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Jリーグについて変だなと思うこと

10年以上観戦してるけど、違和感

私がJリーグの試合をスタジアムで観るようになって10年以上が経ちます。川崎フロンターレの後援会員なので、主に行くのは等々力陸上競技場です。他のクラブには当てはまらないかもしれませんが、日ごろから違和感を覚えているしょうもないことについて書いてみたいと思います。

サポーターとは共同体なのか、消費者の集まりなのか

特定のクラブを応援している観客を「サポーター」と呼びますが、この「サポーター」という呼び名自体に違和感を覚えることがあります。Jリーグは株主だけでなく地域やサポーターもステークホルダーととらえているので、一見サポーターの集団は組織化された共同体のように見えますが、実のところは、チケットやグッズを買っている消費者の集まりに過ぎません

もしサポーターというのが一種の共同体であれば、共同体にふさわしいガバナンスがあり、選ばれた代表者がいるはずですが、そんなものは存在しません。あえていえば後援会(ファンクラブ)ですが、これはクラブの出先機関のようなものだと思っています。後援会の中に「サポーター代表」がいて、「サポーターの意見をまとめ」たり「代表者を選出」したりするわけではありあません。最大公約数をまとめる機能(ファンクション)が存在しないので共同体とは言えないと思います。

根強い共同体幻想と同調圧力

ところが、サポーター(実際は消費者)には根強い共同体幻想があります。特に、サッカーに興味のない人から見れば「なんじゃそりゃ」と思われることに対してやたらと「一体感」だの「団結」を呼びかける同調圧力が働いています。しかしこの同調圧力たるや、ガバナンスも何もない中でいち個人や私的集団がかけているものなので、視点を変えれば「脅迫行為」にもなりかねません。

例えばコア・ゾーン(ゴール裏など、応援を熱心にするサポーターが集まる場所)では応援団が前の方の見やすい席を陣取ることが暗黙のうちに決められており、早く来た人が前の方に座ったらどかせられるとか、あるいは複数の席を押さえて、自分の座らせたい人(例えば若い女子とか>これは以前私がツイッターで応援団構成員の男性に直接聞きました)が来た時だけ席を譲るということがコロナ前までは普通に行われていたようです(コロナ対策のため自由席はいまはない状態)。

応援団はサポーターの「代表」らしいです

スタジアム外でこんなことをもしやったら、間違いなくひんしゅくを買います。例えば新幹線の自由席で座っていた人をどかせる、あるいは複数の席を押さえて若い女子が来た時だけ席を譲り隣に座らせる、なんてないでしょう。こういう行為をクラブ側は「応援」を口実に黙認してきたようです。

たぶん、私以外の誰もこんなことは言わないと思いますが、冷静に考えれば、誰もその人たちに「応援」を正式に頼んではいません。完全に私的な集団なんですから。メンバーは好きな者同士で集まっているだけ。リーダーが必須とする資格要件、などの縛りもありません。

これがもし自治体などのガバナンスのある団体だったら、リーダーの資質を何らかの形でチェックした後で選ぶはずです。そして就任した後でもし不祥事があれば当然リーダーは退任しますね。「代表」ならば当たり前でしょう。Jリーグの応援団にはそういったルールもないようです。しかし、ホームゲームで有名人が来た時などは彼らがサポーターの「代表」として有名人を「もてなし」ますし、いろいろなイベントでもそのようにふるまいます。優勝すれば選手の背後に集まって写真や動画に映り込みますし、クラブを離れる選手の送別会なんかも主催したりするんですよね。

消費者が他の消費者に指示する不思議

Jリーグを見慣れている人はこういうことに慣れきっていて、きっと違和感を感じないのだと思います。楽しむためには細かいことを言うな、というご意見もあるでしょうが、ここはあえて言ってみます。

「ブーイングなんかしないで団結して応援しよう!」「皆さん立って選手を迎えてください」「一体感!」「最近は負け試合で個人の批判をするサポーターがいる。サポーターの質を上げたい」同じようなことをもし他の状況で言われたらどう思うでしょう。

「会社の愚痴は言わずに黙って従おう」「運動会は参加!それが忠実心の証だ!」「私たちはお父さんを信じてる!そうでしょう?」「最近は業績が悪いとその責任者を追及する傾向がある。社員の質を上げたい」
気持ち悪いし、めっちゃ時代遅れな感じで、笑えるんですよ。
お金がもらえる会社においてさえいまどき一体感なんて言いません。ましてやお金を払って観に来ている娯楽なのに、知らない誰かから指図されて立つってどうなんだろう。
それも、そう言って「リード」している人たちには、何の公式な権限もなく、勝手に言っているだけという滑稽さとセットになっています。
でもそれを喜々としてやるのが「本当のサポーター」らしいんですよ。

違和感を覚える人は去っていく

前の会社の同僚で、当時30代前半だった男性が「サッカーでも見ようか」と味の素スタジアムに行き、食べながら観戦していた時の話を聞きました。急に「そこは応援する人の席。食べるな」と他の観客に言われ「めちゃくちゃ腹が立った」と。そんなことどこにも書いてないし、チケットにも書いていない。クラブや係の人に言われるならともかく、なぜ他の観客に言われるのかと。彼は「もう二度と行きたくない」そうです。私は一応、コアゾーンでないところでは食事もできることなどを説明しましたが「そんなの変ですよ」と言っていました。(そもそもJリーグの規約にそんなこと書かれてないですしね)ちなみに彼はとても穏やかで私と違って全くひねくれていません。本当に普通の人です。

「不満は聞かない」と言うかもしれないけど

例えば昭和の時代には「チンピラが町の治安を守っていた」という論理がまかり通っていましたが、いまやそういうことを言う人はいません。時代が変わったからです。何の権限も持たない人が、なんら人に迷惑をかけていない他の個人の言動に干渉する、ということ自体が、時代遅れなのです。ましてや立ったり声を出しての応援など、必須ではないことは、コロナ下で明らかになっていますしね。むしろ静かなスタジアムはピッチ上の声が聞こえて面白いこともたくさんあります。

私のもと同僚のように、独特のサポーター文化を「変だ」と思う人は二度と、スタジアムには来ないんですよ。あるいは、来るとしても、違和感を覚える人はコアサポ(熱心なサポーター)から距離を置いて、マイペースでサッカーを楽しむ。そう、私みたいに。だからクラブ側は「サポーターからの不満は聞いていない」ことになっているのでしょう。そもそもクラブが積極的に聞く「サポーターの声」というのは「コアゾーン」にいる熱心に応援をする人たちの声ですしね。

「永遠に続いて欲しいこと」なんだろうか

他人と境界線がなさそうなコアサポと違って、私は「人と自分は別」という考えなので「まあ、やりたい人は勝手にして」と割り切って観戦しているのですが、クラブから要請されるアンケートなどに「サポーターは一体感を求めている」「応援を楽しみたいと思っている」という先入観がみてとれるのが、どうにも気持ち悪くてならないのです。私は「よいサポーターであれ!」という同調圧力をセットで購入しているつもりはないので。

一つ言えるのは、日本は高齢化・少子化でファミリー層は激減していき、今後は高齢者層をターゲットにしないと数は見込めないということです。
平成初期のJリーグ設立から令和のいままで、30年間もこの体育会系的、浪花節的な文化は続いてきたようですが、あと何年続くのでしょうか。

実は、コロナが始まる前から私はアンケートなどで「指定席でも応援を強制されるような雰囲気に違和感を感じる」ことを何度か後援会側に伝えています。そのこととの因果関係は不明ですが、今年のシーズンチケットは、ピッチから遠い列の席になりました。面白いですね。

私は2017年の初優勝の前からシーズンチケットホルダーですし、心からフロンターレを応援しています。でもこの違和感はぬぐえないのです。まあ、しょうもないことですけど。(終わり)


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