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【日本対イタリア】男子バレーボール準々決勝。「あと一点、されど一点。」

バレーボール観戦でしか得られない栄養があった。
8月5日、男子バレーボール日本代表は、イタリアと戦った。
セットカウント2-0、3セット目24点を取ってからが長かった。日本は敗れた。悔しいという言葉では収まりきらない程に悔しく、寝れない深夜2時にこれを書く。

あと一点

歴史が変わる。気分が高まる。今か今かと心待ちにしていた瞬間が本当に目と鼻の先まで来ていた。イタリアに勝てる。24-21で3点もリードしていた。あとたった一点で、日本は笑顔で次に進める。
選手がこの何年、十何年と賭けてきた舞台で、日本が4強入りできる。多くの人がそう思った。そして何より選手も思ったであろう。

しかしその思いは無残に散った。3セット目を取りこぼした日本は、流れを掴み返せずフルセットの激闘の末、敗れた。

スポーツが好きな人にとってこの「あと一点」という場面の怖さはどう写るだろうか。相手が一段、二段とギアを上げるのに、こちら側は少し気持ちに余裕があるからこそ揺らぎが生じ、あっという間に喰われる。

あと一点、たった一点。いつもなら決まる一点が決まらない。焦れば焦るほど決まらない。

数値化される残酷さ

クーラーの効いた涼しい部屋の中で、画面にかじりついて応援する私たちにとって、点数はあくまで点数に過ぎない。オリンピックという大きな箱は、普段スポーツを見ない人はもちろん、スポーツ好きだけどバレーボールに関心のない人をも惹きつける何かがある。だからこそ、選手の背景や戦術ではなく、あくまで点数ベース、結果ベースで語られる。

それは仕方のないことであり、数値化することこそが言語も文化も違う世界各国の人が一堂に会して争える要因でもあるのだが、それはあまりにも残酷すぎる。

勝ちたいと願っても、勝ちたいと思って誰よりも努力を重ねてきても、その一点が取れなかったら、負けてしまうのがスポーツなのだ。

アスリートは、スポーツをすることが仕事であり、コンディションを整えることが仕事である。だからこそ、24時間365日スポーツのために生きている節がある。(と勝手に思っている。)

面倒くさいからとご飯を抜いたり、頑張ったご褒美にとアイスやチョコレートを爆食いしたりと「今日ぐらいはいいか!」が高頻度に来る私には考えられないほど、スポーツのために人生を捧げて生活している選手が多いだろう。しかし残念ながらそうした数多の努力はたいてい明るみにはならない。

一点が大事なことなんて犬でもきっとわかる。日本代表選手は幼少期から期待され、主要な場面の多くで大事な一点を託されてきた精鋭たちだ。そんなの火を見るより明らかだと思えるほど、彼らは一点を取ることが重要なんてわかりきっている。

それでも、スポーツの世界にはどんなに頑張っても超えられない壁があると私は思う。体格、センス、努力。競技をプレーする上で必要な全てのスキルが掛け合わされてその選手の総合値が出る場合、残念ながら体格やセンスといった部分は優位に働く。いくら努力をしようとも、元からあるアドバンテージを埋めに行くには、他の人の何倍も努力しなければならない。

でも、中学の部活で差を埋めるのが難しいと感じた私とは比べものにならないくらい、あと少しで、あと少しではない差を縮めるのは難しいだろう。相手の選手も一流中の一流だからこそ、当たり前のように研鑽を積む。相手が100頑張るなら、こちらは300位頑張らないと差なんて埋まらないのだ。

でもその300の努力が誰かに見られるわけでも、直接褒められるわけでもないのがきっとアスリートの世界。時には、選手なんだから、成長すること、手入れをすることが当たり前でできないのはおかしいと叩かれたりする。

しかしもう一度自分の生活を振り返ってみたい。好きなときに好きなことをして、美味しそうなものはカロリーも栄養も気にせず食べる。土日に弾丸で旅行に行ったりする。今日みたいに眠れないからと、夜更かししてしまう。

それとは真逆の生活をいつ何時も求められる。求められるわりには、アピールする場もないから、「自律」の言葉が似合うほど、ストイックにならなければならない。

そんな彼らの喉から手が出るほど欲しかった一点が、ついぞ手に入ることはなく儚く散るのがなんと残酷なことだろうか。イタリアが正当にただただ強かったのがまた苦しい。

パリにかけていた想い

西田選手のInstagramでは、8年体制のこのチームが終わってしまったことを悔やんでいた。大好きなチームで大好きな選手達と試合できないことを悲しんでいた。

そう、このチームは即席のチームなんかじゃない。着実に世界との差を埋めてきた、8年がかりのチームなのだ。ブランさんがコーチとして、監督として選手と信頼関係を築きながら、誰が出ても強いチームを構築してきた。

本当に、本当にこの大会に賭けて、誰もが”今勝たないで、いつ勝のか”。そう思っていただろう。負けが決まり、代表引退や休養を明言する選手もいた。

こんなにも大好きで、こんなにも心の底から応援したくなるチームは初めてだったからこそ、この最高のチームが今後同じ形で戻ってくることがないとの事実に三度苦しめられる。

私はあくまで視聴者、選手じゃない

ここまで、消化しきれなかった想いをなんとか整理して、消化しようと試みてきたが、留意しておきたいのは「私はあくまで視聴者であり、応援する立場にあるだけだ」ということ。

つまり、「応援させてもらっている」だけなのだ。悔しいとか苦しいなんて、私が言っていいのかわからないほど、選手たちはもっと悔しく、苦しいはずだ。

自分がその場に立てるはずもなく、仮に何かの間違いで立ててしまったとしても、決して平常心ではいられないだろうし、勝負しようなんて思える強靱なメンタルも持ち合わせていない。

プレーに一喜一憂したとしても、誹謗中傷や文句を言う資格など当たり前だが無い。
自分では決して叶えることのできない夢を、選手たちの目標に勝手に重ねさせてもらっているだけ。自分では努力できないからこそ、誰よりも努力してきた人たちの集大成の時に便乗させてもらっているだけ。

画面越しにその超人的なプレーを見ていると、無意識のうちに同じ人間ではなく、ゲームの中のキャラクターのように思えてしまうときがある。

でも画角が変わると、試合後に涙を流す姿を見ると、「あぁ私と同じ人間なんだ。」と改めて実感させられる。

スポーツ観戦は熱くなりがちだからこそ、私はあくまで見ている側、応援している側に過ぎず、謙虚であり続けなければならない。

バレーボールの楽しさを教えてくれてありがとう

幼少期、竹下さんのトスに魅了されて女子バレーにハマっていた私は、竹下さんの引退に伴い、バレーボールから離れている時期があった。

しかし2019年のワールドカップ、カナダとの最終戦で怒濤のサービスエースを決める19歳に度肝を抜かれた。ビビッときた。この選手を、このチームを応援してみたい!!

紆余曲折あって、苦しみもがく西田選手にどんなに非難が集まろうとも、ファンである私は信じて待ってみようと思った。
信じて待つなんて身勝手な行動だけど、どうしても西田選手が楽しそうにプレーする姿を見たかった。

東京で悔し涙を流した分、パリではうれし涙で終わって欲しい。そう思いながら様々な大会を応援すればするほど、選手、チーム、スタッフ、世界中にいるファン全てが好きになった。

ねばって繋いで、みんなで取る一点。素人ながら時折垣間見える戦術に興奮して、楽しそうにプレーする選手たちを見て楽しさが伝染してきて、本当に本当にバレーボールの楽しさを骨の髄まで感じることができた。

伝説の試合の目撃者になれたこと、これからもずっと心の中で大切にしまっておきます。責められるべき選手なんて誰ひとり存在しない。

選手たちの血の滲むような努力と、それを結果で示したいという夢の過程を傲慢だと思われてもいいから一緒に歩ませてもらったこと、心の底から感謝しています。

日本代表という大変な重圧の中、最後まで諦めずに戦い抜いてくれた選手のみなさん、本当にありがとうございました。バレーボールの面白さ、ちゃんと、ちゃんと届いています。

みなさんのプレーは最高にクールで、最高にクレバーで、さいっこうに面白い。それだけは、順位やメダルに表れない揺るぎない事実です。

まとまりのない文章になってきたけれど、こんなにも心が動かされる体験は久々だった。きっといつまで忘れられない試合。

これからも、敬意を持って選手たちを応援していきたい。

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