名もなき大根

父、僕、息子共に吃音者。半農半Xスタイルで生活をしながら自然から畑から学び、また、人間…

名もなき大根

父、僕、息子共に吃音者。半農半Xスタイルで生活をしながら自然から畑から学び、また、人間関係など気づいたことを書きます。よろしくお願いいたします。無農薬野菜を栽培し自給自足に少しで近づけるように実践中。茶道とのご縁あり。裏千家準教授。

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最近の記事

「味わうと三昧」

「味わうと三昧」 今、この瞬間を味わう。 風を感じるとき 鳥の声を聞くとき 花を観るとき 食べるとき 歩く足音を聞くとき いっしょにいるとき 分かち合うとき 風呂に入るとき さまざなその瞬間をいつも味わえねっす! 日々その瞬間を味わえたそれは「三昧」モード突入だと思うなー。 頭の中の「孝」がぐるんぐるんしていつもウワノソラ。作業中にサバゲーのハンドガンを故障してたので急に気になりだし→東京マルイに電話→故障内容伝え、修理できそうだったので自分でハンドガンを分解→いろいろ調べな

    • 「ココロノナカハ」

      「ココロノナカハ」 ある日、車でパン屋の前を通った時の僕とばーばとの会話、、、 ばーば「あのパン屋、人が入ってないね、、、。」 僕「・・・。人が入ってない。だけでなく、プラス人が入ってないけどコロナの影響もあるかもしれないし頑張ってほしいな。とプラスαの言葉って大切だと思うんだ。」 ばーば「その言葉は心の中では思っていたヨ。」 僕「あのね。その心の中の+αの言葉も言うことがポイントだと思うよ。ただ「人が入ってないねー。」だけだと聞いている人もなんか元気が出なくなるヨ。」 僕「

      • 青木とゴミ

        青木とゴミ 青木(アオキ)が一面に。低木な青木。実は赤くグミみたいに食べれるのかな? 青?青木は奈良、平安時代から存在し、その当時は赤、白、黒、青しか色の言葉がなかったらしく 枝、幹が「緑」の木を「青」と名付け青木になったみたい。 えっ?ちょっと待って? 緑信号が何で当たり前のように青信号っていうのかな?って、ぼんやり思っていたけど、青木から由来してんのか? 信号ができた当初は赤、緑、黄色より赤、青、黄色のほうがなんかリズム感がいいからなのか? 青木って、そんな昔からあるんだ

        • 「野に咲く花」と「助」

          「野に咲く花」と「助」 いやいやいや、昨日も揺れましたね。みなさん大丈夫でしたか?地殻変動、人間の動揺、いろんな感情のユレがあると思うけど、今朝、下を向いてトボトボしてるとケマルバスミレ?かな。何事もなかったかのように「この時」を淡々と生きている姿に学びを得ました。どんな時でも淡々斎(家元ごめんなさい!)で生きられたらなー。と。 町内会も2月の地震の初動を教訓に防災リーダー、自治会長、四役、班長で15班260世帯を2人1組で区分けして一人暮らしのお年寄り、ご高齢夫婦を中心に安

        「味わうと三昧」

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        • 僕は吃音者
          7本

        記事

          僕は吃音者。8

          夜8時。ある公園へおにぎりとみそ汁、ゆで卵等を持って「居るかな~~~。」と、最近、二カ月ほど会っていないおっちゃんをいるかどうかわからない状況の中、行ってみた。 「あっ!いたいた!」 夜なので暗い中、うっすらと公園のベンチにいる。一人ではなく二人だ。しかも、一人は初めて見るおっちゃんだ。このおっちゃんは寝泊りする時はこの公園ではなく別は公園で寝泊まりしているみたいだ。夜中は不審者に間違われ警察官が来てよく職務質問をされていると味噌汁と飲みながら話してくれた。 そのおっち

          僕は吃音者。8

          「下を向いて歩こう」

          畑をポワッと見ているとオオイヌノフグリが一面に花が咲いている。ほぼ雑草扱いだから注目はしないけれど小さく咲く花が美しいなー。 世間的には「上を向いて歩こう」「向上心」っていいように感じられるが「向下心」という言葉もおもしろい。 向上も大事ですが上を見過ぎて美しいもの、大切なものを見過ごしている時もあるかもしれません。そんな時は同時に向下心も意識してみるといいかも。案外、そこに答えがあったり一番追い求めたものがあったりね。 春告鳥のさえずりから春が来たなー。と思って下向いてとぼ

          「下を向いて歩こう」

          歩く場所はクローバーロード

          歩く場所はクローバーロード 畑をナス畝、トマト畝、葉物畝とか断片的に捉えないようにしています。畑一つと考え、歩く場所のクローバーも離れてるトマトたちも見ることができない毛細血管のようなインターネット回線みたくつながっている気がします。さらに周りの木々、周りの土たち、地域、日本、地球な感じでつながっているとしたら今ある場所がとても大切な場所になると思います。 「持続可能」としきりに言っていますが例えば、 土に触れ土を覗き生命の循環を認識できれば農薬も化学肥料も控えることになるか

          歩く場所はクローバーロード

          「SDGs」と息子

          「SDGs」と息子 息子「最近さー。授業で「SDGs」を勉強してるんだー!」 僕「おー。そうかー。SDGsって意味わかるのかー?」 息子「えーと、じ、持続可能な開発ナントカでしょ?」 僕「持続可能って誰のための持続可能なんだべ?SDGsはね・・・。」 息子「・・・。」 僕「ソーソーリー(ほんと、ごめんね) 大地 ガイア(地球全体)すべての魂たちだべ。」 息子「えっ?」 僕「人間が欲のままに破壊し奪い合い、さまざまな問題をつくり、挙げ句の果てにありゃーってなって、なんちゃら目

          「SDGs」と息子

          地産地消と仮想水

          地産地消と仮想水 地粉(ミヤギノコムギ)パンの豆腐チーズバーガー 中南米、アンデス辺りの昔ながらの種まきは自身の唾液を種につけて播く。 それは自分の情報を種に入れ、自身が必要とする栄養を種は野菜へと成長しながら形成してくれる。不思議なようなほんとの話だと思う。 裸足で畑を歩いたり(アバターのワンシーンにあるように)変な話だが畑に立しょんべんをしてもそれは畑の植物に伝達し情報が行き渡る。不思議なような本当の話。 地産地消、畑で野菜を作れなくても住んでいる地域または県内など

          地産地消と仮想水

          僕は吃音者。7

          僕自身、今は年齢40台だが大学を卒業後、数年間また他の分野を学び直し、そして、まったくその分野に関係のない分野での営業職に就職した。 主に電話での営業からの販売が中心で吃音の僕には最難関だったかもしれないがなんだかんだどもりながらも必死に営業をしつづけ会社でトップ営業になったこともあった。 初めての相手に電話で話す時の緊張感は今も変わらないが職業として何万回も電話営業していると次第に慣れていったかもしれない。それに吃音で営業が出来ないというよりもそのお客様が何を求めていて

          僕は吃音者。7

          僕は吃音者。6

          いや~~。参った参った。 今日はとあるZOOMミーティングで文章を読む機会があり「穏やか」の「お」が言いずらかったな。「穏やか」を言う前に「・・・・・・お。」と数秒間の間が入り、その数秒間の間がとてつもなく長い時間を感じる。それに急な焦りと体の力みが同時に現れ、急に疲れる。。。やはり「ア行」が厳しいな・・・。最近は社会で活躍されている方が吃音だとカミングアウトしている人も出て来たな。僕も周りに吃音だといった方がスムーズに事が進む場合もあるかもしれないな。と思う時があり、変な

          僕は吃音者。6

          「新ジャガと生き物の話」

          「新ジャガと生き物の話」 去年の話 昨日、新ジャガを食べたいと試しに掘ってみることに。。。 僕「ん?芋が少ないなー。おかしいなー。モグラ?穴?結構、あるなー。」 息子「父さん!こっちもなんか少なくて、食べられている芋がいっぱいあるよー。」 僕「そうか、そうか、生き物たちも美味しいから食べるだよー。いいよ。いいよ。(爽やか)」 息子「あっ!ここもだ!モグラの穴がいっぱいある〜。」 僕「なんだい〜。いいよ〜。モグラさんも食べるんだね〜。共存だからね。共生だねー。」 息子「まただ!

          「新ジャガと生き物の話」

          「雨降ったら畑に入るな。」

          「雨降ったら畑に入るな。」 昨日の雨はよー降ったー。畑観察、ズッキーニが幹自体腐れてた。復活は難しいか? 昔から「雨降ったら畑に入るな。」と言われてる。なんでだろ・・・ 野菜たちの長「すごい雨じゃ!土の中にも雨が大量に入って来る。これはただ事ではない!みんな大丈夫かー!地下貯水を確認するのじゃ!」 菌糸情報局「情報によりますと一部の野菜たち、草たちが水分タンク量の限界まできており息ができない状態でございます。」 野菜たちの長「なに!それは危ない!ただちに細根を地表に出し

          「雨降ったら畑に入るな。」

          人を愛し、自然を愛し、土を愛し、

          人を愛し、自然を愛し、土を愛し、すべてのものにいのちがある、そのいのちに感謝し、そのいのちの存在目的を大切にしなければならない。                 一小松昌幸一 少しでもそう在りたい。

          人を愛し、自然を愛し、土を愛し、

          僕は吃音者。5

          息子の吃音については幼稚園、小学校低学年まではほとんど気にしなかったが段々と高学年になるにつれ、特に最近は吃音が目立つようになった。 「な、な、なんで?」「お、お、お、はよう!」「き、き、きょうは何曜日?」などなど上げたらキリがない。それは僕もだ。 でも、学校のみんなから愛されているみたいだし一安心。吃音によるいじめもないみたいだ。 僕に関してはお茶の稽古の時は「おてまえ頂戴いたします。」が「お、お、おてまえ・・・」となり、やたらと「お」を使う。例えば「お茶名は?」「お

          僕は吃音者。5

          「ただ」

          ありがとうを伝えるのはただ 無視するのもただ 笑顔はただ しかめっ面もただ 優しく話すのはただ 罵るのもただ 寛容さはただ 怒り狂うのもただ 足るを知るはただ 足るを知らないふりをするのもただ 手を差し出すのはただ 手を引っ込めるのもただ 歩くのもただ 歩かないのもただ レジ袋もただ・・・じゃない、、、。 ただはシンプルでとてもすばらしく、そんで、むずかしくただよりこわいものはない。と思う。