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人生で5度読む小説に出会ったことがあるだろうか。

小説を読んでも読み返すことは、そこまで多くはない。

一つの物語から学ぶことや感じることはたくさんあるが、まだ読んだことのない本を手にとり、次の物語を読むことで、新たな感情が生まれることの方が多い。

それはたいていの場合、同じ作家の作品だったり、本屋で注目されている話題作であったり、古本屋でたまたま手にとった100円の小説だったりする。

きっとみんな新たな物語を求めている。

ただ最近は過去に読んだことのある小説を読むことがある。

それは、僕の中で5度も読み返す作品に出会ったからだ。

その本は19歳のときに初めて読んだ。恋愛小説だった。

僕は大学2年生になったばかりで、その年にようやく成人を迎える頃だった。その小説を手にとったのは好きな作家さんの作品だったからで、当時高校時代から好きだった元彼女に振られたばかりの記憶がある。

その小説は、結婚目前の男と謎の美女が出会い、限られた時のなかで別れを選んだ二人は、二十五年後に再会し......。 というような物語だ。

19歳の頃の僕は、僕にも愛せる人ができるのだろうか、と振られたばかりの元彼女への想いが膨らむばかりだった。いい作品だと思った。

次に読み返したのが23歳の頃だった。引っ越しのタイミングだったと思う。本棚から久しぶりに取り出した本の中に懐かしさを感じた。片付けの最中に学生時代のアルバムを開いて結局片付けが捗らないことがある。そんな感じで僕はまたその小説を読むことになった。

このとき、涙が流れた。驚いた。人生で一度も作品を見たり聞いたり読んだりして涙を流したことがなかった。初めての経験だった。しかも一度読んだことのある小説だった。読み返すことで新たな感情が芽生えることを知った。19歳のときから4年経ち、少なからず人生を歩んできた経験が涙を流させたのかもしれない。または小説の舞台であるバンコクに行ったすぐ後だったからだろうか。目を閉じるとバンコクの情景が思い浮かんだ。自分が現実の世界でも、小説の中の世界により近いところまで行くと感じ方が変わった。登場人物により自分の姿を重ねやすくなる。

3回目。僕は25歳になっていた。春だったと思う。手紙の代筆の大切な依頼を納品したすぐ後だった。この小説を読みたいと思った。もう売ってしまっていて手元になかったが、古本屋に行って購入した。買いに行った足でカフェに入る。涙が溢れた。周りの人に見られないようにひっそりと泣いた。読み終えたとき、人はいつだって、人のことを好きになるものなのだと確信に近い感情があった。

4回目。26歳夏。この作品を読んでほしいと思える人がいた。僕はその人にこの作品を渡すことにした。いろんな感情を知るきっかけになる。手紙で想いを伝えることもいいが、本をプレゼントすることもいいことかもしれない。

5回目。26歳冬。プレゼントしたが、小説は僕の手元にある。また買ってしまったのだ。僕はきっと何度も同じようなことをするかもしれない。それほどまでに僕はこの小説を愛していた。

僕は今、小説を書いている。

ずっと小説を書きたいと思っていたが、なかなか書くことができなかった。

自分の中に書きたいと思えるほどの経験がなかったのだろうと思う。もちろん架空の物語を書いてはいるが、経験した感情、感じた胸の痛み、過ごした時間が書かせてくれる部分が大きい。少なくとも僕の場合はそうだ。

書く人自身の経験が、表現の幅を決めるのだなと思う。

だから僕は物語を書くために、この小説を何度だって読み返す。同じ物語に、今の自分が感じることを教えてもらうんだ。それを自分の書きたい物語に乗せていく。

いつか誰かが何度だって読みたいと思える物語を書けたらいいなと思う。

誰かにとってのそんな文章にできたら、それ以上はないなと思う。

僕にとっての、サヨナライツカがそうであるように。離れたとしてもまた読み返したくなるような。

そんな物語を、ぼくは書きたい。

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