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ふるさと小山市について思うこと

ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの

これは作家の室生犀星が詠んだ詩の一節です。僕は今は遠くの故郷について考える時、いつもこの詩を思い出します。

僕の地元は栃木県の南側にある小山市という街です。
その名に反して市内に山は無く、どこまでも平地
が広がっていく、典型的な関東の街と言えます。

多くの人には新幹線が停まる場所で名前を覚えてもらっているかもしれません。あとはかつて「おやまゆうえんち」があったことでしょうか。

「小山市って何があるの?」
と聞かれたら地元の人でも
「えー?なんも無い普通の街だよ!」
などと言うことが多いのではないでしょうか。 

確かに一見すると小山はパッとしない街です。
柱となる観光地も無く、有名な特産品などもありません。お隣の栃木市や結城市には蔵造りの町並みが残っていますが、小山にはそう言った街並みもほぼありません。

そんなことから「小山市は戦後発展した開拓地みたいなところで、歴史はほとんど無いんだよ。」
となんて物知り顔で言う人もいます。ただそんなことはありません。そんな人は小山市の持っている歴史を知ろうとしていないだけでしょう。

僕は今この街に対しては複雑な思いを抱いています。簡単に言えば「好きだけど嫌い」です。 
今回はそんなふるさとへのちょっと歪んだ感情を書いてみたいと思います。

小山市は最近まで栃木県内でも数少ない人口増加都市でした。近隣の市町村が人口減少に悩む中でも、着実に人を増やすことができました。

主な理由は立地だと思います。
前述したように東北新幹線が停まる小山駅があり、さらに小山駅からは東西南北全てに線路が伸びています。「北関東の玄関口」何て呼ばれ方もしているとかいないとか。このような利便性の高さから、首都圏をはじめとした近隣エリアに通勤している方が居住地として選ぶことが多いのです。

また、市内には多くの工業団地もあります。小山市は北関東でも有数の工業都市です。県外からこれらの工場へ就職すると言う話も聞きますし、地元の人間である、僕の友人の多くも就職しました。

もちろんこの他にも各々理由はあるのでしょうが、大多数はこんな理由で小山市に住んでいるのだと思います。

しかし同時に僕はこうも思います。
それは「小山市と言う街の魅力」に惹かれて人が集まっているわけでは無い、ということです。

ただ便利な場所にあって、働き先があるから人が増えているだけ。
小山と言う街自体には何の愛着も無い人も多いのかもしれません。

そんな人ばかり増えれば街の魅力を引き出す気運も弱まり、街としてはますます魅力が無くなって単なるベッドタウンと化してしまうのでは無いかと不安な気持ちになります。


例えば小山市が持つ歴史はどれくらいの人が知っているでしょうか。
僕は学生の頃から歴史が好きだったので、地元の歴史については色々調べてきました。

小山は長い歴史のある場所です。
今も市内には古墳や遺跡、城跡などの国指定の史跡が多く残っています。また3社の延喜式内社をはじめとした多くの歴史ある寺社仏閣も各地に点在しています。

延喜式内社の1つ高椅神社。江戸時代に建てられた楼門が有名。


一方で鎌倉時代以降小山地域を治めていた小山氏は、全国的に見てもかなりの名門で、特に鎌倉時代の勢力は指折り数えるほどでした。戦国時代にはかなり弱体化してしまっているので、ほとんど話題にあがらないのが残念なところ。それでも小山家にまつわる話には面白いものも多いのでオススメです。

決して派手なものではありませんが、調べれば調べるほど面白くなっていくのが小山市の歴史だと僕は思っています。

ただ僕の周囲でこういう話をできる人はいません。僕がもの好きなのもありますが、大人も含めて地元の歴史に興味がある人が圧倒的に少ない気がします。

その理由の1つは市の歴史に対するのPR意識の低さだと思います。例えば実際に市で管理している史跡に行っても案内板などが少なく、そこがどういう場所なのか知ることが難しい。博物館も施設が古く、展示内容も時代に偏りのある展示になっています。

さらにはつい最近、市内にある国指定史跡の古墳の整備のため、重機が古墳上に乗っていたというニュースが話題になってしまいました。

何と言うか自分の街歴史に対する姿勢が、全体的に適当(悪い意味で)な気がするのです。


また、僕が小山市を「好きで嫌い」な理由の1つが身近な自然の減少です。

僕の家は代々農業を営んでおり、幼い頃は家の周辺にはまだ田畑が多く残っていました。
幼い僕は田んぼの生き物達をひたすら観察したり、雑木林でクワガタを捕まえたりと、自然に親しむ少年でした。
ただ僕の住んでいたのはいわゆる市街化区域で、田畑はどんどん潰されされ、昔ながらの田園風景、雑木林は姿を消しつつあります。
代わりにできるのはただ無機質な分譲住宅やアパートの群れです。思い出の場所、というほどではありませんが、見慣れた自然が消えていく、というのは僕にとっては悲しいものでした。

その傾向は今なお続いていて、実家に帰るたびに慣れ親しんだ風景が消えてはいないかと不安になります。

今、小山市は市長の肝煎で「田園環境都市」を謳っています。ただ残念ながらそれは中心部から遠くの環境だけを指しているようです。
街の中心部とその周辺は市街化するような計画になっており、市街化区域の農地を守るような施策(市町村単位での生産緑地制度の導入など)を打ち出すこともありません。
恐らく、これからも僕が生まれ育った地域は市街化一辺倒で進んで行くのでしょう。

実家近くの田んぼ。着実に周囲の市街化が進んでいる。



これから否応なしに人口減少時代に突入していく中で、いたずらに宅地ばかり増やすのが本当に正しいことなのでしょうか。


今小山市はすごく中途半端な街になってしまっていると思います。豊かな自然を捨て、地域の歴史に対する認識も甘い状態で、アイディンティティを見失っているように思えます。


このままだと本当に、遠くから昔の思い出に浸っているだけの方が良い街、になってしまう気がし
ます。

とは言え僕は生まれてから18年間小山の地に育てられて来ました。好きな場所もまだたくさん残っていますし、調べればもっと面白い場所が見つかるかもしれません。
最近は駅の西口エリアで様々なイベントの開催や、お店の新規開店など元気な話も聞こえてきますので、これからもっと良い街になっていく可能性だってあると思っています。

今回noteで小山市について書いてみて、自分で思っている以上に地元へこだわりを持っているんだな、と気づきました。たまにはこうして自分の考えを文章にまとめてみるのも良いものですね。

「良い街」という定義は人それぞれです。ただこれからもふるさと小山には「いつでも帰りたいと思える街」であってほしいなと、遠くからひっそり願っています。

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