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書道教室はお化け屋敷

私が小学校一年生の頃、親から習い事について話があった。

私は幼稚園年中からピアノ教室に通っていて、小学校に入学してから水泳教室に通っていたが
二年生になったら、そろばん塾と書道教室に通う予定らしい。

 
当時は月~土曜日まで学校があり
土曜日は半日授業だった。

火・木・土がそろばん塾
水曜日がピアノ教室
土曜日が水泳教室
日曜日が書道教室

という習い事が、日課に組み込まれる予定だった。

 
土曜日は半日授業の後に自宅でお昼を食べて、自転車でそろばん塾に行き、帰宅後はバスで水泳教室に通っていた。

 
 
二歳年上の姉が同じ過ごし方をしていた。
だから疑問はなかった。
年齢が達したから、姉と同じ道を進むのは当たり前だと思っていた。

「そろばん塾に通うと、算数が得意になる。」
「水泳教室に通えば、泳ぎが得意になる。」
「ピアノ教室に通えば、色々な曲が弾けるわ。」
「書道教室に通えば、字が上手になる。」

母は繰り返しそう言った。

 
姉はマイペースな人間で、周りから指示をされることを嫌った。
だから習い事は親に言われて仕方なく通っていた。
だから目標を達成したら、サッサと辞めた。

例えば水泳教室なら「平泳ぎマスターをする」、そろばん塾なら「珠算・暗算共に三級取得」……等
習い事には、親が設定した目標があった。
その目標を達したら辞めていいし
続けるのもまた自由だった。

 
私の四歳上の従姉妹も書道を習っていて
しょっちゅう賞をとっているらしかった。

 
 
私は自分が他者より不器用だと自覚していた。
目立たないし、かわいくないし、パッとしないし、内向的だし
とにかく人よりできないことだらけだった。

だから、普通になりたかった。
できることを増やしたかった。
クラスメートに負けたくなかったし
姉や従姉妹に近づきたかった。

 
マイペースな姉とは異なり、私は負けず嫌いで
習い事には積極的だった。
私は努力をしないと人並みになれないし
努力をしても、まだまだ上には上がいた。

 
 
だが、そんな私が唯一難色を示したのが書道教室だった。

書道教室はそろばん塾に向かう途中の道にあるのだが
やけに古びた建物で、道から離れた奥まった場所にあった。
敷地内にある柳の木がまた恐ろしい。
お化け屋敷としか思えなかった。

 
私はお化けもお化け屋敷も大嫌いで
お化けの絵本や
ゲゲゲの鬼太郎(正確にはこちらは妖怪だが)や
遊園地のお化け屋敷を避ける子どもだった。

「お姉ちゃんも一緒だから大丈夫よ~。」

母は呑気なことを言う。 

 
バカなこと言っているんじゃない。
姉がいようと怖いものは怖い。
まして書道教室は夕方だ。
お化けが出てくる時間じゃないか。

 
 
そんな中、私は既に書道教室に通っていたクラスメートから、恐ろしいことを言われてしまった。

「ともかちゃんのお姉ちゃんね、この前正座させられて怒られていたよ。」

 
初聞きだった。
私はビックリして、帰宅後に姉に聞いてみた。

 
姉「あ~怒られたよ。止めやはねが、どうのこうの。」

 
妹「正座で怒られるの?」

 
姉「書道教室だから、正座なんだよ。」

 
妹「そうなの!?」

 
姉「書道は正座が基本。」

 
妹「足、痺れないの?」

 
姉「そりゃ痺れるさ。」

 
妹「先生怖いの!?よく怒るの!?」

 
姉「そりゃ、いい字が書けなきゃ怒る時もあるだろう。」

 
 
姉は学校生活や習い事について、自宅でほとんど話さない性格だった。
だから友達や姉から聞いた話は衝撃だった。
友達はいかにも恐ろしそうに言い
姉は呑気に「怒られることもそりゃあるだろう。」と軽々しく言った。
その温度差が恐ろしい。

 
姉は人に興味がなかった。
だから誰が何をしていても、何を言っても
大して気にもしなかった。

だが、私は違う。
私はとにかく人目を気にする人だった。
怒られることを嫌った。
怒られないように、大人の指示に従い
ルール通りに生きてきた。

怒られる耐性が、私は姉より低かった。

 
 
私は母親に、勇気を出して言った。

私「お母さん…………私、書道教室行きたくない。」

 
母「なんで?習字や字が上手くなるわよ。」

 
私「だって、お化け屋敷みたいで怖い。柳の木も怖い。友達から聞いたもん、この前お姉ちゃん、怒られたんだって。

お姉ちゃんは気にしてなかったけど、お姉ちゃんは怒られるようなこと普段しないじゃん。そのお姉ちゃんが怒られるってことは、きっと先生怖いんだよ。
私はお姉ちゃんより不器用だもん。いっぱい怒られちゃう。やだ。怖い。

怒られる時、正座だって。書道も正座だって。正座で、怒られるなんて怖いし、足が痺れて足をくずしたら、もっと怒られそうで怖い。

 
そろばん塾は頑張るから、書道は行きたくない。」

 
 
私がヤダヤダ言ったのが効果的だったらしく、私の書道教室は免除された。
書道教室が嫌だったわけではなく、その書道教室が色々な意味で怖いので行きたくなかった。
ただ、それだけだ。

 
姉は書道教室に通っていただけあり、習字は美しかった。
だが、普段書く字は汚かった。書道教室に通っても汚いままだった。

クラスメートでいつも書道で入賞する子もそうだった。
書道教室に通っているだけあり、習字は人一倍上手かった。
だが、普段書く字はくせ字で読みにくかった。

 
 
書道教室に私が通いたかったのは、習字よりも普段書く字が上手くなりたかったからだ。
だから、姉や友達の習字と普段の文字の差を見た時

私もやっぱり通っていればよかった……

とは、全く思わなかった。

 
 
従姉妹はやがて10段までのぼりつめたらしいが
「そりゃあ、すごいね。」としか思わなかった。

 
 
あの日、書道教室を拒否した私の選択を悔いたことは一度もない。

私の書く字は決してキレイではないし、女性らしい字でもないが
自分で自分の字が好きだった。
味がある字で好きだった。

習字を習っていたクラスメートや姉よりも
私の字は整っていた。

 
 
書道はあまり好きではなかったから、授業中はやや憂うつだったが
書道の時に使う道具(文鎮や硯等)を用意し、それらを使うのは、非日常的で面白かった。

 
ただ、冬休みの宿題では、いつも書き初めが最後まで残った。
自宅で汚れないように準備をし、書き初めをすることが面倒くさかった。
昔は真面目に何枚も書いたが
私は毎年、一枚目が一番キレイに書けた為
やがて数枚だけ書いて、チャッチャと宿題を終わらせるようになった。

 
 
私は習字で一度も入賞はしたことがない。
だが、教室の後ろに飾られた習字は無難であった。
可もなく、不可もない。
それは悪くはない習字だった。

書道教室に通わなかった私のレベル通りの作品だ。

 
 
「書道教室に通わない代わりに、そろばん塾を頑張る。」と言った私は
言葉通り、そろばん塾を頑張った。
姉はそろばん塾は性に合わなかったらしく
三級を取得した瞬間に辞めた。

 
私は逆にそろばん塾が大好きで
珠算で初段、暗算で一級を取得した後
部活や塾との両立が難しくなり
泣く泣く辞めることになった。

 
  
 
 
私の中学生時代の担任の先生は書道で有名な人らしく
県内で五本の腕らしい。

 
そんな担任は、張り切って中間期末テストを全て手書きにしたが
達筆過ぎて読みにくく、生徒から大不評で
やがてパソコン打ちに切り替わった。

 
せっかく書道という特技があっても
なかなか披露する機会がなく、先生は少し寂しそうだった。

  
 
 
 
あれから時は流れ、姉は男の子を産んだ。

もうすぐ小学生の甥っ子はひらがなやカタカナを、我が家に遊びに来るたびに紙に書いた。
甥は習字を習っていないが、とても字が整っていて
姉の子だろうが
なんだろうが
字が上手い子は上手いよなぁと感心する。

 
姉は今のところ、子どもを書道教室に通わせる予定はない。
姉にとって書道教室は、子どもに通わせたいと思うほどの良さは得られなかったのだろう。

 
 
やがて書道教室は取り壊され、立派なアパートになった。柳の木ももうない。

爽やかな外観のアパートからは、昔ここにお化け屋敷のような書道教室があったことは
まるで想像がつかない。

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