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おかげさまではあるけれど、心にいつも”お互いさま”を

「お陰様で〇〇ができるようになりました。」

「私が今〇〇できているのは先生のおかげです!」

お陰様って、だれかに何かをしてもらって、感謝をしている。

とてもいいことだと思う。誰かのおかげでできたことってきっとたくさんあって、自分自身もそうやって誰かのために何かができて、誰かから”あなたのおかげ”と思ってもらえているはずだ。

同じ”おかげ”でもまったく違う使い方もある。

「だれのおかげだと思っているんだ!」

このセリフを言われた人はどうしたんだろうか?感謝を忘れていると思われてしまっている。本当に感謝していないこともあるだろうし、相手にそれが伝わっていないこともあるだろう。

逆にこのセリフを言った人はどう思っているんだろうか?自分のおかげで今の相手があると思っている。確かにそういう側面もあるだろう。これまで育ててくれて、高い学費を出してくれた親と子の関係。学び受ける師匠と弟子の立場。面倒を見てくれた先輩後輩、職場の上司と部下、先生と生徒。感謝されていなかったり、相手がそれ相応の感謝をしていないと感じれば腹が立つのかもしれない。

でも本当にそれがお陰様と言えるんだろうか?

何をもって、感謝していて、お陰様と思っていないと言えるんだろうか。

どこまでいってもお陰様って主観であって、それを相手に押しつけるものであってはいけないと思うんだ。

”お陰様”はどこまで続くんだろうか

お土産を買うことがある。

「あの人にお世話になってるから買って帰ろう。」
「この間プレゼントをもらったから、お土産を渡そう。」

お土産を買って、渡す。

「旅行に行ってきたのでお土産です」
「わざわざ買ってきてくれたのか!ありがとう!」
「いつもお世話になっているので!」
「そんなこと気にしなくてもいいのに!」

よくあるやりとりで、それが続いたりする。もちろんありがたいという気持ちをまた形にして返すのは、すてきなやりとりになる。

でもどこまで続くんだろうと思う。僕はここで終わりなんじゃないかなと思う。お土産を買っていって、ありがとうと言ってもらえる。お土産に対してありがとうを返している。

次があるとするならば、それはまた新たな気持ちだ。感謝を形にしたいという新たな気持ちで、形にしなければ感謝していないということにはならない。ちゃんと言葉で返しているはずだから。すくなくとも後腐れがあっていいものにはならない。

心にいつもお互い様を

同じように、何かを教えてもらったとする。

「こうやるんだ。」
「ありがとうございます!」

教わった側は、技術や知識を受け取って、感謝の言葉、気持ち、今後成長を見せること、成果で返すことができる。

教えた側は、技術や知識を与えている。でも感謝の言葉や気持ちを受け取っているほかにも、自分の技術や知識を披露したり、それを役立てる場を与えられている。

だから僕は心にいつも”お互い様”を持っている。

自分が何を教わるときも、教えるときも、心にお互い様を持っている。

教えてくれて、ありがとう。教えさせてくれて、ありがとう。

自分次第では教えることで教わることだってたくさんあるわけだから。感謝しないわけにはいかないと思うんだ。

親と子のお陰様と、お互い様

ここにも確かにお陰様がある。

子は親に産んでもらって、育ててもらう。それは精神的にも身体的にも経験的にも金銭的にも、いろんな面でお世話にならずには生きていけないから当然のことだ。

だから子は感謝する。恩返ししたいと思う。

でも親に思うことがある。自分の思い通りの恩返しがなかったときの「だれのおかげだと思っているんだ」っていうのはあるのだろうか。

親として最善を尽くして子育てをしたのかもしれない。でもそれが子どもの思う通りだったかといえばそうでないことだってあるんじゃないか。親と子両者が思い通りだったらそれが一番いいのだけれど、そうでないときもあるんだから、それこそお互い様なんだ。

だから子が親に対して思うこともまたお互い様なんだと。

親ガチャ、なんて言葉が流行っている。確かにあるんだろう。裕福な家もあれば、貧乏な家もある。東大卒の遺伝子もあれば、金メダリストの遺伝子だってある。その違いは確実にある。

でもだからって親を否定することにはつながらない。だれかを羨んでもいいし、親に対していろんなことを思っていてもいいけれど、それでも親を否定することなんてできない。

もちろん虐待があったり、病気があったり、いじめがある。身体的に、精神的にもいろんなことが起こることがあるし、割り切れないこともある。ただここではまた別問題だから、そこに対しては言及しない。そんなものは今すぐに切り離す以外にないと思うから。

ひとつ紛れもない事実がある。

子は親に産んでもらったから生きていける。

でも親が子を産んだんだ。親が産みたいと思って、産もうと決めて産んだ。

そうやって親も、そのまた親が産むことを決めて産まれて、産んでもらった。

産んでくれてありがとう、があるように、産まれてくれてありがとう、がある。

育ててくれてありがとう、があるように、元気に大きくなってくれてありがとう、がある。

それがお陰様であり、お互い様だと思うんだ。

お陰様に終わりはないのかもしれない、けれど…

だからよけいに、心にいつもお互い様があってほしいなと思う。

それでいてけっして相手にお互い様があることは求めない。お陰様も主観的な考え方であって、お互い様もまたいつだって主観的な自分だけの見方でしかないから。

いつかわかりあえる日がくる、なんてことは思わない。そうでなくたって別にいいんだ。

ただ感謝だけは忘れずに、その感謝も本当はもうちゃんと返せていることを胸に置いてほしい。

それでも感謝を伝えたいから、僕たちは伝えるんだ。

もうちゃんと返してる。そう思えるかどうか。

お互いに。

そう思えているからこそ、心からおかげさまって言えるから。


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お互い様だと思う物書きより

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