見出し画像

ペットの死から学ぶこと

残念だが4日かけて作った初めての動画はここには上げられなかった。
まあ見たい人は僕のFacebookでも見てくれ。

さあ、本題だが
2019年6月1日 午前3時30分をもって愛犬のハチが他界した。
幸せなことに事故でも病気でもなく寿命だ。
14年間も生きてくれた。

母からその連絡を受けた時は”そうか”しか言えなかった。
悪い癖だ。
感情をセーブするために自然と第三者の思考になって逃げる。
ストレスを溜めないための特技。
だけど今回は特技でもなんでもない。
逃げただけだ。
自然とそんな思考になっている自分に気づいたとき、
これは向き合わなければ、そして乗り越えなければという使命感にかられた。
それが14年間一緒に暮らしてきた家族への最低限の礼儀だ。

すぐにありったけの写真や動画をくれと頼み、
そして振り返る。
分かっていたことだ。
もう先が長くないこと。
いつかは来る未来。
そんな最悪な事態を十分に想定して自分なりに今まで以上に可愛がって、話しかけてから日本を飛び立った。
でもいざ実際に別れが来ると辛いものだ。
小学一年生の6歳の時から一緒に暮らした家族だ。
今でも最初の日は思い出せる。
ゲージに入れて自分が持ちたいと駄々をこねながら店を出たあの日。
そして付箋に毎日自分が散歩すると汚いひらがなで契約書を書いたこと。
ブロック塀の隙間にあるあしながバチの巣に鼻を突っ込んで転げまわってることや、今は公園になってしまった菜の花畑で鬼ごっこしたこと。
そんな日々がよみがえる。

直接最期に会って想いを伝えることはできなかったけど
今は本当に感謝の気持ちでいっぱいだ。
最後に大切なことを教えてくれたよ。

命があることの素晴らしさを。
寿命というものがあるがそれがいつ来るか自分では分からない。
本当に人生何が起こるか分からない。

人は幸せになるために生まれてきたとよく聞くが、
生きていること。
今息をしていること。
眠れること。
話せること。
歩けること。
当たり前すぎて忘れてしまっていた。
もちろん今書いた当たり前ができない人がたくさんいることは知っている。
だけど常にそれは意識していない。
だから人はもがくし、怒るし、イライラすることもある。

生きていること自体が幸せ。
そう思うとすべての悩みを、人生を俯瞰的に冷静に、大人に捉えられる。
そんなことを死をもって強く心に刻み込んでくれたハチよ。
ありがとう。

お前はこれからもずっと心の中で生き続けていくだろう。
たくさんの思い出をありがとう。



これを乗り越えてまた強くなった。
さあ、精いっぱい今を謳歌しようじゃないか。

ホームレスの記事に貴重な時間を使って読んでいただいてありがとうございます。 支援のお礼には私の好きな言葉をランダムで送ります。 皆様にとっていい日になることを祈っております。 私も全力で今を生きます。