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私と腰痛と原因

あれは私が高校二年生の16歳の時だった。

体育で倒立前転のテストをするとのことで
私は友達と練習をしていた。

私は倒立ができない。
壁倒立さえできない。
人に足を支えてもらう倒立にしても、足が上まで上がらないため、支える側の負担が大きく、やはり難しかった。

 
そんな私にとって倒立前転はできるわけがない技だったが
テストがある以上、そして練習の時間を与えられている以上
練習をやらないわけにはいかなかった。

 
最初は友達に支えてもらって倒立をさせてもらっていたが
いよいよテストの時間が迫り、私は一人でどこまでできるか試した。

ええい、ままよ。

勢いをつけて倒立しようとした私は
そのまま真っ直ぐと落下して腰をぶつけた。
痛い。

 
「大丈夫?」

友達が私を見つめながら尋ねるが、腰がどうにも痛い。
このときの前転倒立が私の人生を変えるとは思いもしなかった。

 
学校からの帰り道、整形外科に通院し、レントゲンを撮ると、背骨の一番下の骨が左に曲がっていた。

腰痛の原因はこれらしい。

それから毎日のように私は通院した。

 
湿布を貼り
病院で腰に電気を当て、牽引した。

嫌だ嫌だと喚いていた体育の倒立前転のテストはドクターストップになった。
しめしめであった。

 
骨のズレが治るまでは3ヶ月かかった。
想像以上に長かった。
だが、医師から「クセがつきやすくなっているから、またこうなるかもしれない。」と実に聞きたくない未来の予言をされる。

 
 
 
先生の予想通り、私の背骨はそれからもズレた。

 
22歳の時、慌てて階段を降りようとした時に足を踏み外して落ちた拍子に腰を強打し、再びレントゲンを撮ったら骨は左に傾いていた。

 
23歳の時、バイト中にビールビンのコンテナを持ち上げたら、グキッと嫌な音がした。
やはり骨は左に傾いていた。

 
毎回治るまでは約3ヶ月かかり、電気治療と牽引に通う日々となる。

 
腰痛には気をつけようとした結果か
運がよかったのか
それから10年以上は激しい腰痛にはならなかった。
軽い腰痛にはなっても、数日でおさまるかわいいもので、しばらくは平和な日々が続いたのである。

  
 
ところが、三週間前ぐらいから、私の腰痛は治らなくなった。
湿布を貼ったり、アンメルツヨコヨコを塗るが(アンメルツヨコヨコを朝塗ると、日中熱や汗に反応した時にカァーッと塗った箇所が熱くなる。そして痛い。効いている気がする。)、痛みが横ばいなのである。

痛みが出て二日目が一番痛く、歩くたびにズキズキし、たまに姿勢によってはズキンッと激しい痛みがして涙目になった。
通院するか迷ったが、私には確信があった。
骨はズレていない、と。

 
なぜなら骨が左にズレる時は、必ず腰痛は左側に出たのだ。
運転中も痛かったし、足にも痛みが出ていた。

 
だが、今回は腰の左右が痛い。
どちらかといえば右の方が痛い。
くしゃみをする時や腰をかがめたり、しゃがむのが痛かった。
腰を触るとコリコリしたしこりもある。
腰痛はこのしこりのせいだと思っていた。

 
痛みが出てから一週間後、私は湿布をもらいに通院した。
電気治療もお願いした。

だが、電気治療をするならレントゲンが必須だと言われてたじろいだ。
レントゲンのお金や、レントゲンをして異常が出た時の小まめな通院義務を思うと、まだ様子見でいい気がしたのだ。
あの時ほどの痛みではないから。

 
引き続き湿布を貼り、アンメルツヨコヨコを塗って日々しのいだ。
仕事にも支障が出てきてしまい、私は仕方なく周りの同僚に腰痛を打ち明けて力作業は手伝ってもらった。
なんせ腰が痛くてラジオ体操もできない。

 
腰が痛み出した二週目は週六勤務で通院できず
私は三週目の土曜日に通院を決めていた。
もう、ただの腰痛ではないと認めるしかなかった。
三週間経っても治らないのはおかしい。

腰痛はちょっとよくなったり、ちょっと悪くなったりを日々繰り返した。

私は毎日寝る前に「明日には治っていますように。」と願い、毎朝変わらずにある腰痛に軽い絶望を感じた。

 
そんな中、通院を控えた二日前の夜、痛みが少し和らいだ気がした。
以前より腰が曲げられた。
その翌日、車椅子を持ち上げられた。腰の痛みは少しだった。
 
もしかしたら、土曜日通院しなくてもいいかもしれない。

そう思ったが
翌週の土曜日はやはり仕事で通院できないので
今のうちに行くしかなかった。

 
 
土曜日の午前中に出掛けたかった私は
朝一で病院に行き、並んだ。
トップバッターだった。

レントゲンを撮り、見せてもらうと
見覚えのある骨の左ズレが写っていた。
誤算だった。
左ズレはこれで四回目のベテランなのに、痛みの強さや位置が異なるとは。

 
今までと同様、電気治療と牽引を言い渡された。
コルセットや痛み止めは断った。
暑い時期にコルセットは蒸れるし、痛くて眠れないほどではない。

まずはベッドにうつぶせか座るか横向きに寝るように言われて、横向きに寝る。
何故私はいつもうつぶせだったのに今日は横向きになってしまったのだろうか。
寝にくかったので次回はうつぶせにしよう。

電気治療は私がストップをかけて強さが決まる。
ビリビリとして少し痛いけど気持ちいい。 
10分ほど行い、次は牽引である。

 
体に牽引ベルトを巻きつけ、ベッドに仰向けに寝転がり、腰を引っ張った。
今日は15kgの強さで、一回ごとに1kg負荷を増やし、最終的には25kgまでいくという。

…痛い。引っ張られると痛い。
しかも先程電気治療をした箇所が熱くなり、ビリビリと今痛くなった。

痛みを感じるならば、やはり腰痛はひどいのだろう。
起き上がる時、痛くてすんなり起き上がれなかった。

 
 
お母さんが入院してから、腰痛に耐えながら家事をしていたが、通院結果を伝えると、お父さんが「お風呂掃除を代わりにやるよ。」と言ったため、お願いいした。
確かにお風呂掃除は姿勢が辛かった。

 
お母さんは「お母さんのお見舞いより腰を優先して。」だとか「車の座布団をいいやつにしなよ。」だとか言っていた。
座布団はともかく、電気治療と牽引は午前中しかできないし、お見舞いは午後しかできないので関係ない。

 
私は考えた。
何故腰痛が再発したのか。
今まで骨がズレる時はそれなりの理由があったけど
今回は気づいたら痛くなっていた。

大きな原因が見当たらなかった。

 
そしてふと、気づいた。

3月に職場のリーダーが退職したこと・人事異動とお母さんの入院が重なったからではないか、と。

 
リーダーがいた時は重い荷物をよく運んでくれたり
体重が重い利用者の支援を代わってくれた。
不穏な利用者がいたら、リーダーがおさえてくれた。
送迎も手分けした。

 
だけど今は、通常の仕事に加え、リーダー役割も担っているに等しいため、重い荷物を運んだり、重い利用者・不穏な利用者の支援をする時間が増えた。
パソコン業務も増えたし、リーダーが退職してから環境悪化により、狭い場所でのパソコン業務も増えた。
送迎頻度も上がった。

 
 
リーダーが退職した頃と母の入院はほぼ同時期で
お母さんの入院により家事の時間がグッと増えた。
くつろぐ時間は激減し
腰を使う時間が増えたともいえる。

 
 
お母さんとリーダーの顔が浮かぶ。
涙が込み上げた。

私はどれだけお母さんとリーダーに守られて過ごしていたのだろうか。

私の軟弱な腰は、もういっぱいいっぱいだと叫ぶように軋んでいる。 
 
 
お母さんの退院は予定では二ヶ月後だ。
腰痛はいつものパターンなら三ヶ月寛解までかかる。

…間に合わない。
お母さんが退院したら、車椅子を持ち上げたりもしなくてはいけないのに。

 
 
職場に診断結果を伝えよう。
もう少し力作業の負担を減らしてもらおう。
電気治療や牽引もなるべく行かなきゃ。
一日も早く治さなければ。

強くならなきゃいけない。

リーダーはもういないし、お母さんはもう二度と前のように体は動かないのだから。

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