代(1960年代末頃)初めてコカコーラを飲んだときには「なんて薬くさいんだ!」とビックリして吐き出した。その頃からピンキーとキラーズのコーラCMがテレビでバンバン流れはじめてようやく全国津々浦々に知れ渡ったんじゃないかと思う。

ピッツァとなるともっと後だろう。個人的には1976年にイタリアで初めて本物のピッツアを食べて、日本のあのべたっとしたピザがピッツァとは全くの別物であることを知った。その本場のピッツァが日本で手軽に食べられるようになったのは21世紀に入ってからではないだろうか。今では全国いたるところにナポリピッツァの店ができており、まさに隔世の感がある。

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