見出し画像

社会人のひとりごと

社会人はできて当たり前。

だからできることはいちいち褒めることではない。
言われないということは、できているとみなしていいこと。

 
できないところは一つ一つ言う。
できて当たり前だから。
上はそれを下に言う権利があるから。
私が劣っていれば、上は私に何を言ってもいいのだろう。

 
上は教えているつもりなのだろう。
でも、私にとっては言われたくないことばかりで
言い方を考えてほしいことばかり。

 
関わりたくない、という気持ちが強くなる。

そうするとまた、ほうれんそうが足りないだとか何をやっていないだとか言われて
私は頑張る気力をなくしていく。

なんでここにいるんだろうという気持ちが膨らむ。

 
「私のいいところはどこだと思いますか?」

そう尋ねた時、あの人達は何も言えないか、いいところは少ししか言えない気がする。

 
私の長所や武器は
上にとっては評価に値しないところで
私はやっぱり今の職場に向いていないのだと思う。

 
持ち帰り仕事をして、サービスで早出して、サービスで帰りも残って
それも社会人にとっては当たり前なのだろうか。

 
前の職場に帰りたい。
優しいみんなに会いたい。
私を評価してくれた人のところで働きたい。

そう思っても
もう帰れない。

 
結婚はできない。
年齢的に出産も日に日に厳しさを増していく。

恋人どころか好きな人もできない。

家族も自分も日に日に老いていく。

 
友達はみんな新たな家族を作って、家を建てて
もしくは私より仕事ができて
立派に生きているのに
私はなんてちっぽけな存在だろうか。

 
せめて仕事をしていないと、私の価値は減ってしまう。

だけど私の仕事は他の誰かにもできる仕事で
きっと他の誰かの方ができる仕事だ。

 
前の職場では仕事は天職だと思っていた。
だからずっといたかった。
だけど私から退職を選んだ。
後悔はない。
考えた末の選択だ。

だけど、私は居場所や帰り道をなくした気がする。

 
「頑張っているね。」と褒めてほしい。
そう思うことさえ甘えだろうか。

他の人はもっと頑張っていると、頑張りが足りないと、上は言うだろうか。

 
何故私は採用されたのだろうか。
人手不足だからだろうか。
採用を悔いてはいないだろうか。

私より後なら入職した同僚の方が私より仕事ができるという現実。

 
三週間ぶりの土日休み。
三週間ぶりの土日休み前の金曜日。

ずっと前から楽しみにしていたのに
割り切れない気持ちが私を襲う。

 
土曜日は天気予報が外れて朝から雷雨。
気分転換に出掛けることさえ躊躇ってしまう。
出掛けても空しさは消えなくて、途中で調子悪くなって帰ってきた。

 
今年もあと二ヶ月で終わりだ。
今年、私は何を成しただろう。

私は私なりに頑張ってきたけれど
世間や周りや上は頑張りが足りないと言うのだろうか。

 
なんだか疲れたな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?