見出し画像

入院7日目:あれから一週間

母の入院から一週間が経った。
あの日は晴れていたけど、今日は小雨の朝だ。

 
通勤途中、母からLINEが届く。

 
一週間前の7:45は、まだ誰も母の不調を知らなくて
いつも通りの朝が始まると思っていた。

 
この一週間で、確かに生活は大きく一片した。

 
ほとんど家事も料理もしない生活だった私が
毎日家事や料理をこなしている。

土日に出掛けたり、読書が好きだったし、物欲も強かったけど
土日に出掛けたのは母の面会くらいで、どこかに遊びに行きたい欲は下がり
読書をする時間や余裕もなくなり
物欲も減った。

 
一週間前の私が知ったらきっとビックリするだろう。
あんなに料理をしなかった私が、毎日残り物や賞味期限を確認して買い物をし
献立を考え、料理をしているなんて。

 
こんなに生活が変わったのに、今のところ特に大きな不満はなかった。

 
今までは毎日母に仕事の愚痴をこぼしたり、日々楽しいことや嬉しいことを話したりしていたのに
私は仕事の愚痴をこぼさなくなった。
楽しいことや嬉しいことも全ては話さなくなった。

話すことは体調が大丈夫かどうか、家事や料理のことが中心になった。  

 
今まであんなに毎日母と話して過ごしたのに。
夕飯後は二人で甘いものをシェアするのが楽しかったのに
最近は甘いものを食べる時間も減った。

  
一週間前の私は、よく母に怒っていた。
世界で一番信頼し、愛し、自分をぶつけられた相手が母だった。
今思うと、些細なことで甘え、期待し、よく私は苛立ち、怒ったりしていた。

母が入院してからは、我ながら優しい娘になった。 たった一週間で変わったのは生活だけではない。

環境が私を変えたのだ。

 
仕事から帰ってきたら座るまもなく家事や料理をこなし
なんやかんや終わると23:00近かった。

一週間前の私なら、寝ている時間だ。

 
面会時間は限られているし、今は電話もできない。
ただ、毎日LINEはしている。

 
 
入院から一週間後からリハビリスタートと聞いていたが
実際には明日かららしい。

背中の真ん中辺りの脊髄が梗塞していた、と病院側から父に話があったらしい。
ソーシャルワーカーと今後を相談していく、と。

 
朝は私にしんみりしたLINEをしてきた母だが
父が会いに行った時は、顔色もよく、体調もよさそうだったようだ。

ベッドに腰掛けたり、できる範囲で体を動かしたりしていたらしい。
痛覚がなかった右足だが、少しずつぼんやりと痛覚を感じたりもするらしい。

 
治療が効いているのか、悪化はしていないようだ。

 
 
母は愛してやまない金魚を手放すことに決めた。
入院が長引き、今後世話が難しいと分かったのだろう。

 
今まで畑や庭いじりが趣味だったが、そちらも難しくなるだろう。
種芋を買ってしまったらしく、父が「今年だけお父さんがじゃがいもは作ろうと思う。」と私に言った。

父は農家のせがれだが、農業は好きではなく、教員の道を歩いた人だが
母のために一年は頑張ろうと思ったようだ。

 
 
夜は鮭のバター焼きを作った。

我が家は毎週日曜日の朝は焼き鮭が定番で、私も父も好きだった。
母の入院後、料理役が私となり、料理のバリエーションは変わった。
同じものもあるが、大きく変わった。

バター焼きは初めて作ったが、我ながら上手くできてよかった。

 
 
夜、家事をしながらYouTubeをテレビで見ている。
不意に流れたNoz.さんの「さよなら愛しき面影よ」が胸に染みた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?