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この前の続き。

この前、距離の話をしたので、最近ちょうど思った距離の話。

いきなりですが、視点の移動距離ってすごく大事だと思ってて。
僕は頭良くないので、普段当たり前にあるものを、そのまんま当たり前に感じてしまうことが多くて。

でもちょっと酔っ払った時に何かの拍子に出てくる自分の話に自分で、あ、ほんとはそう思ってるんだ、みたいなのもわくあって。

友達のことを大切に思ってるとか、ルースと一緒に時間を過ごせることの意義とか、日々の一つ一つの事柄に、意味があるなーと思うわけです。
というのも、事象は事象のようで、結局自分の視点でしか切り取れないから。
他の人が聞いたら悲しい話でも、自分にとって微笑ましい話なら究極は自分の中では微笑ましい話だし。

だから、自分が日々感じることはすごく大事だなと思うし、それに気が付けるための視点の移動はすごく大事だなって。
上の話だと、「すごく悲しい話だと思ったんだよね」って他の人の意見があって初めて、あ、僕はここに微笑ましいという感情を持つんだ、と思う、みたいな。

そういうのが、他の人としっかり話す飲み会だとあったりして、いま文章を書いてて、また初めてというか改めてというか、「あ、人とのコミュニケーションって大事だな」って思ったりとか。

距離の話に戻ります

そういう意味では、当たり前にあるものが、遠くにある、ってすごく学びが多い環境だな、と思ってて。
彼女がいかに自分にとって大切か、みたいなのは、遠距離になって初めて、僕が考えていたより圧倒的に大きかったことに気がついたのかな、と思ったんです。

思考もそうだけど、物理的な距離も、自分の立ち位置や考え方では、すごく貴重なものだなーって。
前回でいうところの、キョリも大事だけど、距離も大事にしないといけないな、って思ったんです。

キョリ/距離を近づけることにはすごく意味があるけど、キョリ/距離が近い状態も、同じくらい大切にしなきゃいけないなって思ったんです。

距離も、そう考えると面白いなーって。
他にもたくさん、ネガティブに聞こえる言葉があって、そのたぶん、全てがポジティブに捉えれる余地を残してるんだろうなって。

人生って面白い、って最近真面目に思います。

ダイキ

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