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学年で1位をとったら10万円

私が小学生の頃の話だ。

確か小学生になってから、月額のお小遣い制度がスタートした。
ご家庭によって月額お小遣い制度を採用したり
買い物があるたびにお金を渡したりと
様々な考えがあるだろう。

知人がかつて、毎日お小遣いを500円もらえたと言っていたが
月額制ではなく、毎日お小遣いを渡す家もあったと思う。

 
 
我が家は月額でお小遣いをもらいつつ
家族とどこかに買い物に行くと、「●●を一個だけ買ってあげる。」制度があった。
だから買い物には小まめに、様々な家族と行った。

母親とも行くし
父親とも行くし
祖母とも行った。

私は妹で、下の子らしく、実にしたたかで打算的だった。
孫に激甘な祖母はお菓子やオモチャをよく買ってくれたし
「お母さんやお父さんには内緒だよ。」と言って、お小遣いをくれた。
ティッシュに包まれた1000円札は、祖母からの臨時お小遣いの証だった。

 
私はしたたかで打算的だが、両親に祖母からのお小遣いは必ず報告した。
内緒でお金のやり取りをしたり、両親に黙っていることが悪いことという認識はあったし
そもそも同居している祖母と10歳未満の孫で
そんなに上手に隠し事ができない自覚があった。

祖母は嘘や隠し事も苦手だったし
私はそんな祖母によく似た孫だった。

嫁姑の関係や祖母の善意を無碍にしてはいけないという思いがあったのだろうが
祖母からのお小遣いを申告したといって
そのお金が没収されることもなかった。

「おばあちゃん、いつもすみません。」

だとかなんだとか親が言って
ティッシュに包まれた1000円札はそのまま私のものになった。
だから、それならば隠し事をする必要はなかった。
人生は後バレが大抵問題になるのだ。

 
 
祖父は寡黙であり、家族(というより人間)とはほとんど話さなかったが
祖父なりに孫はかわいい存在だったらしく
時折私にお小遣いをくれた。
パチンコで勝った時は機嫌がいいらしく
祖父が私にお小遣いやお菓子をくれる時は
パチンコで勝ったんだとすぐに分かった。

こちらも同じく両親に報告したが
やはり没収されることもなかった。

 
 
そんなわけで、私はおそらく周りの友達と比べたら、お小遣いに恵まれた家だったと思う。

お菓子も常に大量にストックがあったし
上には姉がいたし
近所には仲の良い、年上のいとこがいた。
お下がりで洋服やオモチャをもらえる環境でもあった。

 
 
更に、我が家ではバイト制度とボーナス制度も導入されていた。

母親の肩たたき10分100円、母親の白髪抜き一本3円だ。

私の中で、「家族が疲れているから肩を叩こう。」という優しさから生まれた肩たたきはない。
私と姉は小遣い稼ぎに母親の肩を叩き
また白髪を抜いた。

 
肩たたき10分はなかなか疲れる為、白髪抜きが私と姉は好きだった。
黒髪を一本抜くとペナルティーでマイナス3円なので
私と姉は真剣に白髪を探した。
母親の頭はまるでマツタケがはえた山のように感じた。 
一本いくらで取り引きされる歩合制はありがたかった。

 
 
更に、我が家は成績優秀な場合にお金がもらえた。

テスト100点につき100円
ミニテスト100点5枚につき100円

である。

 
当時、進研ゼミでテストを頑張るとシールがもらえ、シールをためると景品がもらえた(カメラ、望遠鏡、色鉛筆セット等多岐に渡る)。

そろばん塾でも、頑張りに合わせて点数がもらえ、点数に合わせて景品がもらえた(主にかわいらしい文房具)。

 
我が家も似たような制度といえば制度だが
我が家に関して言えば、現金支給である。
ありがたい。


 
 
99点や95点ではお金をもらえない。
私は返された答案を見て、何度ガッカリしたか分からない。

私の親がすごいなぁと我ながら感心するのは
私も姉もカンニングをして100点を取ってお金を稼ぐという発想がまるでなかったことだ。
一歩育て方を間違えたら、お金のためにカンニングをやりかねない。

私はお金はほしいが、あくまで自分の実力でお金がほしかったし
お金のためだけに勉強をするということはなかった。

 
私は勉強が好きだった。
知らない知識を吸収し、難しい計算ができることが嬉しかった。

勉強して100点をとれたら更に嬉しかったし
お金がもらえたら+αで嬉しかった。

 
成績がよかったらお金はもらえたが
あくまで勉強は楽しいからやっていた。

お金のためでも
親のためでも
将来いい学校に入るためでもなかった。

 
自分で親を褒めるのもなんだが
親の作戦は見事に成功したのだろう。

私も姉も勉強は好きだし、得意だったし
お金のためにカンニングするようなズルさを持たない子どもに成長した。

 
 
学期終わり、成績表は仏壇に供え、ご先祖様に報告し
両親帰宅後は、祖父母と両親に成績表を見せた。

「今学期も頑張ったね。」

と、親がお小遣いをくれた。
確か数千円だったと思う。

 
私と姉はそのお金でゲームソフトを購入し
休みの日はゲームに夢中になった。

 
当時
私も姉も週のほとんどは習い事だったし
進研ゼミも行っていた。

勉強を頑張ったご褒美にゲームがもらえるから
姉とゲームで遊んで息抜きをし
また勉強や習い事を頑張れるという日課や流れが
上手くできあがっていた。

 
 
 
やがて、私は中学生になった。

ここからはシステムが変わる。

  
母親はマッサージ機使用や白髪染めデビューにより
バイトは廃止になった。

そして、テストの点は小学生と異なり、中学生からは100点は容易にとれない。
それは母も知っていた。

母「パンパカパーン♪中学校からはルール変更でーす♪
もし、学年1位になったら10万円あげまーす。」

 
私「10万!?」

 
母「10万円でーす♪」

 
私「大金じゃん……。」

 
母「5位以内なら●円、10位以内なら●円、15位以内なら●円、20位以内なら●円、です。

20位以下はありません。」

 
母「5教科400点以上なら●円、430点以上なら●円、450点以上なら●円です。」

 
母「何らかの科目でクラスもしくは学年トップの場合も●円です。5教科に限りません。」

 
母「そんなわけで……………中学校も、勉強頑張って、ね♡」

 
 
私は小学生時代に運動は苦手だったが、勉強は得意な方だった。
人生で初めて10万円を意識したのはこの時だし
10万円までいかなくてもお金がもらえる条件はたくさんあった。

 
中学校からは学習塾に通っていたし、それなりに勉強をしていた。
私は中学校でも成績が上位な自信があった。
初めての中間の前から、私はもらえたお金で何を買おうか夢を見ていたのだ。
だが

結果は惨敗だった。

成績は42位。
点数は悪くなかったが特別良くもなく、私より努力をした人や成績優秀者がたくさんいた。

 
私はその成績にショックを受けたし
担任からも心配された。
小学生時代の先生からの引き継ぎや私の学習態度からしたら
42位はあり得なかった。

 
私は中学校の中間テストを甘く見ていた。
舐めすぎていた。

そんな自分が恥ずかしくて、情けなかった。

 
 
私は勉強の意識を改めた。
今までの勉強量では周りに勝てないと思い知らされた。

当時、週に2回学習塾に、週3回そろばん塾に通っていたが
そろばん塾を辞めることを決断した。
そろばん塾は大好きだったが
部活と勉強の両立に限界を感じた。

部活は月~土まで朝練、夕方練があり
土日は練習試合や大会がバンバン入った。
強豪校だったので、練習量や時間は
中学校の部活内で一番多かった。

  
そろばんは諦めるが、部活と勉強は諦めるか!
期末テストで一気に上がってやる!!

 
私は燃えた。
勉強に燃えた。
中間テストで、中学校のテストがどんなものかおおよそ分かった。
分かれば、対策は取りやすい。

 
「おめでとう。期末テスト14位よ。」

 
担任から言われた時、私はガッツポーズをとった。
そうだ、私ならこれくらいの順位じゃないと困る。
見ておれ………
このまま登りつめてやるわ!
目指せ!10位以内!!

 
…と思ったが
上位は全く崩れず、皆さんは頭が良かった。努力も私以上だった。
私はいつも12~16位以内を行き来し
一度だけ9位をとったが、ただそれだけだった。

トップ3はいつも同じ子だし
その内の一人は親友だし
私はため息を吐くしかなかった。

  
10万円を稼ぐとは、なんと厳しいことなのか……。

 
親友は中学一年生にして、中学三年生の勉強を行っていた。
あまりの差に、私はガクッと来た。
頑張っても頑張っても上には上がいると知り
私は全く自分が頭がいいとは思えなかった。

 
姉は常に学年10位以内で、5位以内にも入ったことがあった。      
親友は学年トップ。

私が頭がいいなどとは、思えるはずがなかった。

   
 
私は5教科で理科が一番苦手で、毎回理科が足を引っ張った。
理科のテストは90点以上の人が授業中に名前を呼ばれるが
私は三年間呼ばれなかった。

理科のせいで、450点以上の壁がなかなかクリアできなかった。
私はいつも5教科合計が400~450点だった。

 
一度だけ、中学三年生の数学の中間テストで100点を取り、その時だけ、450点以上をクリアした。
とはいっても
クラスに満点は5人以上いたし
その中間テストは問題が優しすぎただけで
順位が上がるかといったら、また別問題だった。

 
 
 
 
高校でも、中学時代と同じようなお小遣いルールが適応されたが
高校は更に化け物揃いで
頭が良い人がゴロゴロいた。
相変わらず私が仲が良い子は学年トップやクラストップや学年上位ばかりで

私はスポーツは人並以下だし
勉強は得意とは言えないな………

と、自信をなくした。

 
高校一年生の時は成績がずるずる下がり、学年で真ん中くらいの順位だった。
たまたま入試の成績がよく、学年一番のクラスに入ったこともあり
担任からは頑張りが足りないと言われた。

 
周りの友達は成績優秀だし
私の落ちた高校…私が今通っている高校よりレベルの高い高校に入学した姉は
部活をやりつつ、私より上位成績だった。

親友は県内トップの高校だし
従姉妹も県内トップの高校に通っていた。

 
なんでこんなに私は頭が悪いのだろう………

 
情けなくて仕方なかった。

 
 
 
そんな私が高校二年生になり、家庭教師をつけたことで成績は一気に上がり
数学は常にクラストップになった。

【文系の私立大コースのクラスにいながら、私立大コースの中で数学が一番得意な生徒】

になった私は
ようやく自信を取り戻した。
私の武器は数学だと思った。

 
理系には勝てない。
国立コース文系にも勝てない。
二年生から文系になったから、得意な現国等でも、特別秀でない。
でも

私立大コース文系だから、数学がいい点だと
みんなと差が作れた。
文系のみんなは数学が得意ではなかったり、勉強に力を入れていなかった。

 
文系なのに数学が一番成績がよく、常に90点以上をキープする自分が自分で好きだった。
家庭教師の先生のおかげで、数学以外の科目成績も上がり
また、キープすることができた。
高校二年生になってから
中間や期末テスト、数学トップのご褒美に
お小遣いをもらえたり
欲しいものを買ってもらえる回数が増えた。

 
数学トップのご褒美に、iモード携帯を買ってもらったことが嬉しかった。
ショートメール(25文字)から、iメール(250文字。絵文字種類豊富)に進化した喜びを
私は忘れたりはしない。

   
  
高校は部活が禁止だったし、バイトも禁止だった。

私はみんなに置いていかれないように
また目当ての大学を目指して
勉強にただただ燃えていた。
例え禁止じゃなくても、部活やバイトをやる余裕はなかった。

 
母「学生の本分は勉強。とにかく今は勉強を頑張って、自分の好きな大学に入りなさい。そうしたら将来の選択肢は広がるから。」

 
私は母の言葉を聞きながら、受験勉強に励んだ。

結局私も姉も学年1位をとることはできず
10万円をもらうことはなかった。

 
だが、私は第一志望の大学に入学した。
そして、学校を卒業後、第一志望の職場に入職することができた。

 
 
 
 
 

  
あれから月日は流れた。

私は今年の春に11年勤めた職場を退職し、今は失業保険と貯金で暮らしている無職だ。
転職活動中だが、自分の肩書きを問われたら無職以外にない。

 
そんな私は、仕事を辞めてからnoteに趣味で文章を書くようになった。
コロナウィルスにより、旅行やライブといった予定が全て白紙になり、自宅でできるnoteに手を出した。

動機はコンテストの応募だったが
書き出してみると面白くて
コンテストが終わってからも
毎日毎日私は必ず何かしらを書いた。

 
昔から文章を書くことは好きだが
自分の力量は分かっているし
プロとしてお金を稼ぐ厳しさも知っている。
私はプロを目指すことなく、あくまで趣味として文章を書いていた。

  
noteは誰にも知らせずにヒッソリ始めたので
読者はあまりいないし
スキはつかないし
コメントもあまりない。

そんな始まりだった。

 
だが、noteを始めて半年以上が経ち
開始当初よりも読む方は増えたし
フォロワーも増えたし
スキやコメントも増えた。
記事を編集部にオススメされたこともあった。

 
一歩ずつ確実に前進している手応えはある。

 
 
そんな中、昨日、サポートをしてくださる方が五人目を迎えた。

無名で、一般人で、知り合いでもなく
無料で読める私のnoteにお金をサポートしてくださる方がいるなんて
未だに信じられないことだ。
一人一人からのメッセージも嬉しくて、じんわり涙が込み上げた。

 
 
子どもの頃、勉強を頑張り、いい成績をとり、お金をもらうことも大変だったが
文章を書いてお金を稼ぐことは、もっと大変だと私は思っている。

 
仕事をしていたら、まずnoteを毎日書くことはなかった。
今は新しい仕事がまだ見つからない。
でも、だからこそ毎日noteを更新でき、サポートをしていただけた。

 
人生はそう、悪いことばかりではない。
上手くいかないことや思い通りにいかないことはたくさんあるけれど
そんな失敗や気づきがあったから
出会えた人やものがあったと思う。

ご縁に感謝しかない。

 

 
 
 
 


姉はやがて結婚し、男の子を二人産んだ。

甥が様々なことを頑張ると、母はお小遣いを渡した。
そして二人は、自分の名前が書かれたドラえもん型貯金箱にお金を貯めた。

  
 
甥の二人には夢がある。

夢はまた大人になるにつれ変わるかもしれないけど
今できることを精一杯頑張ってほしい。
こんな時代だけど、どうか未来を諦めないでほしい。

 
まだ子どもがいない私は、甥が半分我が子のようにかわいくて
ついつい色々買ってしまう。
その色々が甥っ子の喜びややる気に繋がるならば、それは安い買い物だろう。

 
お金や物は周りでサポートできる。
でも、自分の道を切り開くのは、いつだって自分しかいない。

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