病が人を殺すのか、金が人を殺すのか。
何事だ。
一体全体この社会はどうしたというのだ。
コロナウイルス。
もう今や、かつてのオリエ○タルラ○オや、キン○コン○、
お笑い界以外だと慎○ママや、半沢○樹がちっぽけに見えるほど、
社会はコロナに覆われている。
感染状況も、情報も。
なんなら人の頭の中まで侵食していく。
国家は意思決定を迫られる反面、
何を決めても誰かにバッシングされる。
国民のリーダーとは一体なんだったのか。その意義すらこの後の時代でひっくり返りそうだ。
企業の苦難も多い。
休業要請を受けた一部企業は、被雇用者を解雇したり、減給したり。
経済活動を止めざるを得ない現状を受け入れて何かしらの行動を取るしかない。
要請を受けていない企業も大変だ。
経営者の意思決定一つで会社の印象が変わる。
発信する文脈一つで、この大惨事が収束した後も引きずるであろうネガティブな企業イメージをつけてしまうことになりかねない。
企業活動を止めれば従業員の命を病から守れるが、生活の根幹である金銭を奪うことになってしまう。
逆に活動をこのまま維持するなら、生活の根幹である金銭は受給できる反面、従業員が病の感染し、生命を脅かされる可能性を避けられない。
病が人を殺すのを止めるのか。
金が人を殺すのを止めるのか。
究極的な2択を、迫られているのだ。
しかも、経営者は孤独だ。
この2択どちらを取っても、
何かしら負の結果を被る。
そしてその負は、社会が批判をする絶好の獲物になるのだ。
一層の事休業要請を出してくれたならと思う経営者も多々いるだろう。
どれだけ従業員を思いやり、顧客を思いやり意思決定したって、
「その意思決定が人を殺したんだ。」と
世の中の人たちは責め立てるだろう。
皮肉なものだ。
結局のところ、人を殺すのは病でもなく、金でもなく、人なのかもしれない。
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