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再現性ゼロ。あなたの渡米に絶対役に立たない10の成功ポイント

※ カバー写真はたまたま自宅上空を飛ぶスペースシャトル・エンデバー。こんな偶然でやってこれただけ。(2012年9月筆者撮影)

日本から渡米したいとか、スタートアップの仕事がしたい、始めたいという話をよく耳にするし、データーサイエンティストになりたいということを含めて、たまに相談もされるけど、自分がアドバイスできることは皆無。自分のやり方はとことん再現性がない。

そこで過去を振り返り、絶対にあなたの役には立たない10の成功ポイントをまとめてみました!

1. 渡航ビザ:ワシントンDCのジョージタウン大学、そして米陸軍関係の研究施設の共同プロジェクトのため給与付きの客員研究員としてJ1というビザで渡米。J1には終了後2年間の帰国義務があるはずが何故か免除されてた。(ちなみに軍の研究機関で働いていた時、9.11テロが起きて、その朝はここも危なからと返されたり、同じ施設で微量の炭疽菌が発見されて両親を心配させたり、機関銃もった兵隊さんが守る施設に毎朝通勤したり。)

2. 博士号:アメリカでの生活が楽しすぎて、K応大学医学部博士課程に帰りたくなくなり、教授間のつながりのあったペンシルバニア州ピッツバーグにあるカーネギーメロン大学のS教授を紹介してもらう。日本の大学で同じ研究会の優秀なY先輩がすでに在籍しており、そこの教授の学生ならという理由で拾ってもらう。ラッキーだ。

ちなみにS教授は新設学部の教授就任を要請されていたので、学生一人(=私)採って良いならという条件を学部に出してそこに私が滑り込んだ形。後日、S教授のもとに応募しに来る学部生のリストを見せてもらったが、皆GRE満点は当たり前の様な人たちを差し置いて採ってもらったようだ。ラッキーすぎる。

3. 就労ビザ:...は出なかった。Ph.D.取得後、FビザについてくるOPTで原油サービス最大手のシュルンベルジェに就職してテキサス州ヒューストンに移住。2007年夏、金融危機前で、H1Bビザの申請はパンパン。博士号がバイオメディカルエンジニアリングなのに、何故おまえは原油業界にいるのだという理由でビザを落とされた。会社からはロンドンに一年飛んで職歴作って戻すからと言われた。さて...

4. グリーンカード:実は大学院の夏、寂しい留学生活とおさらばしたいというナンパな理由でサルサダンスレッスンに出席したら彼女が出来た。就職・引越後も遠距離ながら結婚を前提に交際...いや、結婚を前提にということは婚約した場合を除いてアメリカではないので、そうこっちが思い込んでいただけのようだ。ビザ申請が通らなかった旨を彼女に相談して、先に入籍だけでもしちゃおうということに落ち着いた。会社には「私をロンドンに飛ばすより安いですよね」と交渉して、結婚によりグリーンカード取得に必要な費用を弁護士含めてすべて出してもらった。

5. シリコンバレー:テキサス州ヒューストンで原油探査のための地底モデル作成アルゴリズムの研究開発を約5年続けたものの、大企業は肌に合わないと悟り、2011年にシリコンバレー移住を決意。妻が先に就職を決めたので、「遠隔勤務にしたいからよろしく。年末には辞めるから!」と職は変えずに引越し。車で大陸横断してロッキー山脈に差し掛かった10月5日、スティーブ・ジョブス逝去のニュースがラジオから流れる。

6. スタートアップ:スタートアップに絞って職を探していたところ、ある日向こうから電話が鳴ったら、ファイブスターズという聞いたこともない会社だった。ウェブサイトを見ても福利厚生がビアポンゲームというアホらしい会社だった。当時熟読していたポール・グレアムのYコンビネータ出身の会社という所だけが引っかかって、とりあえず開発メンバーに会ってみることにした。正味7時間くらいの体力勝負な面接。学位がバイオということから分かるように、コンピュータ・サイエンス系の技術面接は初めてだったので、コーディングやアルゴリズムの技術面接は自信ゼロだったが、なんとか4人目のフルスタックエンジニアとして採用通知をもらう。シードステージの会社で、大企業と比べて給料も30%減。(半年後、シリーズA後にもとの給与水準に回復)

7. データサイエンス:時には20時間連続でコーディングし、カオスな開発チームにスクラムを導入してあげたりしてひたすら働いていたら、会社がシードからシリーズCを経て計120億円程度調達した。4人目のエンジニアだった私も、社員300人の会社の超古株に。実店舗ユーザーも3000万人くらいになってデータ的に面白い環境が整ったので、CTOに相談してデーターサイエンティストのポジションを作ってもらう。顧客が離れる要因を定量分析したり、実店舗で百万人規模のランダム化実験を常時行えるシステムを一人で作って、プロダクト改善のために運用したりと面白い仕事ができた。

8. 独立:会社はYコンビネータのなかでもバリエーションベースでトップ3%と大きくなってしまったけれど、普通に転職するのはつまらないので独立してみた。(退職を告げたらCTOは感極まって泣いてくれた。)よく子供が小さいのに独立起業など大変ですねと言われるけれど、子育てを中心に据えるために独立したというのが理由の半分。ファイブスターズで培った、データーサイエンスやアナリティクスをゼロから始めるノウハウを他のスタートアップや新規事業に役に立ててもらったり、データを基にした戦略を提示するコンサルティングの仕事が多いので、業務時間は自分で組み立てられる。

9. 自由:完全自己資金なので、クライアントに成果をだしていれば誰からも文句を言われない。通勤地獄のシリコンバレーにあって通勤時間ゼロ。余裕が出た時間は子供を学校に追いやった後で妻と朝食デートをしたり、子供と過ごしたり、製品化の構想を練ったり。天気のいい日には渋滞のない時間にドライブして、太平洋を臨むカフェでゆったり仕事。

10. これから: 最近は、資金調達がこっちがハラハラするほど簡単になったようで、先日も大学院時代の友人がチームも製品ビジョンもないまま一億円以上の調達をポンと終わらせていた。でも私は外部資金を入れないで、収入を再投資する形で製品化を図るスタンスを取り続けるだろう。大風呂敷を広げて、エンジェル投資家やベンチャーキャピタルにピッチして、調達した資金を燃やして、次のラウンドでまたお金集めて...そういうやり方はもう見飽きた。もし私がそういう方法をとったら、お金を出してくれた人を意識するあまり創造性が萎縮してしまうと思う。結局、私は高卒の両親のもと、ひと様に迷惑だけはかけるなと言われて育った平凡な人間だから。

昨年末の誕生日にはこんなことを日記に書いていた。

「今のシリコンバレーを見ていると、チャップリンのモダンタイムズが思い出される。 工場から頭脳労働へのシフト、資本家の労働者搾取からストック・オプションへと 表面的には異なる風景が広がるものの、 目標が労働者を駆り立て人間性から目をそらす構造は何も変わっていない。その思いは、長女の誕生を機に拭い難い問題意識となる。もはや自分勝手は許されない。 それからは、いかに父親としての務めを果たすかが行動の基準となった。 同時に退屈が最大の脅威である。子育てのために安定した仕事に就いたら、退屈が私を殺すだろう。 ソフトウェアエンジニアからデーターサイエンティストに転身したのも、 独立してコンサルティング事業を始めたのも、 そうした自分の性分と家族への責任の折り合いをつけるための長期計画だった。

一人の人間としてまずは生ききる。家族と苦楽をともにし、家庭での責任を果たしながら、 社会の一員として確実に貢献をしてゆく。 43歳の自分は、周囲の自分より若い世代に、そういう生き方の一例を示してゆきたいだけなのだ。」

最後に、300万アカウントのビジネス顧客をもつプロダクト会社になったBasecampという会社の創業者が出版した"It Doesn't Have to Be Crazy at Work" (職場は狂気な必要はない)という本を紹介したい。

Basecampといっても分からなくても、Ruby on Railsを開発した37 signalsという会社の前身といえば、ほとんどのウェブエンジニアは知っているだろう。スケールした会社とはいえ、彼らはいわゆるシリコンバレー型の資金調達をして育った会社ではない。ムーンショットな計画はせず、シリコンバレーなどとは無縁な地域に住む遠隔チームで、リアルタイムなコミュニケーションを排除して、スローに顧客を一件ずつ喜ばせながらここまで成長させたリーダーが語るこれからのCalm = 「静かな」働き方の提案は、シードからシリーズC以降の6年間シリコンバレー型スタートアップにどっぷり浸かったからこそ頷きながら読むことが出来た。これから会社や事業を作る人や働き方改革のリーダーは、古臭いシリコンバレーなんぞshisatsuに来る前に、この本を熟読してほしい。時代の二歩先を行っている。

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