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「開業40周年・後編」~田澤代表インタビュー~

このたび司法書士法人第一事務所の我らがビッグボス、田澤泰明代表が開業40周年を迎えました!
前回の続きになりますが、今回は40年の軌跡をお伺いするインタビューの模様をお届しようと思います。

前編のサプライズ大作戦の記事はこちらから👇

さて、サプライズを行った日の午後、代表と奥様に40年の軌跡をお伺いするインタビューを行いました。
その様子は是非対談形式でお読みいただきたいと思います。


広報:改めて40周年、おめでとうございます!

田澤:40周年、すっかり忘れてました。サプライズびっくりしました。ありがとう。

広報:これから40年間の軌跡など、色々お伺いしようと思います。よろしくお願いいたします。
まず初めの質問ですが、なぜ「司法書士」になろうと思ったか、お聞かせください。

田澤:もともとは公務員志望でしたが、私が卒業の年に、札幌市役所の採用試験がありませんでした。翌年受けようと思ったけど、両親のすすめで資格を取ったら?と言われ、とりあえず法学部だったので、司法書士の試験を受けたんです。
大学5年目に司法書士の試験に合格したので、司法書士の仕事をしようと思いました。
大学に残らないか?って話もあったけど、研究者はあわないかなと思ったので、司法書士になりました。

広報:合格したときの気持ちはどうでしたか?

田澤:実は当時の試験は、今のように難しくなかったんです。
レベルは今の方がずっと高いです。
もともとは体育の先生になりたかった。僕運動系だからね。
でも両親から「資格を活かしたら?」と言われちゃったので、諦めました。今でも体育の先生になりたかったなって思います。

奥様:私も初めて聞いたわ…

広報:開業のきっかけを教えて下さい。

田澤:武藤実事務所というところに最初は入りました。2、3年いました。とってもいい先生で、今でもおつきあいしています。
開業のきっかけは・・・現在のように司法書士事務所に勤め続けるという文化はなかったんです。司法書士と奥さんと補助者っていうのが今も多いですが、昔はそれがより一般的でした。法人制度もなかった。長くても5年くらいで、独立するというのが前提でした。

広報:当時と今の「司法書士」の違いを教えて下さい。

田澤:専門性に分かれるようになりましたね。昔はオールマイティにやっていましたが、各専門分野に特化するように現在はなってきました。
法律が進化しているのもあるし、お客様の要求もレベルが高くなった。
複雑になって責任も重くなってきました。

広報:今まであった事件やアクシデントはありましたか?

田澤:アクシデント?いっぱいあります。なんか大事な忘れ物をしたりね。
大きな会社の合併なんかは間違えられないというプレッシャーがすごかった。
他の先生がメインで、僕がサブでやったかなり大きな合併登記がありましたが、その先生は登記を申請する朝に体調不良になりました。緊張していたんでしょうね。
他にも日本全体で10年で10件しかない珍しい登記をやった事もあります。例が少ないし、資料や本もないから大変でした。
あとは色々あるけど、オフレコです。

広報:今までで1番嬉しかったことは何ですか?

田澤:大きな案件、又は複雑な案件で、仕事がうまくいってお客様に感謝いただいた時ですね。

広報:40年を振り返って思う事はありますか?

田澤:開業当初から札幌中心部に事務所を出すという意識がありました。最初は豊平区美園の実家の2階で開業しましたが、やはり大通近辺の都心に事務所を出したいとずっと思っていましたが、実現出来ました。

広報:奥様も振り返っていかがですか?

奥様:1983年の夏くらいから仕事してきました。最初は仕事を手伝うことは考えていませんでしたが、実家の上に事務所があったので、電話番をしていたお義母さんから「よかったら事務所の仕事やらない?」と言われ、登記の書類を作るようになりました。
若い男性職員とパートさんがいて、一緒にやってました。
と、いっても、昔は今ほど忙しいわけじゃなかったかな。昔は18時くらいに田澤が家に帰ってくることもありました。
書類を作るのは、和文タイプライターでガチャンガチャンやってました。1日20件くらいとかやってた日もあったね。

広報:和文タイプライター?

田澤:大変でしたよ。間違ったら最初からやり直し。

広報:昔はみんな和文タイプライターを使っていたんですか?

田澤:和紙に墨で手書きをする人もいました。和紙の権利証、今でも売買とかで出てきますよね。和紙に墨って何十年も残るからすごいよね。
あとは、和文タイプライターを専門に打つ人(タイピスト)なんかもいたよね。
それからワープロになって、パソコンになる。昔はパソコン高かったね~。30万くらい。

広報:当時の田澤代表はどんな感じでしたか?

奥様:じっとしているのが嫌いな人で。今はコロナ禍でじっとしてるけど、昔は「今週は何曜日に夕飯いるのかおしえて?」と聞いていました。
コロナ前までは全然家にいなかった。ずっと外出でしたね。

広報:奥様が「大変だな…」と思ったことは?

奥様:私はあまりなかったけど、田澤はいつも朝早く起きて、仕事してたんです。2時間くらい。
そのあと事務所に行って夜遅くまで仕事するという生活が30年くらい続いて、それを見ていて、倒れるんじゃないかと心配でした。ですが、根が丈夫なので、大丈夫そうですね。病気らしい病気もなかったし。

広報:では、最後に今後の夢を教えて下さい。

田澤:短期的な夢は、今入っているビルの建て替えに伴う事務所の引越しをうまく完了させる。あとは、若い人たちに事業承継をしていき、発展するよう基盤を作っていきたい。

広報:引退後にやりたい事はありますか?

田澤:引退後やりたいこと?色々あります。シークレットです。笑

広報:余談ですが、40周年グッズとか作らないんですか?

田澤:40周年グッズ、いいですね!作りましょう!
10周年か15周年の時は自分が欲しかったんで、みんなに携帯できる小さな電動歯ブラシを配ったけど、不評でした。笑

広報、書記:え~!!ほしいです~!!

奥様:私いらないわよ~。

田澤:30周年の時はホテルで祝賀会をやりました。コロナ禍でそういうのはやれないので、みんなにアンケートを取って、欲しいものを作りましょう。いらないものプレゼントされても困ると思うので。

広報:ありがとうございます。早速取り掛かります!
本日は貴重なお話、ありがとうございました。

あとがき

こうして無事にサプライズ大作戦とインタビューが終わりました。
今まで聞いた事が無かった貴重なお話と、代表の真面目なお人柄がわかる良いインタビューになったと思います。
前編でも書きましたが、今まで40年間代表が築いてきた歴史を受け継ぎ、更に50年・60年と、所員一同力を合わせて、共に歩み続けていきたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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