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苦労して手に入れていた娯楽

もう既に頭のいい人達が議論して結果まで出しているような内容なんだとは思うんだけど、娯楽がすぐに手に入れられる状態というのは、やっぱりよくないよなぁって思う。
ぼくが小学生の頃、録画してでも見たいテレビが割とあって、月に何度かはビデオで「Gコード予約」をしていた。Gコード予約って何歳の人まで伝わるんだろう。中身が消えてもいいビデオを差し込んで、新聞の番組表に記載してある8桁ぐらいの数字を入力すると、開始時刻と終了時刻が設定されて予約できる仕組みだ。懐かしい。そう、苦労して録画したテレビを見ていたってことを伝えたい。
また音楽をイヤホンで聞いて楽しむにも、CDを借りるか買うかして、パソコンに取り込み、iPod shuffleに入れて聞いていた。もっと前と比べたら、楽になったんだろうけど、今はすぐに聞きたい曲が聞ける。
そしてゲームはそもそもお金が少ないから年に2,3本しか手に入らず、当然買ったゲームはやり込むことになる。

娯楽に一生懸命だった。目の前にあるおにぎりを目を瞑って、ゆっくり噛んで味わうように、テレビも音楽もゲームも咀嚼していたように思う。今はおにぎりの中に具が入っているのに、そこらへんのキムチを乗っけたりして、それを食べながら、たいして味わいもせず、もうお腹空いていないのに、癖で次のおにぎりに手を伸ばしているような、下品な状態である。

仕事の話になっちゃうけど、そして話は少し飛ぶけど、建築っていう仕事をしていて、建築をこよなく愛する人がいると、圧倒される。ぼくはもちろん建築は好きだ。でも暇な時間は別のことをする。きっと好きな人は空き時間も建築に関わる情報を見ていたりするのだろう。そうやって色んな娯楽があるにも関わらず、一つのことに絞って打ち込めている人というのは、軸がある感じで、なんだか「羨ましい」という気持ちにさせられる。

記憶を呼び起こす。昔レゴをよくやっていた。今はたまにしかやらない。テトリスを死ぬほどやっていた。でも今は全くやらない。ふと目の前の風景を描いたりしていた。でも今はー。ふと思い浮かぶ強いモンスターも描いていた。やらない。思い浮かびも今はしない。スマホの動画視聴とか漫画を手あたり次第読んだりとかテレビで無料で溺れるほど見れるアニメとかっていう娯楽の暴飲暴食がさぁ、大切にした方がよさそうな「少年青年時代の娯楽」を、楽しさが上回ってしまった時、ぼくって、わたしって、本当は何がしたいんだろうっていう問いに、大人になってぶつかるんだと思う。

そういえばこの前、凧揚げをした。風が弱くてあんまり飛ばなかったけど、まぁまぁ楽しかったなぁ。

二子玉川のmont-bellで買ったコンパクトにたためるアースカイト。

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