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「考える」が、君にもたらすワナ

めんどくさくなってきた。


「今月いくら生活費が残るんだろう」と何回計算しても変わらない残高と戦い続け、
「どうやって数字を作るんだろう」と考えたところで何も変わらない数字をいじり続け、
「なんで生きてるんだろう」と死ぬことは怖いくせに無駄に生きている意味を考える。

考えるなんて行為は、
ほとほと無駄だなと感じる毎日だ。
就職活動しているときは、「考えるのが趣味です!」なんてそれっぽいことを口にしたが、
今思うと「考える趣味」なんて何もしていないのと同義だ。

「ファミリーマートの看板がなんで緑色なのか」
なんて話を散歩中に考えたことがあるが、結局のところ1ユーザーの僕たちが出す結論ごとあの巨大な会社の人たちの思う壺なのだ。

すごいなあ。
そう思う反面、仮にそうだとしたら世の中の人たちは考えれば考えるほど誰かの意図で満たされた水中に溺れていく。
そうしないとお客さんが来ないのだろう。そうしないとお金にならないのだろう。
企業の考えていることは立派だ。

考えるのがどうでもいいことだとしたら、
電車に揺られながらふとこんなことを考え、物思いに耽る僕はよほど暇なのだろう。
無駄の極みのような時を過ごしている。

しかし僕たちは生存している以上、考えずに生きることなんてできない。
そういうものだ。そういう構造なのだ。

人間は誰かの手の上に転がされて生きている。
「30代、結婚済み、ペットがいる年収400万円以上」の女性をターゲットにしたサービスができたとしたら、上記のような女性は少なくともこのサービスに意識を支配される。
もはや考えるように仕掛けられた崇高なワナだ。

怖いなあと思う反面、
最も楽に生きていく方法として、
その見えない「誰か」に意識を支配されながら都合よく生きていく方法があるのではないかとも感じている。

しかし人間は、
なぜか「意図する側」に回ろうとする。

やれ就職だ、やれ昇進だ、そ〜れ起業だ!
と、「誰かを助けたい」を名目に自分がその人たちの意識を支配する側に回ろうとするのだ。
もともと支配されていた僕たちが、支配する側に立とうとすると厳しい現実がやってくる。
これが、俗にいう「苦労」なのかもしれない。

苦労せずに生きていきたいという人がいたら、僕の出す答えは簡単だ。
誰かの意図に乗っかればいい。何も気にせず、自分のプライドなんか空き缶のように投げ捨てて、どこかにいる見えない誰かの引いたレールの上を歩けばいい。
そうすれば、きっと思ったより気楽に生きていける。

この文章を書いている僕は、きっと支配する側に回りたい人間なのだろう。
皮肉なものだ。
楽に生きたいと考えながら苦しい道を歩むという最大の矛盾は、この世の中で矛盾を嫌う人間にこそつきまとう。
僕は矛盾が嫌いだったのかもしれない。

どこの誰をターゲットにしたわけじゃないつもりのこの文章を、
「誰も読んでほしくない」と本気で思っているのなら、僕はリリースしない。
これもまた矛盾だ。きっとこの文章を読んだ君は僕の心と脳裏によぎったターゲットの一人なのだ。

この文章は特に読んで何かになるものではない。
「この記事読んだら、考え方変わりました!」なんてうまい話あるわけがない。だってこの文章には僕の意図が組み込まれているのだろうから。
ただ、今の君たちの行為が、そもそもの自分たちの考える人生目標や、生き方と矛盾していないのかは考える余地があることは伝わるかもしれない。

本当に今、君は正解を歩いているのか。
そもそも、君は正解を歩きたいと思っているのか。

本当にめんどくさいが、日々こんな問いを投げかけながら生きていくのも、悪くないと思っている。

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