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編集者・川島栄作さんのはなし(後編)――わたしの瞑想体験記その2

ほぼ毎朝、瞑想している五十嵐と申します。瞑想(マインドフルネス)の書籍を作る出版社サンガにおりましたが、2021年に事業停止し、現在は新しい職場でオールドルーキーのライターとして働いています。ライフワークに据える瞑想について、いろんな人のお話をお伺いしてブログで公開していこうと思います。

第1回に引続き、元同僚へのインタビュー。サンガ時代に「テーラワーダやマインドフルネス、チベット、禅」と多様なジャンルに精通し、多くの瞑想本を手がけてきた編集者・川島栄作さん(株式会社サンガ新社 取締役)に、ご自身の瞑想遍歴についてお伺いしました。写真は2011年11月、台湾の書店を巡る川島栄作(右)、島影透(中央)、五十嵐(左)。
現在、川島さんはクラウドファンディングを実施中です。 前編はコチラ

仏教との機縁とサンガとの縁

ーー仏教に興味をもったのはいつですか?

梅原猛の本に出合って、引き込まれていくうちに、友達を介してテーラワーダ仏教を知って、実はそれは東南アジアをぶらぶらしているときに気になっていた小坊主の読経しているお経だったと。

ーー具体的には何歳ぐらいの頃ですか?

30歳を過ぎていろいろやりだすんですけど、30代半ばのときに友達に誘われて、東南アジアに旅行するんです。いわゆるバックパッカーで、さしたる計画を立てずにインドシナ半島に行ったんですね。当初1週間の予定だったのが、けっきょく3カ月くらい居ました。最初タイのバンコクから入って、カンボジア、ベトナム、ラオスと回って、タイに戻ったのですが、当時はテーラワーダ仏教の「テ」の字も知らなかった。今思うとかなりもったいないのですけど。漠然と日本の仏教とは、だいぶ様子が違うなとは思っていたとは思うのですけど、どこからどう理解していけばよいかもわからなかったので、もうただ旅先の風景のひとつにすぎなかったという感じですよね。

その中で、ラオスの農村で夕方にお坊さんの格好した子供が、小屋の中で声をあげて何か唱和しているんですよ。いったい何をやっているのかわからないんだけど、それがとても印象的で。今思えば沙弥がお寺で夕方のお勤めでパーリ経典を読経しているわけですけど、何の知識もないのでただただ心に残る印象的な光景だったんですね。

そして、日本に帰ってから、仕事したり舞踏したりの生活だったのですが、ある時高円寺で舞踏の稽古の帰りに古本屋さんに立ち寄って、ふと梅原猛さんと増谷文雄さんの共著の『知恵と慈悲』が目に留まって、「これが人生を変える1冊の出会いだったりして」と思いながら手に取ったら、本当に人生を変える1冊になった(笑)。それと梅原さんの本で『最澄と空海』という文庫を京都国立博物館での天台宗展のときに出会って、梅原さんのその2冊が入り口になって、手当たり次第に仏教書を読んでいきました。

サンガへ入社

ーーそもそもサンガ入社のキッカケは何だったのですか?

舞踏やりながら、いろいろ考えることがあって、2006年に親父の仕事の畳屋をやりだしたんですよね。引退して廃業するっていうんで、止めないで俺にやらせてくれって言って。畳職人になったのだけど、時間があれば仏教の本を読んでいて、そのうち畳作るより仏教の本を読む時間のほうが多くなってきて。そして、あの仕事は車に乗っている時間が長いのだけど、運転中は本が読めないので般若心経や修験の真言を絶叫しているわけです。長老の本もほぼ全部読んでいたと思う。そうこうするうちに畳屋も潮時かもと思って、僕にスマナサーラ長老を教えてくれた友人にサンガの仕事を紹介してくれないかと頼んだんですね。彼は編集者で、初期のサンガの長老の本の何冊かは彼が作っていたんですよ。その時は舞踏をやめるつもりはなかったので、サンガに校正の仕事を紹介してもらったのだけど、面接で島影さんに会ったら「編集者を探しているのでサンガに入らないか」という話になっていて。唐突に言われて、どうしようかと思って。その時、「高校中退ですけどいいんですか?」と言ったらちょっと引いてたと思う(笑)。僕は高校中退して大学に落ちたっきり社会に出てしまったので、最終学歴は中卒なんですね。島影さんは言ってしまった手前引っ込みがつかなかったんじゃないかと僕は思っているんだけど、結局サンガに入ることになったわけです。その時、舞踏の師匠の舞台の裏方をしていたので、それが終わるのを待ってもらって入社日は4月8日のブッダの誕生日にしてもらいました。

ーーサンガ時代に川島さんの作る本には『禅マインド・ビギナーズマインド』『呼吸の本』『実践!マインドフルネス』など数万部を超えるヒット作もありました。マニアックになり売れなかった本との違いについて、どう自分で分析しますか?

川島さんの編集作品『禅マインド・ビギナーズマインド』

入社当初はデビット・ミチーや正木晃さんなどチベット仏教系の本を作ることが多かった。スマナサーラ長老の本も編集させてもらっていましたけど、長老以外の本を作ることが多かったですね。

例えば『禅マインド・ビギナーズマインド』は1960年代に活躍した米国で活躍した鈴木俊隆師の著作でスティーブ・ジョブズの愛読書だった。なぜヒットしたかと言えばそれに尽きるかと思います。ただ自分としては、セカンド・サマー・オブ・ラブと後で言われるようになる80年代から90年代にかけてあった、世界的なカウンターカルチャーの再来の流れの中にいた時期があるので、本と自分の波長があったのかもしないです。これはビートニクの文脈で打ち出すしかないと思って、最初の単行本では佐野元春さんに推薦をもらったんですよね。ビート系やサイケデリックな方向の人に刺さったらいいなと思って。その後ジョブズの自伝が刊行されて、愛読書だとわかったので、帯を巻き替えた入りしてヒットしていったということですね。

『呼吸の本』は、実は1人の友達に届くように、抽象的な意味での届くだけど、そういうモチベーションで編集しました。準備段階で加藤俊朗さんと打ち合わせをするごとに、彼にこれを届けたいという思いが強くなって、細部までそこに焦点が当たっているんです。刊行した後、その彼に送ったんだけど、特にこれといった感想がなくてねぇ。残念だったのだけど、結果的に売れたのでよかったです。

グナラタナ長老の『マインドフルネス』も、最初に原著を読んで感動して、やはりまた別の友達に届けたくて編集したんだけど、その彼からの反応もまた大したことなくて。でも結果的に売れたので良かった。そういうパターンが多いですね。

熊野宏昭先生の『実践!マインドフルネス』は、元になっている講座を聴講している最中に、書籍化したら売れるという確信が芽生えて、講演が終わった瞬間に書籍化の提案をしていたんですよね。

マニアックで売れなかった本との違いというのはよくわからないですけど、ヒットした本は作っているときに、売れるかどうかはともかく、何かしら確信があって作っているというのはあるかもしれないですね。でも売れなかった本でもそういうのはあるから、タイミングの問題は大きいのかなとは思いますね。タイミングが合えば営業も力が入るでしょうし。

ーータイミングはたしかにありますよね。それも縁でしょうかね。瞑想は仕事にどんな影響を与えていますか?

瞑想で培われた感受性は仕事に生かされますね。特に身体的な感受性は、人と話したり原稿を読むときも、客観的な反応として出てくるので、参考になります。言葉にするのは難しいし、誤解も生みやすいのでうまく言えないのだけど、自分の心身に起こる反応とか現象を客観的に受け取って、考えたり判断したりするときの材料にしています。すみません、多分もっと一般的な言葉があると思うのだけど、語彙を知らなくて。

ーー瞑想関連でおすすめの本は?

イチオシは『マインドフルネス』(著:グナラタナ 旧サンガ発行)でしょうか。ヴィパッサナー瞑想の基本が抑えられています。それと、1つの型に縛られる必要はなく、瞑想には色々な方法があってよいということに気づかせてくれますね。アメリカの一般人に向けて書かれているので、偏りがないですね。同じ著者の『8(エイト)マインドフル・ステップス』もお勧めです。日々の生活から究極の目指すための本で、社会生活をしながら解脱を目指そうという人にはいいのではないでしょうか。

ーー最近はどんなスタイルで瞑想を。

今は時間を見つけて、出来るだけ1時間は座るようにしています。瞑想スタイルで言うと、最初、我流だったのが、色々知識もついて合宿にも参加したりして、それなりに体系化されてきたとは思うのですが、でも基本は我流ですね。それと大事なことは、瞑想を通じて色々と経験をしてもいるのですが、トラブルもあって、実は今は集中瞑想がしにくいんですね。昔は得意だったのだけど、今は昔のようにはできなくなっていて。だから、変な話ですけど、信頼できると思える瞑想指導者に出会ったら、指導に従っていくのは定石だと思います。「違うな」と思ったら離れればよいと思いますし。

クラウドファンディングで本を作る

ーー現在、クラウドファンディングを実施している熊野先生やマインドフルネスについては?

マインドフルネスって人により定義が様々だったり、仏教や医療など扱われる分野によって意味合いも違っていると思います。サティ、念の英訳という核から広がりが生まれて、応用されている。ジョアン・ハリファックス老師にインタビューした時に、あの方はトランスパーソナル心理学の誕生にかかわっている人だから、トラパとマインドフルネスの違いの話をしたところ、昔はトラパの文脈で語られていたことが今はマインドフルネスの文脈で語られている、というようなお話をされていて、本当そうなんだろうなと思います。「マインドフルネス」という名前で何か特別なことを言おうとしているのでは、実はないんですよね。通時代的な事を今はマインドフルネスという呼び方で言っているのだろうと思います。

もう少し狭く言えば、ヴィパッサナーやサマタ、八正道的な生き方をうまい具合に合わせたものをマインドフルネスって言っていいんじゃないかなとは、個人的には思っています。

熊野宏昭先生の『瞑想と意識の探求:一人ひとりの日本的マインドフルネスに向けて』は、熊野先生ご自身がやはり一人の修行者なんですよね。医師である前に一人の瞑想修行者、実践者として経験し、疑問に思ったことを率直に言葉にし、先達や研究者に投げかけていく、まさにタイトル通り、探求の旅の記録です。熊野先生が突き当たった問題意識は、瞑想実践者なら、なるほどそれかとわかるものなんですよね。実感を持ってわからないとしてもおおよその見当がつく。その問題の整理をこの本の中できちんとできたということが一つです。それと、その先、井筒俊彦の哲学を参照しながら、意識の深層に分け入っていく。後半の2つの章はかなり実験的な、冒険的な論題なので、楽しく読んでもらえると思います。

ーー久しぶりに濃密な川島さん節を聞かせていただきありがとうございました。もしよろしければ、川島さんが作っている本のクラファンも応援してみてください。(2022年4月4日迄)↓↓↓


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