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会社を辞めた経営者がアメリカ横断してみた

久々に投稿したと思ったら「会社辞めたいんかーい」って聞こえてきそうなしかもアメリカ横断してるって何が起こったんや。

色々あったんです。読んでください。

僕は今の感情は今しか書けないから忘れたくないので書きます。そして、この文章を見て、同じような境遇の人とか、ちょっとでも頑張ろうって思ってくれたら幸いです。

僕は2016年3月30日から始めた事業を2022年5月21日に譲渡して会社を辞めました。


学生起業のきっかけ「留学」

当時のことから振り返ります。

僕がまだ20歳の時。高校の時からの夢が留学することでした。どうしても叶えたくて通っていた大学を思い切って休学して、カナダに留学しました。自分の世界を広げてみたくて、「どうしても行きたい」って両親に必死に頼み込んで。

たくさん迷惑かけて、いっぱい助けてもらって、カナダへ。

風土も文化も何もかもが異世界で、毎日雷に打たれたかのような衝撃を受けながらデイズニーよりも夢の空間を楽しんだ。初めて使う言葉、初めて口にする食べ物、初めて出会う価値観、初めて出会う人種…

でもそんな刺激もいつかは日常になる。人間の慣れって怖いね。最初は感動していた毎日がいつの間にか日本と変わらない日々に。

変わったのは場所と言語。毎日出る課題と友達と遊んでお酒を飲んで馬鹿やって…日本と変わらんやん!って。

自分には1年しかない。この今の延長線上で自分が変われるのか?

「まじ最高の留学だった!」「こんなことができるようになったんだよ!」って両親に胸張って自信を持って言えるのか?

正直、疑問だった。

だからまた行動してみた。両親には内緒で、自分で勝手に先生のところへ行き、「辞めます!」まだ期間が残ってる学校を辞めて、NYへ。

世界の中心。経済の中心。NYに行けば何かが変わるんじゃないか?そんな気持ちで。根拠は全くない。本当にただの直感。

そこにはいろんな人種の人がいて、スケールがでかくて。当時、世間なんて全く知らない田舎者の僕は、いくつも立ち並んでいるマンハッタンの高層ビルに、ただただ上を向いて歩くことしかできなかった。

  • 犯罪率が高く貧困層のハーレム

  • 世界中の観光客が集まるタイムズスクエア

  • セレブが集まる超有名ブランド通り5番街

  • アートやスタートアップが集まるブルックリン

  • NY最大の超万能公園セントラルパーク

  • 世界No,1の金融マンが働くウォール街

  • エンターテインメントの宝庫ブロードウェイ

NYには書ききれないぐらいの顔があって、色んなベクトルで世界が広がった。ただ嫌でも理解してしまった。

「自分はこの街で何もできない」

アメリカは超資本主義の国。お金を払えれば良いサービスが受けれるし、お金がなければそれ相応のサービスになる。

良くも悪くも分かりやすい。

だからこそ、また成長した自分でこの街に戻ってこよう。
その時は絶対、散財してやろう。笑

そう思って、NYを後にした。そこからはアメリカの観光名所を点々として、ロサンゼルスで3ヶ月インターンをして、日本へ帰国。


日本で学生起業

日本で一番最初に感じたこと。

「あれ?みんな一緒じゃない?」

電車が色のないグレーに見えた。無表情で整列して、首の角度も一緒。手元のスマホを見つめて、何を考えているかわからない。電車に揺られながらどこかに向かっているんだろう。

このグレーの世界に塗り潰される気がして怖かった。

日本を飛び出して、良くも悪くも変化した自分が、留学前の自分に戻って、全てなくなってしまうんじゃないか?って。

必死だったんだろう。何か行動しなくちゃ。

その結果、大学3年生で学生起業をした。

もちろん現実はそんなに甘くないし、順風満帆にいったなんて口が裂けても言えるはずがない。

たくさん失敗したし、大変なことの方が多かったような。でもありがたいことに仲間が増えてきて、組織になって、会社になってくれた。

本当に嬉しかったし、わからないながらに心の底からのビジョンを掲げ、そこに向かってがむしゃらに走り続けた。


法人化1年で3拠点150人に

もはやちょっとしたバブル。

周りからの期待や理想の自分がなりたい姿のために自分自身に無理をさせて仕事をしてきました。

何者でもなかった自分から、早く何者かになりたかった。

きっとその時は超幸せ、って言えるようになってるんだろう。
想像していた理想の生活を手に入れて、売上を積み重ねたその先にあったのは、より大きな売上を出さないといけないというプレッシャー。

誰かの期待に応えようとがむしゃらに仕事したり、誰かと比較して、自分ではない何かを演じたり。理想の未来を手に入れるために今の自分を否定して殺したり。

少しづつ限界は来ていた。

朝ベッドから起きて、一番最初にすることは携帯のチェック。時には事務所に行き、仕事の問題に頭を巡らせ、携帯をたった1時間放置するだけでラインの通知が軽く3桁を超えてたり。良い焼肉屋さんに行っても味は二の次で結果を出すにはどうしたら良いのか話したり。会社では椅子に座ってるだけで威圧感を与える存在になったり。

そして、組織が崩壊した。

全て自分が悪い。組織が崩壊して、失って気付いたことは、幸せは目の前にあったということ。

馬鹿だよな。笑ってくれ。全く気付けなかったんだ。

世間体ばかりを気にして、二面性を持って、自分を騙し、仲間には本当の自分を見せず、素直になりきれなかった。

最大3拠点150人まで膨れ上がった会社。それがたった半年で1拠点17人まで減少してしまった。信頼していた役員は去り、長年連れ添った仲間は独立し、中堅のメンバーも流れるように会社を辞めた。

残ったのは僕と取り残された不安そうな顔のメンバー。

さぁ、どうしよう。


会長になりました(笑)

「新会社を設立しよう」

会社の雰囲気を一新するために。思い立ったらすぐ行動。新会社を設立して、代表をバトンタッチ。代わりに僕は26歳で”会長”なんて物々しい役職がついてしまった。

僕の知ってる会長のイメージはおじいさん。現役バリバリでまだまだ働き盛りの僕がなるもんじゃない。笑

もちろんそんな余裕はない。役職関係なく、現場にも出て、会社を立て直すために必死で働いた。意地とプライドと忍耐。後々考えると、1年続いたのはただこれだけだったのかもしれない。

起業当初にあった「どこまでいけるんだろう」というワクワクはいつの間にか、「このまま終わってたまるか」の負けたくないっていう感情に変化していた。

多少会社は復活して、人数も30人ほどに増え、ある程度の売上は守れるようになってきた。

でも組織の規模や売上がぴたりと止まった。

どうしても過去の自分を超えられない。考え方、姿勢、発言、行動、結果まで自分が昔できていたことができなくなっていた。自分自身は成長どころか劣化している感覚すらあった。

「どうして?」この問いを自分の胸の中に抱えながら、答えが出ずにずっとぐるぐる彷徨っていた。

いや、答えは知ってたのかも。潜在的に。ただ自分がビビってただけなのかもしれない。心の奥底どこかに南京錠を3重ぐらいでかけて気付かないようにしていただけで。

そのポジションを守り続け、ある程度入ってくる収入に安定を覚え、保守的な自分になっていただけ。

そりゃそうだよな。トップが挑戦していない組織なんて面白くも何もない。

一定ラインでぴたりと止まるのは今だったらすぐに分かる。でも当時はわからなかったんだ。

すぐに限界はきた。そうして出た答えが、会社の譲渡だった。


ニートになりました(笑)

辞める時は早かった。決めて2日。会長→ニートになりました。

もちろん急に辞めてしまってメンバーには申し訳なく思う。けど、ある意味解放されてよかった。そのまま自分を騙して続けていてもいつか限界はきていた。

妻には「辞めてきた」って事後報告。そしたらなんて答えたと思う?「おめでとう」だって。「独立記念日だー!」ってビールで乾杯して喜んでいた。我ながら最高の妻をもらったと思います。

話を聞くと「全然仕事面白そうにしてないんだもん」って。やっぱわかりますよね。一番近くにいるんだもん。

そして、もう一つ仕事を辞めようって思ったキッカケがある。

それは妻が妊娠して、自分の子供が産まれること。

どうしても子供に誇れる親でいられる気がしなかった。それだけは嫌だった。子供は親の背中を見て育つ。仕事が嫌そうで、楽しそうじゃなくて、全力じゃない、かっこよくない。そんな父親にはなりたくない。でもこの延長線上にはそんな父親が待っている。

辞めるなら子供が産まれる前にリセットしたい。

もちろん家庭を養っていく必要がある。子供にもやりたいことをさせてあげたい。妻にも我慢させたくない。自分ももちろんやりたいことはいっぱいある。めっちゃ怖いし、どうなるかわからない。

けど、自分が本当になりたい自分になるために、一度リセットしよう。

そう決意した。


仕事を辞めて原点回帰

仕事を辞めて1週間後。アメリカへ。

妻には妊娠もしてて大事な時期だけど「ごめん」って。笑顔で「いってらっしゃい」と。やっぱ最高だわ。本当にありがとう。

出発前は1週間しかないし、コロナだし、本当に行けんの?ってドタバタだったけど、なんとかなった。笑

「なんでこんな時期にアメリカに行くの?」なんて聞かれることも。

やっぱ自分の原点はアメリカ。自分の起業するきっかけになったのもアメリカ。

あの時の感情や記憶がどう変化したのか、自分がそこに立ち返った時に何を感じるのか?自分の中から溢れ出るものは何か?どうしてもこのタイミングで行っておきたかった。エネルギーをチャージして、またスタートできるように。そんなアメリカ横断。

ロサンゼルスから始まり、最終終着地はニューヨーク。1ヶ月の旅。

旅行中はあらゆる世界遺産に行って、自然のパワーを感じて、色んな人に助けてもらって、アメリカを五感をフルに使って楽しんだ。

旅の内容はまた機会があれば書きます。

そしてニューヨークへ。今この記事はSt. RegisというNYの高級ホテルで書いてます。

これは、どうだすげえだろ、ってことが言いたいわけじゃなくて。本当に。むしろこのホテルに泊まって、自分よりもはるか雲の上より上の、何か悪いことして稼いでるんじゃない?ってぐらいのお金持ち?資産家?みたいな人を見て、まだまだやるしかねえ、って奮い立たされてます。

これは20歳の時の自分との約束。

いつかこの街に戻ってきて散財してやろう、って。笑

あの時よりはちょっとだけ成長したはず。もちろんまだまだ自分を満たせるほど強くはないけど、もっと強くなって、いつかまたこの街に戻ってきたい。

また自分との約束を果たすために。


仲間に「俺の人生に登場してくれてありがとう」と感謝できる人になりたい。

本当にアメリカに来てよかった。

やっぱり僕は事業が好きだ。帰国してからが楽しみで仕方がない。

方角を失った旅ほど、ワクワクすることはない。でも方角を失った日常ほど、退屈なものはない。

僕はコンパスを失っていた。

他人の尺度で100点を目指すより、自分の在り方で100点を目指したい。次の日がワクワクして眠れないぐらい少年でいたい。

そしてみんなそう在れるような人生で感動できる会社を創りたい。夢に熱狂できる、挑戦を応援できる会社。

正解を探すより。可能性を広げる人生に。

自分しか見せられない圧倒的に面白い会社をまた創っていこうと思う。そこに共感してくれるおもろい仲間が集まってくれたら心の底から幸せなんだろう。


今何かに決断できずに苦しんでいる人へ。

この記事を読んでくれている人の中には、今が怖くて行動できてない人もいると思う。心の中で叫んでいる声と口から音になって出てきた言葉が違う人もいると思う。

大丈夫。僕もそうだった。

でも僕はそれを止めてみた。解放されて気付けた。思ってるだけだったら何も変わらない。そんな当たり前のことも当事者だったらすごく難しい問題なのも僕は知っている。

「お前には無理だ」「こんな風に思われるんじゃないか」どんな道に行こうが批判する人はいるし、馬鹿にしてくる人もいる。ぶっちゃけその通り最初は失敗すると思う。

ただ考えてみて欲しい。今の延長線上にあるものは自分の望むものなのか?違うんだったら、どんな道でも失敗をするなら、自分の納得する失敗の方がいい。

”ガチで生きた”って言えるように目の前のやりたいことに精一杯トライした方が、死ぬ時きっと後悔はない。

きっとそんな人生の方がおもろいと思うし、何回失敗しても僕には立ち上がって上を向くことしかできない。そしてこれからもワクワクする方向に進むんだろう。

これをアメリカで再確認した。

まだまだ夢半ば。「小山大湖の生き方」を貫いていく。

待ってろ未来。

自分らしく働くことは、自分らしく生きること。


これが2022年6月23日のニューヨークで思っていること。忘れないために。


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