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約40歳年の離れた元同僚

私がその職員Aさんに初めて会ったのは今から10年以上前のことだ。

私は学校を卒業した後に障害者福祉施設に入職した。
社会人一年目の頃に某事業の立ち上げをし、それから責任者として働いていた。

 
私が働き出してしばらく経った頃だ。
当時、施設では看護師の求人を出していたが、なかなか見つからなかった。

 
障害者福祉施設の某事業には看護師の方がいなければいけない。
常勤でも非常勤でもいいらしい。

 
だが、看護師の方はなかなか見つからなかった。
それもそのはずだ。

看護師は引く手あまただ。
病院で働いた方が給料が高いし
福祉施設で看護師として採用されても福祉職としての動きも求められる。

わざわざ好き好んで福祉施設で働きたい看護師は少数派だろう。

 
求人を出してもなかなか看護師が見つからない中
施設長はAさんの名前を挙げた。
以前施設で働いていた方だが、一身上の都合で辞めた方らしい。

Aさんに連絡すると二つ返事で「また働きたい。」と言ってくれ
採用はあっという間に決まった。

所属先は私が責任者として働いていた事業部だ。

 
Aさんは私より40歳くらい年上だった。
私は職員の中で最年少だったが
Aさんは逆に最年長職員だった。

 
私は事業責任者をやっていた為
40歳年上だろうが、元職員だろうが、立場上は私の部下に当たる。

 
一見するとやりにくそうな関係性や立場だが
私とAさんは意外にも馬が合った。

 
Aさんは仕事熱心だった。
小さな体でよく動き、よくしゃべり、情熱的で人情家でもあった。

私にとっては父親のような年齢であり、存在でもあった。頼りがいがあったのだ。

 
怪我をした時や具合が悪い時は公私共にAさんを頼った。
悩み事があった時は人生の先輩であるAさんを頼った。

AさんはAさんで、年下で異性である私を見下したりせず
責任者として立ててくれた。

 
私が働き出して11年目の時
理不尽な人事異動と上による心ない言動により退職を決めた。

それをAさんが聞いた時、理不尽さに腹を立てた後に
「もうここに帰ってきてはいけないよ。上と上手くいかないなら、もう一緒には働くのは無理だろう。」と私に言った。

それが私がAさんと交わした最後の会話になった。

 
あれから4年の時が流れた。

 
退職後、私は別の障害者福祉施設に入職した。
前職と同じ職種であり、障害者福祉施設という共通点もあるのに
価値観は180度ちがかった。

 
私は今までAさんや周りの職員、利用者、保護者に甘やかされていた。

仕事で辛い思いをしたり、合理的で冷静な同僚の言動を聞くとAさんを思い出した。
もしもAさんならこんな時、怒ったり、慰めてくれただろう、と。

 
前職時代、私は感情を剥き出しに仕事をした。
責任者として上に意見を言ったり、議論をしたり、利用者や同僚、保護者にも言いにくいことを言わなきゃいけないことも多々あった。

 
だけど転職してから私は前職ほど感情は出していない。心を開いていないと言ってもいい。
周りの同僚や利用者や保護者がそういった大人の対応をしているから
私も合わせて大人の振りをしていた。

 
転職して三年目に入り
私は壁にぶつかっていた。

仕事の忙しさに上との価値観の違いや上の対応への不満や不信感が重なり
メンタルがやられていた。

 
このままここで働いていていいのか。
このままここで定年まで働きたいとは思えない。

そんな思いが膨らんでいた。

 
かといって私から仕事をとったら何も残らない。
結婚をしていないどころか恋人がいない独身30代女性が将来へのビジョンもなく
闇雲に仕事を辞められるわけもなかった。

 
悶々とした中、久々の3連休がやってきた。
祝日が仕事である転職先で3連休は本当に久しぶりである。

 
久々のライブや久々に友達と会えたことでテンションが上がっていた時
私は偶然、Aさんに再会した。

 
マスクをしていたが、Aさんだと思った。
しばらく見つめていると、Aさんも私に気づいて見つめ返し、マスクを外した。
私もマスクを外した………紛れもなく、Aさんだった。

「Aさん…………!」

私は泣いた。
まさか会えるとは思わなくて泣いた。

 
Aさんは一緒にいたご家族に、私は一緒にいた友達に、それぞれに二人で話したいと告げ
椅子に二人で座った。

 
Aさんは今年仕事を退職したらしい。

私が退職してからあった上からの理不尽な言動をぶちまけ、穏やかではない退職だったことを伝えてきた。

 
何故か私の職場は10年以上働くと辞めるよう仕向けられる。
10年働いた人を大切にしていないと言ってもいい。

結局はイエスマンや仕事ができない人が上からはやりやすいと求められ
施設をよりよくしようと情熱を持った人は煙たがられた。

 
私やAさんだけではない。
今までそうやって何人が退職に追いこまれてきただろうか。

 
まさかAさんまでとは。

私はそれを聞いて落ち込んだ。

 
私は私で近況を話した。
退職後、心の整理をつけるまで一年かかったこと。
転職先で思うことがあること。
今でも前の職場が気になっていること。

 
「俺は未練はないよ。」

Aさんはキッパリ言った。
本来ならば、退職届を出す人はそうなのだろう。
私はそう言い切れる人が羨ましかった。

 
「最後に言っただろ?もう帰ってきてはいけないよ、って。」

「分かってます……帰れないことは分かってます。上とあんなことになった以上、上がまだいる以上、私はもう絶対戻れませんよ。上がいなくなるか私がいなくなるか、の問題でしたし。
ただ、全ては割り切れませんよ、私はずっとあそこで働きたかったって、最後の日も言ったじゃないですか…。」

 
Aさんと働きたかった。
同僚でありたかった。
利用者や保護者や同僚みんなと離れたくなかった。

人事異動したくなかった。

事業責任者として、あの事業で働きたかった。

 
だけど人事異動か退職かしか私には道はなかった。だから退職した。

 
「久しぶりに会ったのに、愚痴り合いになっちゃったな。」

Aさんが言う。

 
最後に会った送別会の日
私は辞めたくない、まだ働きたかったと言い
4年ぶりに再会したのにまだ
同じようなことを言っている。
成長していない。

 
「ともかは成長していないと思った。」

初めて付き合った彼氏に別れ話で言われた言葉が不意に蘇る。あれは真理だった。

 
私は成長していない。
ずっと成長していない。
だからあそこで働き続けられなかった。
分かっている。

私に力がないから今がある。

 
前の職場に出会って実習やボランティアをした1年、働いた11年。

退職してからの4年。

 
私は一体何をしていた?
何が変わった?
何ができるようになった?

 
いい報告をしたかった。

結婚しただとか、転職先の仕事はやりがいがあるだとか、なんでもいいから
明るい話題をしたかった。

なのに、なんてざまだ。
かっこ悪い。

 
Aさんは就職活動中だという。
年齢の関係でなかなか上手くいかないらしい。

次で働いている私の悩みは
職探しをしているAさんからしたら贅沢なのだろう。

 
先日、1年前転職した友達が仕事を辞めると話を聞いた。

転職先でよりよく働くことの難しさも改めて感じる。

 
Aさんはご家族に私を「前一緒に働いていた方で上司の方。でも、上司とはいっても他の方と違って偉ぶらない人。」と紹介してくれた。

私は私でAさんを頼りにしていたことを話した。

 
今でも覚えている。
Aさんと働いた日々。
約9年一緒に働いた。

楽しかったな。たくさん笑ったり、理不尽さに一緒に怒ったり、落ち込む私を心配して慰めてくれたな。優しかったな。

 
Aさんは真っ直ぐな人だった。
真っ直ぐに私を見て、受け入れてくれた。嬉しかったな。

Aさんの目が私は好きだった。
優しくて情熱的で、あたたかい目をしていた。
今でもあの頃と目の輝きが変わらない。私の好きな目だ。

 
Aさんとは結局一時間くらい話した。

 
生きて今日会えて嬉しかった。話せてよかった。

今日は愚痴り合いになってしまったけど
次に会う時はいい報告ができるように、と笑って別れた。

 
いつかこんな日々もあったと笑い話にできたらいい。

 
今はまだ、退職する前に死ねたらよかったと正直思ってしまうけど
あの退職があったから今の幸せがあると
いつか心から思えたら、いつか心から言えたらいい。

 
もう戻れない。
もう帰れない。
もう行くしかない。

行くしかない。

 
Aさんと別れた後、久しぶりに前の職場の道を通った。
涙が込み上げた。

あそこでは私のいない日常が当たり前に存在している。

 
進め。
進め。
嘘でも前へ。次へ進め。

 
 
とりあえずは
3連休を楽しもうと思った。

 
そして来週もまた頑張ろう。
来週は大きな行事があるし、私は役割を任されている。

全うしなければ。

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