見出し画像

2022/10/08 学生時代に文系が嫌いだった理系人間が文系の仕事で生計を立てているお話し

海外でノマドとして働くには、パソコンを使った仕事がほとんどだと思うんだが、基本的には文系の仕事が多いんじゃないかと思う。

プログラミングなどはどちらかというと理系と呼ばれるかもしれないが、それ以外にもWebライターや翻訳業などは完璧に文系の仕事になる。

実は私は完璧な理系として育ってきた。自分が文系だなんてこれっぽっちも感じることなく学生自体を終えた。

小中高と国語の成績は5段階中の2だったし、国語のテストの成績はいつも平均点よりもかなり低かった。そもそも長文を渡されて、「この時点での作者の気持ちを述べよ」なんていう設問には苛立ちしかなかった。こんな短い文章で人の気持ちなんか分かる訳ないという屁理屈を心の底から思っていた。

文系科目が嫌いになったきっかけ

特に国語が大嫌いな科目になってしまったのだが、今から振り返るとその原因となった出来事がある。夏休みの読書感想文だ。

うちの母親がなんだか変なこだわりのある人で、そもそも夏休みの宿題を最後の数日徹夜して終わらすことは許すくせに、読書感想文に至っては下書きをして、その下書きに散々ケチをつけ、練りに練って完成させよという変なポリシーがあった。

こんなことをやっていたら、もちろん文章を書くのが嫌になる。広告の裏に何度も何度も下書きを書いても、「これでは心に訴えない」などという主観的な感想で却下されてしまう。

そもそも読書感想文の課題となる本は、お世辞にも面白いと思える本ではないのだ。好きな人は好きなのかもしれないが、自分には全く興味のない本が複数並んでいて、その中から選べと言われるのだ。

宿題だからその本を買って読むのだが、そもそも物語の途中で矛盾を感じて興醒めしたり、社会問題を扱った本に至っては偏ったイデオロギーが強すぎて(この本を選んだ先生のイデオロギーが偏っていたのだろう)興醒めしたりと、本の3分の1を読んだ頃には興味を失っているのだ。

そんな本を苦痛を強いながら最後まで読めと言われて、その上感想を書けと、しかも感想文の読み手の感情を揺さぶれと言われたら、これは不可能な課題なのだ。

こんな課題を毎年やらされていれば、文章を書くのが嫌いになってしまう。ちなみに、自分の興味がある内容に関しての作文は、作文コンクールに入賞したこともある。

この悪い体験が今まで尾を引きずっていて、文章を書くのがとても苦痛に感じてしまう。このnoteを書くのもそうだ。

文系科目に取り組んでもいいかなと思った転機

ここから先は

1,101字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?