将来は家を継ぐ予定
私は本家の娘として生まれ育った。
それは私が逃れられない宿命なのだ。
部屋を整理している時に、偶然家系図が見つかった。
分かっている限りでは8代目まで描かれていた。
その前の記録は残っていないので分からないが、とにかく私は何代目かの本家の次女として生を受けた。
「姉かともかが結婚して家を継ぐんだよ。」
小さい頃から、そう言われて育った。
それは親が望むことで、大切な任務だと私達は感じた。
お互いに「私が継ぐ。」と言い合った。
周りが「将来の夢はきれいなお嫁さん。」と憧れている中、私は「将来は家を継ぐ。」と強く思っていた。
小学生の時に好きな人ができた時に、好きな人の名字を自分に当てはめた。
画数が良いとか悪いとか、そういったことで一人盛り上がりつつも、私はどこかで「あり得ない。」とも思っていた。そんな未来はあり得ないのだ。
私は家を継ぐ以上、一生真咲ともかだと覚悟していた。
他の女友達のように、結婚した時に私の名字が変わることはあり得ない。
「私が多分、家を継ぐだろう。」と確信的に思ったのは、小学校高学年の頃だった。
父親が4人兄弟の末っ子で、祖父が7人兄弟の6番目だったからだ。
代々我が家は兄弟の上が継がないらしい。
だから私の代もきっと、私が継ぐことになると思った。
実際、姉は早々に結婚し、家を出た。
今までの代と同じ現象が起きていた。
姉は長男の元へ嫁いだ。
同居ではなかったが、立場上何かがあれば、旦那様の実家に入ることになるだろう。
私が家を継ぐことは確定に変わった瞬間だった。
姉は子どもが好きで、早く結婚したい人だった。
そして前々から結婚したいと言っていた年齢で、見事結婚した。
相手がいないと、そして相手が了承しないと結婚はできない。
有言実行はすごいなと思った。
私は姉とは異なり、27~28歳で結婚したいと思っていた。
三年以上付き合った人と結婚し、可能であれば仕事は続けて、30歳前に二人子どもが授かれたら良いと思っていた。
そして私は23歳の時にお付き合いを始めた方がいた。
結婚前提の付き合いで、お互いに家族公認の仲だった。
当時は片道二時間かかる場所で別々に暮らしていたが、小まめに連絡はしていたし、デートもしていた。
彼が職場を他県で選べるというタイミングで、私の家の近くで同棲を始める予定だった。
「仕事をしているともかが好きだ。」と言ってくれて、結婚してからも仕事を続けることに賛成してくれた。
だから付き合って三年以上が経ち、結婚までの道を順調に歩いていると思っていた時に
彼から別れ話があった時は愕然とした。
「ともかを嫌いになったわけではないけど、昔好きだった人に告白されたから、その人と付き合う。」
別れる理由はそういったものだった。
私はその人から三度告白された。
元彼を吹っ切れていなかった私は、それを正直に伝えたが、「それでも構わない。俺が幸せにする。」と押しに押された。
そんな始まりでも、私は私なりに相手を大切にしていたし、本気で結婚を考えていた。
私の未来図には確かに彼がいた。
だけどいつからか、彼の気持ちは変わったのだろう。
合鍵をもらっていて、彼のアパートにはほぼ毎週行っていた。
携帯電話やパソコンのパスワードも聞いていて、「好きに見てもいい。」と言われていた。
本人の目の前、本人がいない時に見ても、浮気している様子はなかった。
他の女性の気配に全く気づかなかった。
「浮気したら殺していいよ。そんな最低な奴、捨てちゃいなよ。」そう笑い話で言われたことを思いだした。
浮気じゃなくて本気の場合を考えたことがなかった。
捨てられるとは思わなかった。
明後日デートの約束だってしていたのに。楽しみにしていたのに。
毎日メールも長電話もしていたのに。
三年以上一緒にいたのに、私には足りなかった。
昔好きだった人から告白されたとしても、「俺には彼女がいるから。」と彼が断るだけの魅力が
私には足りなかった。
私には女としての魅力が、足りなかった。
母親は「諦めるな。戦え。お母さんが電話かけてやる。」と泣きながら言った。
漫画NANAで、ナナがハチに、章二と幸子の浮気を見た直後に言ったように。
私はハチと一緒だった。泣きながら「もういい…。」としか言えなかった。
二人が両思いだと分かっていて、捨てられた私が、何をどう戦えばいいというのだろう。
私には思い描いていた未来を諦めるしかなかった。
付き合うことは難しい。
婚約することはより難しい。
結婚することは更に難しい。
離婚することは結婚より難しい。
私が婚約破棄をしたように、私の周りの友人三人がほぼ同時期に婚約破棄をした。
長年付き合った恋人との婚約破棄だった。
周りの話を聞き、また実際私も体験し、こんなに婚約破棄は多いのかと驚いた。
そして、私達四人は共感し合うことができた。
未来をなくしたのだ。
中には結婚の為、引っ越したり、仕事を辞めた人もいた。
婚約破棄したからといって、引っ越しや退職をなかったことにはできない。
私達はとにかく先に進むしかなかった。
もう戻ることはできない。
10代の頃は恋人がいなかった私も、何故か20代になるとモテた。
告白されることも何回かあったし、恋人が途絶えなかった。
だけど恋愛は上手くいかなかった。
結婚には繋がらなかった。
婚活もできる限り行ったが、傷ついたり、怖い思いをするたびに、私はどんどん婚活にも恋愛にも疲れ切っていた。
周りの友人がどんどん結婚し、子どもを産んでいく中、私は30歳を過ぎた。
「家を継がなきゃいけないのに、私では力不足だ。私の代で家を潰してしまう。」
そんな思いが常にあった。
だから、乗り気ではなくても、婚活は続けた。
気になる人がいても、家を継ぐことが難しいと思うと、私は一線を引いてしまった。
逆に、家を継いでくれそうな人が好意を抱いてくれると、乗り気ではなくても、前向きに検討しようと思った。
20代前半まではこんな恋の始まりではなかった。
だけど、27歳を過ぎてから私は、「失敗ができない。」と力んでいた。
若い内に出産した方がいい。
結婚したからといってすぐに妊娠できるとは限らない。
次に付き合う人と結婚したい。
もう別れたくない。
私が家を継がなきゃいけない。
私しか家を継ぐ人はいない。
それは強迫観念に近かった。
家を継ぐとかそういったことに気を取られず、好きな人と結婚し、その人と生活できる人が心底羨ましかった。
私にはそれが許されないのだ。
焦る私に両親が「もう家を継ぐことにこだわらなくてもいいよ。好きな人と結婚していい。」と言った時には
私はもう手遅れだった。
解放されることはなかった。
親が望む、望まないは関係なく、私が家を継ぎたかった。
それは私の任務で宿命で
私は自分が出来損ないだと痛感した。
どんなに頑張っても、恋愛が上手くいかない。
結婚できない。
「まだチャンスはあるよ。諦めないで。」
そう両親が言っても、アラサーになってからの数年間の婚活や結婚に至らない恋愛に、私はとうとう根を上げた。
「私はもう無理だわ。結婚できる気がしない。やるだけやったけど、もう無理なんだわ。跡取りは真剣に、私以外を考えよう。」
婚約破棄から5年以上だ。
とうとう私は敗北宣言を告げた。
結婚願望が強い人はみんな結婚した。
離婚率が高い中、なんやかんやありつつも、私の周りの友達は離婚者がいなかった。
マイホーム率も高く、そういった同級生を見れば見るほど、私は出来損ないだと思った。
結局私は、結婚願望が弱かったのだろう。
家を継ぐことに対しては意識が強かったが、結婚や子育てへの憧れは女性の中では低い方だった。
婚約者となら、好きな人となら、結婚したかった。
だけど、「適齢期だから、今までの人生の中で一番ではないけど、今付き合っている人や好いてくれる人と結婚する!29歳までに絶対に結婚する!」そういった強い思いは確かになかった。
私は気持ちで負けたのだ。
色々足りないものはあったが、一番は自分の気持ちとそれに伴う行動力が足りなかったと思った。
のちに、元婚約者から復縁を迫られたが、私は断った。
「一度男女がダメになると、復縁してもまた同じ理由でダメになる。」そうある人が言っていたが
私は復縁の話を聞きながら、確かにそうかもしれないなぁと力なく笑った。
久しぶりに話せば懐かしさを感じ、楽しかった思い出が蘇る。
好きだった。確かにあの時は好きだった。
だけど、別れた時に私が感じた気持ちや、色々な体験をなかったことには決してできない。
好きなのは今じゃない。
同じ人とやり直しても、もう今更、あの未来は取り戻せない。
私は思い描いた夢を思い浮かべては、時々涙した。
どうしてこうも不器用なのか。
この手を再び掴めば、あの日夢見た続きが手に入るのかもしれないのに
もう30歳を過ぎて、そう贅沢なことも言っていられないのに
どうしても心が拒む。
嫌いになったわけではないけど、もう付き合うことはできない。
あの時、まさに彼が言った言葉そのものじゃないか。そう思うと、涙も出ないで笑えてきた。
27~28歳で結婚できていたら…
何も知らないまま、あのまま結婚できていたら、きっとそれが一番よかった。
だけどもう、決して戻れない。
改めて、さよならを告げて、もう二度と連絡を返すことはしなかった。
家は継げない不出来な娘だけど、代わりに仕事は全力で頑張る。
両親が年老いたら介護も頑張る。
敗北宣言をした後、私は本気でそう思っていた。
仕事は大変だけど、私を裏切らない。
仕事は楽しいし、趣味もたくさんあった。
恋愛をしていると、上手くいっている時は幸せだけど、振り回されて心身やられてしまう。
私の友達の半数は独身だった。
こだわることはない。
今は未婚率も高いし、結婚よりむしろ老後を考えた方がいい気がした。
実際、周りの友達は大概が諦めていた。
以前は集まれば恋愛や結婚に向けての話をしていたはずが、結婚はできないだろうから、一人でいかに生き抜くか、貯金や保険はどれくらいが妥当か、そんな話をするようになった。
夢ばかり見ていられない。
現実を見るようになったのだ。
だからそんな時に、まさか仕事を辞めざるを得なくなるとは思わなかった。
私からは決して仕事を辞めないと思っていた。
思っていただけに、今年の春に辞めるしかないと追い込まれた時、私は終わったと思った。
婚約破棄になったから
婚活頑張ってみても恋愛恐怖は増すばかりだし
それならば仕事を全力でやろうと
そう思うことさえ
私には許されない世界だというのか。
私はどこで道を間違えたのだろう。
自分の気持ちのままに真っ直ぐに取り組んできたつもりだった。
だけどやっぱり、私自身に欠落したものがあるから、上手く生きられないのかな。
私は、恋愛が不向きなんじゃない。
人間として、生きることに不向きなんじゃないか。
今、今まで生きてきた中で一番、世界全体が大変な時だと思う。
今まで当たり前にできたことに制限がかかり、今後のことを考えると不安に押しつぶされそうになる人がたくさんいるだろう。
確かに私も大変だし、辛い状況だ。
日々の中でストレスを感じもする。
だけど、それがなんだというのだろう。
婚約破棄と仕事を失った悲しみは、今も私の中で続いている。
それに比べたら、今がなんだというのだろう。
未来が上手く思い描けない。
これからどう生きたらいいかが、分からない。
時々、強く不安になることがある。
「未来がほしい。その目標に向かって頑張っていけばいいような、明るい未来がほしい。」
婚約破棄をしてから私が何度も口にしてきた台詞だ。
今一番ほしいもの。
今も昔も変わらずに追い求めているものだ。
人生に悔いは一つもない。
もしもを考えることはあっても、あの日に戻りたいとは考えない。
思い出は美化されるし、戻れたとして上手く修復して幸せになれる保障なんて一つもないのだ。
いつだって私は傷を抱えて生きてきた。
どの時代も悩みや苦労や大変なことはあった。
楽な時代なんて一つもない。
だけど、楽しくない時代も一つもない。
全てを乗り越えた訳ではない。
忘れられないものを抱えつつ
私は前を向こうとした。
次へ行こうと思った。
今自分にできることをやるしかないと
その先に道が拓けると
いつだってそう思っている。
私は私らしく生きてきた。
自分なりに考えて選択をして生きてきた。
得たもの、失ったものを抱えて
今もこうして生きている。
今までよりも今日の自分がいつだって最高でありたい。
その思いを忘れなければ、きっと今日は素敵な一日になる。
それが明日や未来にも、きっと繋がっていくと信じてる。
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