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これからの人口学「私見に基づく」2

前回のnoteでは今の日本の状況について述べた。それを踏まえてこれからの日本はどうなるのかを考えてみたい。

1 これからの社会はどうなるのか?
2 これからの日本はどうなるのか?
の順で話していく。

まず1これからの社会はどうなるのか?についてだが、現在は多くの人が情報革命(第4次産業革命)の最中だと言っている。この認識は正しいと私は思う。自動運転で重要な役割を担う人工知能、3Dプリンターやドローン、ARやVRなど様々な技術が台頭してきており、我々の生活を再定義するだろう。またこれらの技術は中産階級の仕事を代替するようになり、残されるのは上級階級の仕事(データを扱う人間、システムを管理する人間など)と下級階級の仕事(肉体労働など)の2種類だろう。これにより、賃金をはじめとする格差は開き、より資本主義という言葉が世間に賑わすようになるのは明白だろう。アメリカでは今後300万人の地主と3億人の農奴が発生するとまで言われている。

このような格差を埋めるには何が必要なのか。それは再配分である。

     カール・ポランニー曰く
「経済は交換・家政・再配分のよって構成されている。」
     と主張している。
ポランニーの思想についてはいずれ別の機会に説明したい。

再配分を最も端的に説明し、我々が耳にしたことがある言葉といえば“ベーシックインカム”だと思う。ベーシックインカムについては既にnoteで説明している通りである。再配分により、いかに社会を公平にするかはこれからの世界全体の課題である。

まとめると、これからの社会は一部の人間が富を占領し、それ以外の大多数の人間はその残りの富を享受あることになる。

この予想を踏まえて、2これからの日本はどうなるのか?について話したい。日本においても例外なく、上記の現実に直面するであろう。それは20年後かもしれないし、40年後かもしれない。いつその現実が訪れるかはわからないが、訪れるのは確実である。

その時、はたして人口が多くなければいけないのか?

40年後にはたして1億という数の人口が日本に必要なのか?

仮に上位1%がロボットや人工知能を最適解で運用することができ、既存事業の全てを代替できるようになったのならば、残りの99%は不要である。つまり1億人いる中で必要なのはたった100万人なのであり、その他の9900万人はいわば不要な人間なのである。(不要な人間:useless people は『ホモ・デウス』の著者 ハラリの言葉より引用) (この時の必要・不要な人間という基準は経済に影響を与えるか否かである。)むしろそのような社会では、不要な人間の数は少ない方がいいのではないか?50年後には日本の総人口は9000万人と予想されている。その時の99%の人口とは8080万人である。一方で50年後もし人口が1億人ならば、その99%は9900万人である。不要な人間が9900万人より8080万人の方が再配分の負担が少なくて済むのではないだろうか?確かにマクロ経済の視点からすれば、経済成長において人口は重要な要素であるが、これからの時代はそうではないように思う。人口といった物理的数よりも知識や資産といった目に見えない価値がより重要になるのではないだろうか。

結論として、世間が言う“少子高齢化”は経済の観点から見た絶対的悪ではなく、時代の流れに沿った現象であると思う。これから機械化されて人間の仕事が機械に代替された時、はたして1億もの人口が日本に必要なのだろうか再考の余地があるように感じる。

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