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自分が整ってなくて、誰かを手伝うことが出来ない

自分自身が整ってなくて、誰かを整えることは出来ない。
出来ないことはないけど、結局そのままどんどん自分の周りが散らかっていってどんどん身動き取れなくなってそのまま潰れてしまう。

これは今思う心の心境を話しています。

そなん生活を今までしていて、潰れて腐った。
周りには頼れず、今思えば頼らず。
感覚的には一旦腐った。

通常なら、自分の種があってその種を大きく育てて大きな木に育ててその木についた果実を自分の周りに配るのが良い流れで自立してる人のイメージ太陽の光も浴びてお水ももらって大きくなればなるほどまた周りの人達も助けることができる。

木の下で雨宿りもできるし、
おななが空けば果実を分け与えられるし、
木材として壊れた部分を分け与えられる。

大きな木の本の影響かな。

今の自分は雑草の蔓みたいな感じな気がして
太陽の光を浴びながら、
水は取れるところからとり、
その場でいるよりいろんな所に伸びてその時その時の人の所に根を張り伸びていく。

理想は大きな木
現実は雑草の蔓

今なら少しだけ思えるけど、ここで大きな木と比べるとそりゃ落ち込む。

どちらでも良い。
受け入れよう。

大きな木も雑草の蔓も長所も短所もある。

さっきは大きな木が良い。
雑草の蔓は悪いと考えて比較していたが、雑草の蔓にも長所がある。

大きな木はその長くなれない。
2つとも崖近くに育ってて崖から人を助けるならどちらを手に取るか?

環境と状況で活かし方が変わる。

その時に自分のできる事をやるだけで良くて、
それ以上を求める。
欲張りになってしまう。
そこは貧欲になればいい。
出来ないは出来ない。
出来るようになりたいならまた種を植えて育てれば良い。

蔓の下に大きな木が生えてきたら、

大きな木に蔓が絡まった木になる。

そうしたらどちらの状況でも誰かの為になる。

こんな事考えてる自分は

誰かの為に生きたくて、
誰かに認められたいんだ。

自分が相手の為にやってる事は相手にとって迷惑な事もある。
だから、ほどほどで良いんだなって。

自分はこんなにあげたのにとか考えてしまう。
まずは自分にあげてそのあと誰かにあげる。

あげられる量も人によって違う。
ひとつしかなければひとつしかあげられないし、
カゴいっぱいあれば何個も渡せるし、

『みんな違ってみんないい』

本当そうだ。

どこを見るかだ。

今までは心に余裕もなかった。
今も状況としては良くないけど。
精神的にも現実的にもどん底だった。
今も周りにいる人と比べたらどん底なんだと思うけど。

それもいいのかなって思えるようになってきた。

人を助けて認められて自分を認めるのもひとつのやり方だけど。

そのままの自分をそのまま認めるのもひとつのやり方だ。

自信がないなら後者だが、そこに甘え過ぎもよくない。
なんでも『過ぎ』は良くない方向に進む場合が多い。

やっぱり、全部正解で全部不正解。
その時の環境と状況で答えが変わる。

今の自分は『自分と遊ぶ』をして、自分で自分の機嫌を取れるように、自分が1番自分のファンになりたいな。

認めてもらうを人に頼り過ぎてた。
1番近くに認めてくれる自分がいたのに。

死ぬまでに蔓の巻きついてる大きな木になれるように。

簡単でいいから小さな目標作ってその小さな目標を少しずつ達成して自分との約束を、まずは守っていこう。

1番の味方は自分で1番近くにいるよ。
大丈夫だよ。自分。
俺はいつでも自分の味方だから。
わからなくなった楽しい事とか好きな事とか好きな物とかまた一緒に探していこうね。

これからもよろしくね自分。

今までの自分もありがとうね。
誰かの行動とかで落ち込まなくて大丈夫だよ。
今までありがとう。

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