現代を生きる事とは…。
雨が激しく降りしきっている夜。そんな雨音をサウンドにこうキーボードを叩いております。
こんばんは、岡崎モユルです。
はてさて、自分の人生上、衝撃の出来事が起こりすぎた六月を経て、今を過ごしているのですが、思い起こせば悲劇の始まりは去年の暮初めから起こりました。
今思えば、自分も何かに怯えて、どうでもいい事に捉えられて、生きていたような気がする。
だからこそいまとなればどうでもよかった話で、肩の荷が下りたような感覚が清々しい。
更に思うと、そんなどうでもいい様な事を10年くらい抱えていたような気がする。否、抱えてたのだ。
誰かの為に生きる事。全ては自分の為に、自分は全ての為にという生き方は確かに素晴らしいと思う。しかしながら、個々の幸せを蔑ろにして生きる事に何の価値があるのだろうか。
マザーテレサやガンジーなど、偉人は確かにそうしていたのかもしれないが、今はそんな悠長な事を言う時代でもなければ、世間さえも信じてはいけないという世知辛い世の中である。
他人の為にというより、個の幸せを最優先すべきという時代の中、果たして良識という美しい概念は存在しているのだろうかと思わざるを得ない。
私も様々な経験をし、考え、悩み、今に至り、ようやくその出発点に立てたような気がする。
もちろん私の美しく思う概念は変えない。ただ、少しだけ視点を変えて生きていこうと考えなおしただけである。
これまで私は人の為に生きてきたつもりだった。それは、人に依存していただけなのかもしれず、誰かに組み込まれたプログラムをそのまま遂行していただけなのかも。。。
今はただ、それから解き放たれ、今度こそ自分らしく生きていける、そんなスタート地点に立てているのかも。やっと。。
泣いている空をぼんやりと眺めながらベランダで煙草の煙を吐き出している。
その煙は風に浚われて消えていく。
いつもため息交じりだったが、今はもう、はっきりとした意識表明の様な言葉だ。
よし寝よう。おやすみなさい。
ふぁろよろしく!!
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