祈りの力

今日は祈りの証を共有します。

私には好きなみことばがあります。
コロサイ人への手紙 3:23
「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心から行いなさい。」
しかし、このみことばに従いましたと自信を持って言えた日なんてありませんでした。
頭では分かっているのに、いざ仕事になると出来ない。朝は早天祈祷でデボーション。しかし、忙しさ、職場の人間関係の縺れやトラブルでお昼を過ぎると神様の事すらいつの間にか忘れてしまっている…。仕事終わりに自分の犯した罪の悔い改めをして一日が終わっていく。
そんな毎日の繰り返しでした。

当時は社会人3年目で年齢は24歳です。
仕事は、2店舗の飲食店の店長をしていました。
2店舗の店長業務は多忙で、異性が多い職場なので、コミュニケーションも難しく、若いのでナメられたりとうまくいかない事やトラブルばかりの毎日です。
それに加えて1番厄介なのは、直属の上司との関係でした。失敗やミスを公に公表され恥晒しを受けたり、休憩時間が無いシフトを組まれたり、自分の考えを一方的に押し付けられ、店長としてやってみたい事もできない。
上司からのモラルハラスメントに近い言動により、精神的に何度も折れかけ、朝起きて職場に行くまで布団から出られない月もあった程でした。ストレスと疲労により、蕁麻疹や軽い鬱状態も経験しました。

こんな状況を変えたい。でも何をしたら良いか分からない。そんな時にYouTubeを通して仕事と信仰に関する学びの場を知り、参加を決意しました。受講を通して、自分の心の偶像探し、そして一般恩恵と特別恩恵というテーマに触れ、神様は私にマタイの福音書5:45〜46のみことばを示して下さいました。

マタイの福音書 5:45,46
「父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。
自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。」

神様はクリスチャンである私にも、まだ救われていないノンクリスチャンにも、目を留めて下さり、救われている救われていないに関係無く、神様は私たちに愛と恵みを注いでくださっている事に気付かされました。
神様が分け隔てなく、私たちにそうして下さっているにも関わらず、私は自分を愛してくれる人にしか愛を示せず、そうではない人の事は気にも留めず、裁いてしまう弱い者であるという事を突き付けられ、真の悔い改めに導かれました。
しかし、自分の力では出来そうにもなかったので祈りました。
初めは、「こんな人の為になぜ祈らなければならないのか?」「いっそのこと祈るなら上司が退職するように」といった悪い考えも浮かんだのが正直なところです。
時には嫌々ながらも祈っていた時もあります。

しかし、どんな祈りをも確かに聞いて下さっているのが私たちの神様です。
徐々にですが、変化が出てきました。
まず、私の心に変化が現れました。
憎みや憤りで満ちた心から、哀れみと赦しの心が与えられ始めました。状況は前と変わらず、上司からもいつも通りの攻撃を喰らいます。しかし、それを受け止める自分自身の態度が明らかに福音的態度に変えられてきました。
以前までは攻撃を喰らった時は、喧嘩などのややこしい事になりたくないので、適当な返事をしたり、無視したりしていました。
しかし、なぜ彼が攻撃的な言動を取ってしまうのかを知る必要があると思わされ、自ら話し合いの時間を取るようアプローチしてみたり、自分の方から相手の家庭環境や育ちなどを質問してみるなど、受け取り方が変わった事で、自発的に上司に歩み寄れるようになりました。

祈りというのは、周りの状況や自分以外の相手を変える力があるものだという認識が強かったのですが、何よりも自分自身の心を変えてくれる力がある事を身を持って体験しました。

徐々に上司に対する自分の態度や行動も変えられ、今まで褒めてもらった事も無かったのですが、「店長として積極性が出てきたね」と褒められるようにもなりました。それと同時に上司の心も段々と柔らかくなり、やりたい事も少しやらせてもらえるようになってきました。
驚く事に、自分からその上司をご飯に誘い、相手に興味を持てるようになりました。
主の奇跡です。

私たちの人生を変えて頂くには必ず神様の介入が必要不可欠です。
私達が今抱える現実に向き合い、イエスの御名によって祈るとき、聖霊の力が与えられます。
その力を原動力に、私たちが職場で福音を適用し続け、神の国を広げるようにと神様は願っておられるのだと思います。
必ず神様はあなたに働かれます。

[ルカの福音書 1:37]
神にとって不可能なことは何ひとつありません。」

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