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遠距離になって思ったこと。キョリってなんだろう。後半。

計らず2部構成になった今回の日記。
前半はこちら:
https://note.mu/daiki5932ogawa/n/naf1f08f52612

なんか多分、距離をあまり感じなかったんですよね、きっと。彼女は彼女のまま、地球上に存在しているし、それら飛行機に乗れば行ける場所だし、インターネットでも繋がってる。当たり前の普段のことがそのまま続いて行くような、それくらい僕と彼女に距離がなかったのもあるのかなとは思いますが、予想したよりも、構えていたよりも全然距離を感じなかった。このときは。

という風に前回の日記は終えましたが、その後の心境の変化、は実はほとんどありませんでした。

本当に、実感が無いというか、いままでと同じ感覚のままいままでの日々が過ぎてます。
よくメッセージやビデオチャットはしているし、お互いの日々の写真だったり(僕は写真フォルダの写真がめっきり増えなくなりました。笑)起きたことだったり、いままでふたりでしていたような会話を今でもしています。

もちろん、寂しく感じる時が無いわけでは無いし、何より会いたいな、と思うからルースニアイタイのプロジェクトを作っているわけですが、それくらい、予想した「遠距離恋愛」のイメージと異なっていました

「距離」とキョリ

たぶん、僕は物理的な距離よりも、意識のキョリみたいなもののほうが敏感に感じるのかなぁと思います。

小学校の頃から当たり前にインターネットがあって、高校の頃にはほとんどの同級生がSNSをやっていて、という環境の中で、「昨日会った人」よりも「今日連絡を取った人」のほうが距離が近く感じるようになっているのかな、と。

つまり、「顔を合わせること」のほうが「距離」は近いが、「相手のことを想ったりすること」のほうが「キョリ」が近い、と言うか。

自分のアタマの中にある、意識の質量が高いほうが僕は暖かさを感じるのかなぁと思いました。

今回の彼女との距離について考える中でぼんやりと、こんなことを思っていたので、内容も考えずにタイトルにしてみたのですが、なんかでもそうだなぁって思いました。

(上手く伝えれてるか不安。笑)


その中で、僕がルースニアイタイで敢えて「距離」を縮めたいのはきっと、上に書いたことが、感覚的に捉えてただけですが、理由だったりもしていて。

こんなにも毎日、会えないのにそれぞれの話を楽しく聞いて話せる、「キョリ」を感じない関係だからこそ、「距離」でそれを壊してしまってはいけないな、と色んな、遠距離をしたことがあった人の話も聴きながら、思ったんだと思います。

インターネットでいつでも繋がれるからこそ、アナログに会うことを大切にしたい。

物理的な「距離」も、心理的な「キョリ」も、大切にできるようになりたい。


そこに向き合うようなプロジェクトだと思ってます。

ダイキ

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