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天罰は下るだろう

私は「神様は乗り越えられる試練しか与えない。」という言葉が大嫌いだ。

 
例えば、不妊治療をしても子どもが授からない人は、何か悪いことをしたのか?
イジメを受けて自殺した人は、心が弱いのか?
虐待された子どもは、虐待する親を愛することをしなければいけないのか?

 
それが神様が与えたとかいうその人の試練なら
私はその神様は残酷だと思う。

 
結婚していたって浮気する人はいるし
虐待している人に子は授かる。

イジメをした人はイジメられた人が自殺しても平然とし
結婚し、子どもを授かり、出世し
所謂幸せな人生を送ることは多い。

 
人生は理不尽でみんな平等に不公平だ。

いい人が損をしたり
努力をしても報われなかったり
そんなことばかりを感じる。

かといって
じゃあ悪いことをしたいとは思わないし
努力をやめたいとは思わない。

 
そういう自分が、自分で嫌いだからだ。

 
 
知人の話だ。

知人は昔からヤンチャで、刑務所にも入っていた。
たくさんの人を泣かせ、イジメ、薬をし
浮気もたくさんしたが
出所した後は社長になった。

 
社長になってから、やがて結婚し、子どもを授かるが
その人は不倫をした。
家庭をないがしろにして、夜な夜な女性に貢ぎ、遊びほうけた。

 
その女性は、離婚を催促した。
家に乗り込んだ。

そして、離婚は成立した。
だが、幸せは長く続かなかった。
再婚してわずか三ヶ月後、若くして病で倒れ、体には麻痺が残り、脳にも後遺症が残った。

 
仕事はできなくなり、一人でトイレや移動もできなくなり、生活保護で生活するようになった。

「俺が愛していたのは奥さんだけ。願いが叶うならまた働きたいし、子どもに会いたい。」

と繰り返したが
元奥さんも子どもも心底父親を軽蔑した。

 
再婚相手の女性は、再婚してわずか三ヶ月で、その後旦那さんの介護生活に入る。
20代で、だ。
社長夫人になったのは、わずか三ヶ月だったのだ。

 
 
私はその話を聞いた時、その件に関しては天罰だと感じた。

 
よりよく生きても報われないことはたくさんあるが
人をないがしろにしたり
責任をもたない生き方をしている人は
遅かれ早かれ天罰が落ちると
私は信じている。

 
激しく傷つけられた時
私の心の中は怒りや憎しみや悲しみや寂しさに支配され
相手の不幸を願ってしまう。
そんな自分が嫌で、私は自己嫌悪に陥る。

 
自分を傷つける人とは関わらないことが一番。
自分を大切にしない人とは関わるだけ無駄。

 
それは分かっていても、好きな気持ちや承認欲求が
余計に私を苦しめるのだ。
忘れることも許すことも無関心になることもできない。

 
「大丈夫だよ。必ず天罰は起きる。ともかちゃんが手を汚さなくても必ず天罰は起きるよ。」

 
友達は繰り返し私に言った。
私がされた仕打ちを聞いて、友達はまるで自分のことのように怒り、泣いてくれた。
そんな優しい友達がいたから、私はまだ魔物にならなくてすんだ。

どんなに誰かを憎んでも、手を下そうとはしなかった。
どんなに相手からひどいことをされても、グッと我慢できたのだ。

 
 
 
そして本当に、天罰は起きた。

私は驚いた。
知人のケースと同じだ。

 
絶妙なタイミングで、その人に最大級の不幸が起きた。
私は震えたし、友達は「間違いなく天罰だ。」と言い切った。

 
悪いことはするものじゃない。
神様は見ているのだ。

こんな時ばかり、私は神を信じてしまう。
私も大概、単純だ。

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