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#3 キリスト教とは何か。

11世紀以前のキリスト教についての変遷までを前章でのべた。この章では、11世紀以降のキリスト教の流れについて触れていく。(本当はライトにまとめようと思っていたのだが、思ったよりも時間がかかっている・・・)

政治的権力と宗教的権力が分離されていたローマ・カトリックだったが、その後次第に教皇の権力が強くなっていく。その結果、起こった悲劇が1077年のカノッサの屈辱である。

10.カノッサの屈辱

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聖職者を任命する権利をめぐってローマ教皇グレゴリウス7世とローマ王ハインリヒ4世が対立する。最終的にハインリヒ4世が折れて、許しを請いに行ったのだが雪が降る3日間、カノッサ城門にて裸足のまま断食と祈りを続けることになった事件。この事件では、完全に教皇の力が強まったことが証明された。

11.十字軍の遠征

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1096年からは聖地エルサレム を奪還するために十字軍遠征が始まる。

当時、東ローマ帝国は7世紀初頭に台頭するようになったイスラム教の勢いに押されつつあったため、神聖ローマ帝国(西ローマ帝国のその後)に助けを求める。この時期しばらくは一時的に東西が手を組むことになる。

その後、11世紀から13世紀にかけて9回も十字軍は遠征を行うことになる。

もともとは聖地を奪還するという目的から始まった十字軍遠征だったが、次第にその当時の目的意識は薄れ、アフリカに足を伸ばすなど侵略的意味合いが強まっていく。同時にペストなどの伝染病が広まり、戦費や死傷者の数も膨れ上がり、ヨーロッパ全体を弱体化させる要因を作る。

時は流れ、16世紀になると宗教改革と呼ばれる大きな転換期を迎える。当時のローマ・カトリック教会の基本的な方針は、「聖書を解釈するのは教皇と聖職者の仕事で、そのほか一般のキリスト教徒はありがたく彼らの教えてもらいなさい」というものだった。

その結果生まれたのが、免罪符である。これは、善行(献金など)を代償として信徒に与えた一時的罪に対する罰の免除証書のことだ。教会が自分たちの私腹を肥やす目的で作られ、かなりの数が発行されることになった。

12.宗教改革

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こうした単なる金儲けのためにキリスト教を利用するローマ教会の状況に対し、マルチン・ルターという一司祭が立ち上がる。

彼は、「大切なのは善行ではなく、信仰そのものではないか」と主張し反発した。ローマ教皇の絶対権力に反発する人たちも、その流れに加わり、プロテスタント(抗議という意味)という宗派が確立されていく。

それまでは、一般の人たちが自分でキリスト教の教義を得ることができなかった。その教義を得るためには必ずローマ教皇や聖職者経由でしか知ることができなかったのだ。それがマルチン・ルターが起こした宗教改革により状況が一変していくのである。

そしてその活動は、同時期に活版をはじめとする印刷技術が発展したことによりさらなる飛躍を遂げることになる。

ルターはこの宗教改革を行う際に掲げたのが、教会の教えではなく純粋に聖書に書かれている教義を守る「聖書主義」、特定の真実にたどり着くために重要なのは信仰だとする「信仰主義」、キリスト教徒は世俗的身分の差異はなく皆平等だとする「万人祭司」の3つである。

ちなみにローマ・カトリックとプロテスタントの間で大きな違いはいくつかあるが、そのうちの一つ例に挙げるならローマ・カトリックでは神父は生涯独身、プロテスタントの牧師は妻子がいても問題ないということ。なんとなく、プロテスタントの方が様々なことが寛容的な気がする。

キリスト教は、特にヨーロッパの音楽や建築に対して大きな影響力を及ぼした。そして国々の発展にも一役買っている。そうした歴史の変遷についても次回また触れていきたいと思う。(余力がある時に・・・)

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