「できない」を分解する
noteを書き始めて今日で3週間目。
まだ習慣化とまではいかないけど、書くことに対するハードルは下がってきたイメージ。
今日は「できない」ことの種類について書いてみようと思う。
「できない」には種類がある
タスクを任されたけれど、それをこなせなかったり、期待されている(されたと勝手に思っている)クオリティの結果を出せなかった時のことを想像して欲しい。その時、あなたはどんな感情を持つだろうか。
まず僕が最初に感じるのは「努力が足りなかったからできなかった」という感情だ。
情けない気持ちになるし、もっと努力をなぜしないのかといった自責の念に駆られる。
「努力を完璧にできたか?」と言われると、「できることは全てやり切りました」と即答できない点も確かにある。少し長めに休息をとってしまった、もっと推敲してよい文章にできたかもしれない、もう少し手を動かせたかも。挙げようと思えば、「もっと〇〇」というフレーズに当てはまることは、ゼロではない。
しかしここで、いったん立ち止まって考えてみると、本当に努力不足だけが原因なのか?
何か達成するには3つの要素があると思っている。
①努力
②スキル・キャパシティ
③経験
この3つ。
この視点に立って、自分ができなかった時の感情を振り返ってみると、各々の要素に対する意識は①80%②19%③1%くらいで見ていた。
つまり、努力不足による部分に、視点が大きく偏っている。特に忙しかったり、負い目を感じている状態では、①に偏って考えてしまう人も少ないのではと思ったり。
失敗した事実を「努力不足」という言葉で表せば、周りに対しても説明をしやすいし、自分にとっても思考する範囲を狭めて考えられるので、(一時的に)思考する負担も減る。
本当にそれでいいのか。正しいのだろうか。
実際のところ①~③の割合は33%,33%,33%だったり、10%,40%,50%の可能性は十分ある。
むしろ、目標と道筋を明確に定められているにも関わらずできなかったとき、努力だけが圧倒的に足りないといった状態はほぼない。純粋に経験値が足りていなかったり、スキルを持っていないがために「できなかった」のではないだろうか。
「できない」を分解する
では、どうしたらいいのか。
できないという現象に直面したとき、重要なことは「できない要素の正確な分解」だ。
①~③のうち、どのような割合でできなかったかを感情に流されずに分解する。これができるかで、そのあとの行動や気持ちも大きく変わってくる。
できない理由を「努力のせい」にするのは簡単だ。働く時間を増やす、インプットを増やす、目標をもっと明確にする。もっともらしい答えも見つかる。
でもそんな時こそ、なにが「できなかった」一番の理由なのか考えるのが重要。
そんなことを考えた1週間でした。おしまい。
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