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質問する気で聴きなさい

シャイにもほどがある小学生だった。
先生が「これ、わかる人いる?」と生徒に問いかける。
誰も答えない。私は答えがわかっていたが、手をあげない。あげられるわけがない。
不意に「岩崎くん、わかる?」と聞かれ、ムチで打たれたような衝撃が走る。
消え入りそうな声でなんとか答える。「その通り」と先生。
私は正解を答えたが、恥ずかしくて泣いていた。泣いている自分が恥ずかしくて、さらに泣いた。

時が経ち、私は大学院生になった。
4月の授業で指導教授は「岩崎くん、どう思う?」と私に問いかける。
私はもう泣きはしなかったが、衝撃は感じていた。
「わかる?」ではなく「どう思う?」と聞かれたからだ。
今まで「学ぶ」とは、理解すること、覚えることだった。
しかし指導教授は「どう思う?」とか「君の場合だったらどう?」と聞いてくる。
それはつまり、「疑問点や反対意見はあるか?」ということと「学んだことを自分でどう活かすか?」ということが問われているのだとわかった。
頭の中で理解するだけの学びしかしてこなかった私は、しばらくまともな返答ができなかった。

テストや学歴、資格のための学びであれば、覚えることが目的であり、覚える内容は「正しい情報」である。
しかし、ときに学んだことを現実に応用しようとすると、様々な現実問題が絡んできて、うまくいかないことがある。
権威に認められた情報でも、自分の置かれている状況や今の時代にはうまく適合しないことだってある。
学びを活かすためには、常に現実を見て、疑う姿勢が必要になる。
ありがたくも正しい知識を丁寧に受け入れるのではなく、もらったそばから自分なりにイジり倒す。
この意識をもつことで、私の学びはまったく違う体験になっていったし、単純に学ぶことが楽しくなった。

しばらくすると指導教授は、私に「どう思う?」と問うことをやめた。
そしてこう言った。

「相手の話は、常に質問する気で聴きなさい」


質問することは、相手の主張の欠点や説明不足を指摘する行為にもなる。
面接なんかで「最後に何か質問はありますか?」と聞かれたとき、それまでの内容が充実していたら、笑顔で「ありません」と言ったほうが円満な気もする。
はじめから質問する前提なんて、失礼なのでは?

いや、そうではない。
そうではないことを、みなさんも体験的に理解してほしい。
質問をする前提で人の話を聴くことは、少なくとも3つの利点がある。

1. 必死で理解しようとする

一方的に話を聞くだけであれば、自分が理解できていなくても問題ないし、とりあえずバレることもない。
しかし、質問をするとなると、相手に理解度がバレてしまう。
無理解な質問をして、相手をがっかりさせてしまうかもしれない。
最悪なのは、質問の答えが、ぼーっとして聞き逃していたときに既に語られているときだ。質問してるくせに聞いてないとは失礼な話だ。
質問をするならきちんと理解しなければ、という緊張感が集中力をもたらす。
恥と失望を恐れがちな日本人は特に必死になるだろう。

2. 相手から補足説明を聞き出せる

限られた時間のなかで、話し手は語りたい内容を取捨選択している。
本当は伝えたいことが他にもいっぱいあるのに、やむをえずカットしているのだ。
一通り話を終えた後に、話したかった内容につながる質問がくると、話し手は嬉しくなる。
これがいわゆる「いい質問ですね!」というやつだ。
あらかじめ用意しておくよりも、会話のキャッチボールで話が展開する方が効果的でもある。
聴く方も、自分の関心がある内容をさら深く学ぶことができる。
わからなかったことを質問するよりも、理解した上で「それはこういう話につながりますか?」とか「こういう問題がありませんか?」というタイプの質問が喜ばれる。このタイプの質問をするためには、現実を見て疑う姿勢をもちながら話を聴かなければならないのだ。

3. 相手に気づきを与えることで、信頼感を得る

補足を引き出し学びを深める「いい質問」は、お互いに満足感があるものだが、いい質問には、もう1段階上のレベルがある。
補足説明で質問に答えたところで、話し手は知識を与えたにすぎない。
しかし、本当にいい質問は、話し手にも新たな気づきを与える。
もちろん、学ぶ立場の人間が、同じ領域で相手に新しい知見を与えることは簡単ではない。
だが、同じ土俵に立つ必要はない。むしろ、思いっきり自分の関心や経験に引きつけた質問をすればいい。
どんな人でも何かを語るときには、自分なりの視点をもっている。
だからこそ、自分とは違う視点で「こういう見方もありますよね?」とか「こういう可能性もありますよね?」という質問をもらうと、「なるほどそうも考えられるか」という気づきにつながる。

違う視点で語るということは、相手の主張を否定することではない。
むしろ相手の主張に新たな展開をもたらすものだ(とはいえ怒られたりバカにされたりすることもあるだろうが)。
お互いが自分の得意分野に基づいて話し合うことで、新しいアイデアが生まれたりもする。
相手にアイデアを与えつつ、自己アピールにもなり、新たな展開をもたらす質問、これができれば最高だ

指導教授が私に質問をすることをやめたのは、私が自分から質問をすることを望んでいるからだ。
シャイとか遠慮とか、相手が目上の人だからとか、そんな理由で発言をしないのは、お互いの可能性の放棄でしかない。
相手に何かを与えるような質問をするつもりで話を聴く、いつしかこの姿勢が私に沁み込んでいった。
とりあえずいい質問が思いつけば、話しかけるきっかけにもなる。

これは狭い意味での学びの場に限ったことではない。
自分の考えたことで、相手が何か新しい気づきをもってくれたらいい。
こちらの主張を押し付けるのではなく、質問することで自問自答のきっかけをつくってあげる。
そういうコミュニケーションを日々、心がけている。

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