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心のどこかで他人が成功しないことを望んでいる観察者【雑記】

他者から評価されることで人は生きていける。

他者から評価されるためには、他者に必要とされる自分を演じなければならない。

私たちはどこでも、他者に必要とされる自分を演じている。職場でも、学校でも、家庭でも、本当の自分は心の奥底にしまっている。

なぜなら本当の自分には、目を背けたいくらいカッコ悪く、気持ち悪い部分が詰まっているからだ。

今回は、自分の醜い部分と真正面から対峙しようとする、そんな話。

※このnoteには、映画「何者」のネタバレを含みます。ご覧になる方は自己責任でお願いいたします。


■ きっかけはある映画

何者」という映画を見た。

3年くらい前に原作小説を読んで、なにか強烈な印象を自分に植え付けたのを覚えていたのだが、見た内容を思い出せずにいたのでまた見たいと思った。

この映画で特に強く描かれているのは、主人公である拓人の人間観察のようすだ。

友人がTwitterで飲み会や打ち合わせの写真を撮って、自己アピールをする様子を見て、サムいなあと思ったり、「自分は他人とは違う」アピールする人を見つけては"意識高い系"と斜に構えていたり、友人の内定先の悪いクチコミをスマホで検索していたりしていた。

そしてそんな視点に皮肉にも共感してしまう自分。
この「映画」自体を登場人物の観察者として客観的に見ている自分。

しかし、そんな自分に殴りかかるような言葉が飛んでくる。


■ 言葉に殴られる

「いい加減気づこうよ。
 そんな観察者ぶったって、何にもなれないんだよ。
 それを皆わかってるから、
 痛くてもカッコ悪い自分を理想の自分に近づけようとして
 頑張るんだよ」

映画を見ていちばん印象に残った台詞だ。

原作を読んだ時もこの言葉に殴られた。

そして思い出した。そうだ。この話は、自分のカッコ悪いところを認める話だったんだ。

自分のカッコ悪さを認められないが故に、他人のカッコ悪い部分を探して安心する。自分はつねにどこか遠いところから俯瞰して見ていて、他人の人生を観察する。

これが拓人、そしてそれに共感してしまっていた自分の正体だった。


■ 臭いものに蓋をしない

原作に出会ってから今までの3年間、私は変われただろうか。「何者」かになれたのだろうか。

本をたくさん読んだ。いろんなところへ出掛けてみた。noteを始めてみた。
確かに、自分を見てくれる人はすこし増えた。
だけど、今の自分は3年前と何も変わってはいない。

そしてようやく気付いた。私が私である以上、自分は変わらないのだと。

だからこそ、どうしようもできない自分の醜い部分を肯定しなければならないんだ。


そして、他者が自分を肯定したとしても、自分は変わらない。

この映画のテーマは就職活動だ。企業から内定を勝ち取るべく、多くの就活生が奮闘する様子が描かれている。

しかし、そこで内定をもらったとしても、彼らは何者にもなれないだろう。

内定をもらうと、自分すべてが肯定されたような気になる。
受験合格にしても、Twitterでバズったにしても、インスタグラムでいいねをたくさんもらったにしても同じだ。あたかも世界から認められたように感じてしまう。

だが、それは偽りの肯定感だ。

1分間の自己アピールで、1回のテストで、たった140文字で、自分のことなんて伝えられないし、その中で他者に肯定されたとしても、何者にもなれない。

自分を本当の意味で肯定できるのは、自分だけなんだ。


■ 「自己肯定感」

自己肯定感という言葉を聞くと、「すべての物事をポジティブにとらえる」「楽観主義的に生きる」というイメージがあるだろう。

しかし、本当の意味で自分を肯定するということは、自分の触れたくない部分に触れて、気持ち悪さを感じるということではないかと思う。

もちろん、誰しもがきっと自分の嫌なところにはなるべく触れたくない。そのほうが楽だからだ。

でも、それに触れて、正面から対峙すれば、きっと少しづつ心が穏やかになっていくのではないかと思う。


■ さいごに

私にも触れたくない部分はあって、それを何回も思い出しては、考えないようにする、その繰り返しでした。

ですが、この映画を見て再び自分に対する意識を深めることができました。

最後まで見ていただきありがとうございました。

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