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劇場版ポケットモンスター 七夜の願い星 ジラーチ

劇場版ポケットモンスター 七夜の願い星 ジラーチ』を19年ぶりに映画館で観て来ました。
『ミュージカル・天使なオトシモノ』に出演してくれた若者たちと一緒に。
 
自分が書いた脚本の映画を、こうして時を超えてまた劇場で観られるなんて、僕はなんて幸せ者なんでしょう。
 
前回書いた『水の都の護神ラティオスとラティアス』のノートには、今までで一番のイイネを頂きました。
ありがとうございます。
これも思わぬ喜びでした。
 
今回はジラーチを観てきたわけですが、劇場に行くまで『セレビィ』を見に行くんだと勘違いしておりました。(笑)
 
なんでそんな間違いをしたのでしょう。
予約を取ってくれた同伴者さんにが伝えてくれた日にちと時間だけに集中していて、でかけるギリギリまで今かかっている締め切りに集中していたからかもしれません。
 
ジラーチの感想に戻ります。
 
前回も書きましたけど、感想は一言、
「いやぁ~~、面白かったァ。笑って、泣けたァ~!」です。
 
今回、メインはマサトとジラーチ。
さとしはアニキぶんとして、マサトとジラーチに接してました。
成長したなぁ。
 
マサトのジラーチへの友情と、それに応えるジラーチのけなげさが、せつなくて泣かされてしまいました。
 
悪役であるバトラーも、最後にはいいところを見せてくれて、人間にはいろんな面があるということを見せてくれました。
ネオグラードンも、ものすごく迫力があってドキドキさせられました。
 
あー、あまりにも当たり前の感想しか書けなくて、あきれてしまいます。(笑)
 
このまま終わったのでは、小学生の夏休みの宿題レベルにも及ばないので、もう少し僕にしか書けないことを書いてみますね。
 
 
ファンのみなさんからしたら、「脚本を書いた本人なんだから、ストーリーとか一番わかってるわけだし、何回も観てるだろうから、そんなにあらためて感動することあるの?」って思われるかもしれません。
 
でも実際、あるんです。
なんでそういうことになっているかと言うと、僕は実際に自分のかかわった作品を見返すことがほとんどありません。
今回も、19年前に試写と映画館で二回観て以来、合計三回目でした。
内容もすっかり忘れてて、本当にはじめて観るみたいな感覚で楽しんでしまいました。(笑)
 
書いた作品に思い入れがないわけじゃないんです。
もちろんたっぷりあります。
 
当時の僕がどういう状態だったかを知ってもらえたら、書いた作品(過去)より、書いている作品(現在)にいかに集中しなければならなかったかを、わかってもらえるかもしれません。
 
ポケモン映画で長編を担当させてもらった僕は、映画3年目の『エンテイ』の時には短編と長編の両方に関わっています。
その翌年から長編を担当することになり、それが十年以上も続くことになるわけです。
(このときは、まさかそんなことになるとは思いもしていませんでした)
 
ポケモン映画の脚本作りには、本当に長い時間が必要で、アイディア出しから最終的に決定稿まで約8~9ヶ月がかかっていました。(これについては他の人がどうやっているのかを知らないので、あくまでも僕の個人的なスケジュールです)
つまり毎年映画が上映される頃には、次の年の作品の脚本にとりかかっているわけです。
 
目の前のこと(次の作品)に集中すればするほど、もう終わらせた仕事(去年の作品)のことを考える余裕はなくなってしまいます。
僕が上映中の作品に薄情なわけではなく、前に向かうしかなかったということなんです。
 
ジラーチの感想を書くつもりが、またまた当時の僕の事情の話になってしまいました。
でもこういう裏話の方が、このノートを読んでくださる人には興味深いかもしれませんね。
 
 当時書いていたノートを見つけたので、それを見直していたら、当時の記憶が少しずつ甦りました。
(このノートはツイッターに載っけたやつです。こんなノートが十冊以上あります)
僕は字が汚いので、とても人に見せられるようなものではなく、書いてある内容も自分にだけわかるようメモなのですが、当時、どのような経緯でストーリーが出来上がっていったかを思い出すきっかけにはなります。
廃棄しないで良かったなと思いました。

僕自身の創作思考の動きをたどることと同時に、ポケモン映画という巨大プロジェクトの脚本が、どれだけ多くの人たちがかかわって出来上がっていったかということがわかります。
会議で、どのような意見がかわされたかなどのメモも含まれているからです。
(どれも断片的なものですけど)

ここでは脚本作りの変遷と、成長について、少し紹介しますね。
(ただし、これは僕のノートのメモをたよりに記憶をよびさましているだけなので、間違っていることもあるかもしれないということは、あらかじめおことわりしておきます)

2002年の六月くらいに、最初のアイディアを湯山監督と神田プロデューサーに出して検討を開始していました。
現場的には『ラティアスとラティオス』の追い込みで、猛烈に忙しい時期だと思います。
テレビシリーズも新シリーズに以降していて、てんやわんやしていたのではないでしょうか。

なんと最初のアイディアノートには、「推理物」とか書いてました。
それまでと違う切り口を模索してみようとしていたのかもしれません。「謎解き」「ミステリー」「ゴースト」などとモメしています。
たぶんそれは却下されたのでしょうね。(笑)

次のページには、「ガンボー」お願いポケモンというメモがあります。
その下に、「夏にガンボーを配る(ゲームフェア)」とあるので、おそらく映画のメインポケモンは、このお願いポケモンのガンボーというものだということを伝えられたのでしょう。
そして夏に配るということが、映画館でポケモンを配るというイベントにつながっていったのだと思います。
それから「グラードン、ガイオーガは難しい」と書いてました。
それらの伝説ポケモンは出せないということを言われたようです。
あとそのページには、「マサトとガンボーの話しにする」「マサトの願いが夜ごとかなう」とも書いています。
「夢を叶えるため」「自分の力で願いを叶える」というものもあります。

お願いポケモンが、ガンボーというのには、つい笑ってしまいそうになります。
これが最終的には、ジラーチに変わっていったんですね。

しかしこのほぼ最初のページに、映画のおおまかなネタになるものが書かれていることに驚きました。
結果的に、このページに書かれていた方向に向かっていったのだなと。

ちなみにノートを読み進めると、ガンボーはどこかの時点で、リクエスに変わって、最終的にジラーチになってました。

最初の全体会議は7月の末に行われていました。
参加者26人とメモしてます。
このときまでに、いくつかのアイディアを出して、それを元にこの会議に参加しているプロデューサーたちの意見を聞きます。
脚本家は、こんな大勢の人に囲まれて、彼らの意見を聞くことになるわけです。
僕の脚本家生活の中でも、これほど大勢の人たちと対面して打ち合わせをするものは、ポケモン映画以外にありません。

次のページに、僕が思いつくままアイディアをメモしているものがありました。
ガンボーがリクエスにかわっていて、そのポケモンについて、さまざまなことを思いつくままに書いてます。
ほとんどのアイディアは使えないものですが、その中に「マサトとポケモンの関係をじくに作る」「マサトのためにサトシが何かする」「何百年に一度だけ目をさます」とかあります。
それらのアイディアは生き残ったわけですね。

今回のポケモン回想は、これくらいにしたいと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

このあとのメモと、パソコンに残っていたアイディアとプロットを見直したら、なんとアイディアで15回、プロットで3回、シナリオを書き出すまでに、なんと18回も書いては書き直しということを繰り返していました。
結局、脚本にとりかかったのは9月の末からでした。
書き出すまでに4カ月、オーマイガッ!。

僕がどれだけエネルギーをかけていたかということがわかってもらえるでしょう。
アイディアとプロットの変遷を、ざっと読み直してみました。
膨大な量でした。

脚本に興味があるかたなら、読みごたえあるかもしれません。

大学院の研究論文にポケモン映画について書いているという方が連絡を取ってきたので、その人には読んでもらおうかと思ってます。
さてどんな研究論文ができるのか、楽しみです。

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