30代後半からの人生を豊かにする「複数形な生き方」のススメ
もう1ヶ月ほど経ってしまいましたが、先日、42歳の誕生日を迎えました。
かつては「若手起業家」とか言われていた自分も「見事なオッサン」になっったわけですが、実はいま、意外にも過去もっとも充実した日々を過ごせています。20代や30代に感じていた充実感とはまったく違う質感の、「日々を大事に過ごせている」実感があるのです。
40代になる手前にはいわゆる「ミッドライフ・クライシス(中年の危機)」も経験したのですが、そこを良い感じで抜け出せたように思います。最近「いまこんな風に生きてるよ」と周囲に話したら割と反応が良かったので、気を良くして、自分がどうミッドライフ・クライシスを乗り越えたのか、いまどんな生き方をしているかなど、書いてみたいと思います。
これから40代を迎える誰かにとって少しでも参考になればと思い、大変お恥ずかしいエピソードも含め、赤裸々に書いてみようと思います。
30代後半での挫折と自己嫌悪
実は40代に差し掛かるちょっと前、自分としては大きめの挫折がありました。
ちょっとだけ自己紹介します。僕は大学卒業後すぐに青年海外協力隊に参加し、その後3年間の民間企業での勤務を経て、28歳でクロスフィールズというNPOを起業したという人間です。その後は起業した組織をいかに軌道に乗せていくかに、文字通り全力投球して30代中盤までを過ごしました。
そんな自分にとっての挫折は、自分でも笑ってしまうくらいの出来事でした。World Economic Forumの指定するYoung Global Leader(YGL)なるプログラムに選出されなかったという、ただそんなことです。
YGLというのは、世界に大きな影響を与えることが期待される40歳未満の若手リーダーが選出されるプログラムで、先輩の世代ではコペルニクの中村トシさんやETIC.の宮城治男さん、同世代では五常・アンド・カンパニーの慎泰俊といった、自分が尊敬する人たちが多数選ばれていました。ビジョナリーで実績ある世界中のリーダーとつながる機会ということで、実は起業したての頃から「いつかはYGLに」と勝手に1つの目標にしていたのでした。
そして、応募期限ギリギリの38歳で満を持して応募したのですが、結果は見事に一次審査での書類落ち。面接審査にすら進めませんでした。10年くらい憧れていたプログラムにあっさりフラれ、相当に落ち込みました。
が、その後しばらくしてみて、YGL落選で落ち込んでいる自分は「相当に痛いのでは」と思い始めました。そもそも僕は自分なりの問題意識から事業を起ち上げ、様々な人たちに支えて頂きながら10年以上事業に取り組んできたわけです。それなのに、なぜか世界的なプログラムへの選出という「他者からの評価」に振り回されてしまったわけです。「自分はなんて愚かなんだ」と、自己嫌悪に陥りました。
そして、そんな他者からの承認を欲しがっていたちっぽけな自分を徐々に受け入れつつ、38歳の僕は「じゃあこれから自分はどんな風に生きていけばいいのか?」という問いに正面から向き合い始めたのでした。
そこから悶々としながら1年くらい悩みました。そして、色々な人たちに相談させて頂きながら、この問いに対して自分なりにたどり着いたのが「上昇志向から探索志向へのシフト」というキーワードでした。
上昇志向から探索志向へのシフト
思えば、30代までの僕は思い切り「上昇志向」でした。
起ち上げた事業を大きくしたいという気持ちが強く、他の組織と比較して「もっと事業規模を大きくしたい」とか「より大きな影響を社会に与えたい」とか考えてました。もちろん、こうした考え方が自分のエネルギーとなっていたし、組織をある程度の規模まで成長させる原動力になった面もあるかと思います。
ただ、YGL落選でちっぽけな自分に気付いてみて、単線的な物差しを軸にして「いかに上昇できるか」という考え方は際限がないし、その先に納得感は得られないと考えるようになりました。それに、せっかく「NPO経営者」という普通の人とは違うキャリアを歩んだにもかかわらず、分かりやすい世間的な物差しで自分の成果を測ることはバカバカしいと思い直したのです。
であれば、上へ上へと上昇するよりも、水平方向に視点を広げて色々なことに挑戦し、そこから見えてくることを楽しむ「探索」にシフトしてみようと考えました。世間一般の単一的な物差しに縛られるよりも、自分の中に「多元的な物差し」を持った方が人生は豊かになると考え直したのです。
振り返ってみると、自分が人生を主体的に楽しめるようになったきっかけは、22歳で悩んだ末に青年海外協力隊への参加を決意したことでした。いまでも、あれは人生最良の意思決定だっと思います。「いい大学、いい会社」という分かりやすい上昇志向のレールから外れ、意図的に水平方向への挑戦をしたことで、いまの自分を形づくる沢山の素晴らしい経験に出会えました。
40代を前に、もう一度、そんな自分らしい挑戦をしてみたくなったのです。この考え方の変化で、僕はミッドライフ・クライシスをなんとか乗り越えられたように思います。
行き着いた「複数形な生き方」
そんな「探索志向」へのシフトチェンジを決意して、約3年が経ちました。
引き続き本業の仕事に向き合いながらも、仕事以外のことにも真剣に向き合うようになりました。これまで「事業が忙しいので」と断っていた誘いも気が向くものは引き受けたり、プライベートでも積極的に役割を引き受けるようにしていきました。事業においても、規模の拡大を目指すよりも、非連続な方向の可能性に挑戦するような意思決定を増やしていきました。
そのようなシフトチェンジをして3年が経ってみて、いまの自分の時間やマインドの使い方は劇的に変化しました。
これまでの「本業での成果こそが自分のすべて」という捉え方がなくなって、「自分には複数の持ち場がある」という感覚になっています。自分には役割がある持ち場がたくさんあって、それぞれの場所での役割に全力を尽くそうとしている感じです。
ちょっと具体的に、語ってみます。
地域・家庭・職場という3つの持ち場
いろいろな可能性に探索的に挑戦した結果、自分の場合、「地域」「家庭」「職場」という大きな3つの持ち場で、そのなかで色々な役割を果たしているような状況に行き着きました。
たとえば「地域」では、小学校のPTAと少年野球チームの運営に思い切りコミットしています。PTAでは二期にわたって役員を務め、組織改革に取り組んでいます。PTAという民主的な組織で改革がどのように起こっていくか、その渦のなかで学びが多いです。息子が所属する地域の少年野球チームでは、コーチを務めています。40名を超える地域の子どもたちの成長に貢献できることは、何よりのやりがいです。
また、「家庭」では2人の子どもの父親としての役割、そして夫としての役割を楽しんでいます。娘と息子がそれぞれに自分の人生を切り拓けるように、自分が両親にしてもらったように2人を応援することは、人生で最も大切な役割です。子どもたちとの様子を観察し、色々な選択肢を提示することに以前よりも真剣に取り組んでいます。また、仕事に全力投球したい妻の挑戦を夫として応援することも、自分の人生での大切な役割だと捉えています。
「職場」という持ち場でも、考え方がかなり変わりました。チームには約30名の頼もしい同僚がいて、「代表である自分がとにかく引っ張る」という創業期の状態とはガラリと変わりました。いまは自分もメンバーの一員として、この組織での事業を一緒につくっているような感覚です。
また、本業であるクロスフィールズ以外の活動へのコミットも増やしています。170を超すNPOのネットワーク組織である新公益連盟の理事として、ソーシャルセクター全体を盛り上げる活動にも力を入れ始めています。最近では経済同友会の委員会でボードメンバーを務め、企業とNPOの連携を加速するという大切な役割も担わせてもらっています。仕事面においても、かなり活動の幅が広がったような感覚です。
「複数形な生き方」が人生を豊かにする
ザザッと書いてみましたが、「時間とマインドの9割は本業に割くのが当然」「家庭にコミットする時間はなんとか捻出する」という感じの30代までの自分からすると、劇的な変化がありました。
いまの自分は、複数の持ち場で、それぞれに異なる自分の役割を全力で果たそうとしている自分を楽しんでいるような感覚です。
こういう生き方をしてみて、改めて色々な気付きがあった気がしています。
まず、複数の持ち場を持つことで、付き合う人が思い切り多様化しました。育ってきた背景や職業などの異なる、本当に色々なタイプの人の考えや価値観に触れられるようになり、このこと自体が単純に楽しくてたまらないです。また、地域でのつながりが増えたことは、これから地域で長く暮らしていこうとしている自分としては、将来ごきげんに暮らしていくための長期的な投資ができている気もしています。
それから、視野が広がったようにも思います。これまで「自分はNPOの経営者だから社会は見えている」と勝手に思い込んでいましたが、PTAや少年野球チームの一員として地域に入り込んでみて、自分の視野がいかに一面的だったかを実感しました。今は以前よりも複層的に社会を見れている気がしますし、同時に、自分には見えていない世界が数多く存在しているという意識を持てるようになった気がします。
それから、逆説的ですが、単線的な成長を志向していた時よりも、結果的に自分も事業も成長している気もしています。自分自身が肩の力を抜いたり権限委譲をしたことで、これまで見逃していたチャンスを拾えるようになって、組織や自分にも非連続な成長が起きやすくなったのかもしれません。
最後に
なんだか自分語りが長くなってしまいましたが、僕としては、こんな風に地域・家庭・職場などといった複数の持ち場で役割を持つ「複数形な生き方」(かっこよく「プルーラル・ライフ」とでも名付けられるかも?)をする人がもっと増えればいいと心から思っています。
自分も属するいわゆるミレニアル世代には、家庭や地域にもっとコミットしたいと考えている人たちは男女問わず多いはずです。この世代が地域や家庭での役割をより積極的に担うようになれば、日々を豊かに暮らす人の数が増え、地域はより元気になり、社会はより豊かになっていくと思うのです。
42歳の自分としては、そんなことを勝手に夢見ながら、これからも色々な持ち場での役割を果たす「複数形な生き方」を楽しんでいきたいと思います!