だいちろ

スナップ写真を撮ることが趣味です。3人家族でお父さんです。オフィスをつくる仕事をしてい…

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スナップ写真を撮ることが趣味です。3人家族でお父さんです。オフィスをつくる仕事をしています。

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最近の記事

承認欲求は砕けない

最近、膝に水が溜まるように承認欲求が膨らんでしまっている。 YouTubeでその対処の仕方を調べようと思ったのだが、こういう「明確な答えがない問いは自分で考えた方がいい」と何かの本で読んだことを思いだし、日記を通してどうしていこうか考えることにした。 まず、この承認欲求というのは強大な敵である。 倒す、つまりはこの気持ちを満たそうとすると、SNSの投稿が赤ちゃんの写真でいっぱいになることだろう。 それで「いいね」という果実がある程度実ったとしても、有名人の畑を見る度に歴然と

    • 今日

      とある日、子どもを保育園に送る途中、自転車に乗りながら「おぉ、美し」と感じた花のついた木があった。 深緑の左官壁の建物に覆われていたことで、その木の美しさが際立っていた。 今日、別の場所で同じ木を発見して、近寄ってiPhoneで撮影し、種類を画像検索した。 「百日紅(サルスベリ)」であった。 ー 20時過ぎ、母からLINEがきて、奥さんに事情を伝えて、バタバタと外に出て自転車にまたがった。 おじいちゃんの意識が途絶えそうだという連絡であった。 おじいちゃんは余命宣

      • 「ぼく」か「俺」か

        自分のことをなんて呼ぶか迷うことがある。 仕事では相手によって「自分」とか「僕」とか「私」にしたりする。 日記は何となく「僕」にしているけど、好きな日記を書く人はひらがなで「ぼく」と書いている。 統一していない状態はよくないので、とりあえず今日から「ぼく」にしようかな。 因みに1番自然に言葉として出る一人称は、実は「俺」だ。 だから日記も「俺」の方がいいんじゃないかって思うことがある。 でも「俺」にした内容を読み返すと鼻につくことが多い。 実験的にあえて一人称を「俺」して、

        • 一日で書き切る

          日記が一日で書けない。 でも今回のこの内容は今日から書き始めて、今日書き切る。そう決めた。 いつもいい題材が思い浮かんで、書き始めたら日をまたいでしまう。 それが数日で済むこともあれば、一週間以上経ってしまうこともある。 それがズルズル引き伸ばされて、一回やめてしまって、最近また始めた。 そして思った、その日中に書かなきゃ日記じゃないじゃんって。 日記じゃないものとして割り切って、何日もかけて書くべきか。 いや、そういうものを書くのは悪くない。 でもそれは日記ではない。随

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        マガジン

        • 遊歩日記
          84本
        • 遊歩日記-家族の話-
          21本
        • 遊歩日記-仕事,設計の話-
          28本

        記事

          意味深げな写真で怖がらせないために

          「これを明日以降もまた見返したい?」という質問を自分に投げかけながら今日の写真を選んだらこれが残った。 ↑この内容をInstagramにあげたところ、友人から「なんか怖い」と言われた。 正直、ムッとしてしまったのだが、この苛立ちの原因と、今後どうしていくべきか、このままでいいのか考えてみようと思う。 まず苛立ちの原因から考えると、この写真を生み出した自分の気持ちと、受け手の気持ちが繋がらなかったという悔しさからなのかもしれない。 (因みに冷静になった今、苛立ちは当然無く、

          意味深げな写真で怖がらせないために

          いいものが作れているか確認する

          帰宅途中、駅のホームでふと広告のマンガ絵に目が留まった。 別に下手な訳でもなかったのだが、この描き手は楽しい気持ちで描けたのかと考えてしまった。 あまりに忙しいと、なんでも効率よく捌くことに意識が向いてしまう。 そんな描き手の気持ちが薄ら感じられた。 モヤモヤ考えている内に、あれ、俺はちゃんといいものが作れているのか、と思った。 よし、文章化して気持ちを整理しておこう。 例えば今まで書いてきた日記を振り返って、本当にこの内容がいいと思って投稿できているかと自分に問うと、見事

          いいものが作れているか確認する

          子供と遊んで知ること

          子供がブロックで遊んでいる。 ブロックで遊んでいるといっても、ブロック同士をぶつけて音を出したり、ブロック専用の透明の箱を噛みながら透明の箱越しの世界をみたりして、ブロック本来の遊び方とは違うことをしている。 説明書がふと目に入り、 「大人がお手本を見せてあげて下さい。」 と書いてあり、まぁ読まなくてもやっていたとは思うが、電車と象さんを足して二で割ったようなものを作って渡してみた。 すると子供はそれを少し眺めた後にばらして、さらにブロック一つ一つになるよう丁寧にはずして

          子供と遊んで知ること

          遠出の欲が出たのなら

          自分は何かと行動を起こせる人間だって思う時と、とことん閉鎖的な考え方をする人間だって思う時がある。 例えるなら、今この場でジャンプすることはできるけど、深い谷——だけどたった1mの幅しかないそれを飛び越えることはできないという感じだ。 今の環境で少し突飛な行動を取れっていうのはできる気がするけど、今の場から離れることには、何かと腰が重くなってしまう。 その原因は関係があるかわからないけど、ぼくの実家、そして父方と母方の祖父母もみんな同じ市内に住んでいることが、閉鎖的な考えを

          遠出の欲が出たのなら

          いっそ痛く、勢いよく。

          盆栽は苗木の時から慎重に手を加えてコツコツ育てるものがある一方で、高山の切り立った岩場に曲がりくねった状態で生えているものを抜いて、その形を活かしながら整えていくものがある。 それを真柏(シンパク)と呼ぶそうなのだが、日記や随筆を書く上では後者の盆栽のような進め方をしたいとふと思った。 そのためには自然に身を委ねて流れるような動きのあるものを最初に用意する必要がある。 肉やじゃがいも、にんじん等を鍋に入れて、水を入れて沸騰させて火を通して調味料をーではない。 うまいかどうかわ

          いっそ痛く、勢いよく。

          頭と体の錆びたところ

          早朝。腕立て伏せ、腹筋、スクワット、そして肩甲骨と腰を動かすストレッチをして、終了。 筋トレを前向きに取り組めるようになるきっかけは突如として訪れた。 「機械は動かし続けないと壊れる」 という自然に考えれば当たり前の話をふと耳にして、その機械というのは原子力発電所のことでその耳にした話は壮大であったのだが、僕は再稼働の是非を問いたい訳ではなく、ただ動かさずに放置し続けることが危うそうという感覚だけが色濃く自分の中に残り、その後はやたらと放置されて硬直し続けているものに対して、

          頭と体の錆びたところ

          せっかちな俺へ

          めまぐるしい。 仕事が立て込んでいる。 加えて、支えているものが便利すぎる。 手が、目が、体が、そしてやっと頭が、 引っ張られて、振り回される。 そんな状態が続くから、小手先ばかり早くなってしまった。 いつなんどきも呼吸が乱れない人間は、手ではなく頭が先をゆくんだ。 自分はせっかちである。 そんな自分とは対立を続けていかなくてはならない。 個性は、活かすべきものと眠らせるべきものがあるように思う。 自分を変えることは容易ではない。 だから自

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          ゆっくりは心掛けだけでは足りない

          ゆっくりが大切だってわかっていても、なかなか早く話してしまう。 ゆっくり噛むのがいいのもわかっている。 ある時、ふとカメラが身近にあったら、生活が変わると思った。 カメラを購入して半年がすぎ、大きな変化があった。 それは自転車よりも散歩の方が好きになったことだ。 お昼に散歩に出かけて、30分で30枚ぐらい撮った。 その後、少し経ってから、また外に用があって、今度は自転車で外に出た。 そのときもカメラを持って出たのだが、いいものに巡り会えなかった。 数日前に仕事で山梨

          ゆっくりは心掛けだけでは足りない

          よしおさんの雑草精神

          奥さんからとある番組の予約をお願いされて、テレビで番組表を開いたら、予約してほしいものの隣に気になるものがあった。 情熱大陸、小島よしお。 情熱大陸はあと数分で始まる。小島よしおがテレビに出始めたのは、ぼくが中学生ぐらいの時。一発屋と言われながら、今もテレビやYouTubeでよく見かける。ってことはなんだかんだ15年近くも見続けていることになり、加えて人柄も好きなので、親しみがあった。だから自然と迷うことなく、チャンネルを変えなかった。  「お笑いの才能は本当にない。

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          ハウツー本疲れにはミステリー小説がいいのかも

          何年ぶりだろう。久々にミステリー小説を読んだ。タイトルはアガサクリスティーの「そして誰もいなくなった」。中身とは関係ないが、「為になる本」を読むことに疲れていたんだなぁ、と読みながら気付いた。ぼくにとって読書は、基本的に勉強の姿勢だった。「いい文章の書き方」とか、「いい写真の撮り方」とか、「自己啓発」とか、「脳の知識」とか、もちろん読んでいて楽しいのだが、その楽しさは成長とか発見から来る楽しさだった。「そして誰もいなくなった」はミステリー小説なので、当然為になる内容は少ない、

          ハウツー本疲れにはミステリー小説がいいのかも

          休日を襲う「俺って何がしたいのかなぁ」という問い

          ぼくにとって30代というのは、20代で得た知識や技術が整理されていく年代なのかもしれない。20代は治したいこと、伸ばしたいこと、楽しいこと、楽しくないこと、合うやり方、合わないやり方にピントを合わせていく年代だったなと振り返ってみて感じた。病名も効果的な薬もある程度わかっていれば、30代では必要な薬を選んで、継続的に飲んでいかねばなぁと思う。去年子供が産まれて、自分に与えられた時間がぎゅっとなり、計量スプーンから砂糖を擦り切るように、無駄なことがこぼれ落ち、必要な分だけが一日

          休日を襲う「俺って何がしたいのかなぁ」という問い

          苦労して手に入れていた娯楽

          もう既に頭のいい人達が議論して結果まで出しているような内容なんだとは思うんだけど、娯楽がすぐに手に入れられる状態というのは、やっぱりよくないよなぁって思う。 ぼくが小学生の頃、録画してでも見たいテレビが割とあって、月に何度かはビデオで「Gコード予約」をしていた。Gコード予約って何歳の人まで伝わるんだろう。中身が消えてもいいビデオを差し込んで、新聞の番組表に記載してある8桁ぐらいの数字を入力すると、開始時刻と終了時刻が設定されて予約できる仕組みだ。懐かしい。そう、苦労して録画し

          苦労して手に入れていた娯楽