見出し画像

初めての竹体験

私の職場は月に一回工作をする時間がある。

 
話によると、コロナ禍前は外部の方を招き、その方に工作を教わっていたらしい。
有償ボランティアだ。

コロナ禍により、その方をお招きするのを取り止め
リーダーが工作を担当していた。
私が転職してきたのはそのタイミングだった。

 
今年、コロナが5類に移行したため
久々にその方を招こうという流れになった。

 
話によると
以前はみんなで流しそうめんの竹を用意し、流しそうめんをしたらしい。

 
移転に伴い、流しそうめんはできなくなったが
今回は竹で器を作り、それでそうめんを食べようということになった。
風流だ。

 
工作の前日からリーダーは外で準備をしていた。
移転により動線や野外での水の確保が難しくなった。

当日もリーダーはバケツリレーの要領で
何往復もして水を地道にためていた。

 
講師の先生と職員で利用者が竹を切っている間
リーダーは講師の先生を補佐し
竹の器を洗ったり、合間に竹の箸を作っていた。

前施設長は補佐兼写真撮影係だった。

 
私は現場支援担当だった。

 
ビデオで以前やった流しそうめんやスイカ割りの様子を見た。
私がまだいなかった頃
こんなことをやっていたんだと知った。

流しそうめんでは麺や野菜だけでなく
ゆで卵や唐揚げを流していた。
利用者もそれらを流したり、食べたりと楽しそうだった。

 
私はかつて不登校の生徒と関わる実習で流しそうめんをしたので
それを思い出した。

 
流しそうめんは人を笑顔にする力がある。
竹の流しそうめんは格別にその力が強い。

 
順番にマンツーマンで利用者が竹割りをしていた。
中盤くらいに私の担当利用者の番になり、外へ行った。

 
雲っていたが、暑い。
最高気温35度だ。

 
竹はなかなか上手く切れなかった。
利用者はのこぎりを握りっぱなしがまず難しかったので
私が上から押さえ、のこぎりを引いたのだが
拒絶があったのだ。

なんとかめんつゆ用器ができてホッとした。

 
その後、ナタで竹を二つに割り、おかず用お皿を利用者と講師の方で作った。

 
やれやれ、なんとか終わった。

そう思った私に前施設長が
今度は真咲さんの番だと言う。
打ち合わせだと職員分は利用者や講師の方が作るという話だったが
どうやら職員も自分の分を自分で作るということになった。

 
「写真撮ってあげようか?」

前施設長が言う。
記念写真を私が好きだと知っているのだろうか。
はたまた、私ののこぎりの下手っぷりを見て
私が初心者だとすぐ分かったのだろうか。

 
なかなかにのこぎりに苦戦した。
ようやく竹の器ができた時は
額から汗が滴り落ちた。

 
室内に戻った後は
利用者が器やお皿に名前や絵を描くのを手伝い
その後は箸入れを折り紙で作るお手伝いをした。

 
竹の箸を作るのは講師やリーダーだが
箸入れは利用者が作った。

利用者が好きな折り紙を選び、折っていく。

 
なお、この日は職員が一人休みであり
私は室内撮影係でもあったのでなかなかにバタバタだ。

箸入れは比較的簡単に折れるが
それでも利用者で一人で折れる方はほとんどいないため
ほぼマンツーマン支援となる。

できあがった竹の箸と箸入れは使わずに持ち帰りだ。

 
竹の器とお皿は早速給食で使った。
そうめんやおかずが乗った竹のお皿は風流だ。
竹の器にそうめんをつけて食べるのも趣がある。

流しそうめんもいいが
自分で自分の竹の器を作り、使うのもまた素敵だと思った。

竹の器を作るのも使うのも私は初めてだった。

 
利用者によっては竹の器は不安定で使いにくかったし
めんつゆは薄まって物足りなかっただろうが(途中付け足しはしたが、言えずに食べきってしまった方もいただろう)
それでもこれも含めてきっと夏の思い出だ。

 
午後は竹やチラシを使って輪投げを作り、遊んだ。

道具をまず利用者と作る点がよいと思った。

 
 
竹が新しいため
今回作った竹の器やお皿は三日くらいでカビがはえて使えなくなるらしい。

数日間しか使えない、謂わば使い捨ての竹の作品だ。

 
自宅に持ち帰った利用者はその日の夕飯もそれを使って楽しんだのだろうか。

 
私も持ち帰ろうと思ったが
誰かが持ち帰ったらしく、どこにも見当たらなかった。残念。






この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?