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BAND☆やろう是 第八章 戦…前日

 僕は眠れずに夜空を見ていた。
 吹く風がやけに強く、雲がまるで生き急ぐ群衆のように犇めき合いながら早々と駆け抜けていく。
 あれからというもの、メンバー全員家族に文句を言われるのは覚悟の上で、三日に一度強行的に二十時から二十二時の時間枠でスタジオ入りし、一つ一つ音符を確かめるように入念な音合わせと複雑な心境を誤魔化すかのように既に不毛と思える話し合いを繰り返していた。
ここまでくるとなるようにしかならない事は皆分かっていたのだが、何かを話し合わずにはいられないのだ。
 そして今日、最後の調練を終え、今に至るのである。

「明日は六時にイータダん家に集合か…。」

 一人ごちてベッドの傍に用意してある明日持っていく物の方に視線を向けた。暗闇の中で大きく膨れているリュックの影がまるで頑なに大きな顔をして居座っている男の姿に見える。
 あの中にはただ荷物が入っている訳ではない。明日という日の為に頑張った日々の想いと、皆の期待と不安。その他諸々、様々なモノが詰められている。だからこそ余計に大きく僕の目に映っているのだと感じた。 
 両親は仕事で遅くなると留守電にメッセージだけを残しながらも結局帰ってこなかった。よってこの家には僕だけが存在し、それは別に物珍しい事ではなく特に違和感はない。
 窓の外をぼんやり見つめていると、ふと様々な音が僕の耳に届いてくる。
 少し薄くなった蛙の鳴き声と風の薫りに八月の終わりを感じ、連なる紙工場の呻きと時折通り過ぎる車や貨物列車の軋む眠らない街のざわめき。
 深夜ではあるがちらほらと見える光に何となく安堵感を感じ、目を閉じると、そこで初めて激しく動く自分の鼓動が聞こえた。音はそれぞれに違う物だが、全ては自分の心に何かを伝えている。
 以前の自分なら『ただの無機質な音』と感じていたのだろう。
 雑踏と埃を横目に、感じる何かに怯え、見える情景に目を背けて、何も理解せずにそんなもんだと自分に言い聞かせて生きてきた。
 これと言って何一つ不自由な事はなく、生きる為にという思考も働かせずにただただ日々を刻んでいた。
 しかし…今は違う。
 音楽というものに出会い、今まで接する事はなかった人達と接し、メンバー達と日々喜怒哀楽を共にしている中で、自分の中にこれまで感じた事のない大きなエネルギーの塊のようなものを作り上げる事ができた。
 そっと胸に手を当てると激しく燃え滾るような熱い存在を感じるのが何よりの証拠である。
 思えばずっとトップギアで走らされていたような気がしなくもないが、『鉄は熱いうちに打て』という言葉の意味が今となれば分かる気がする。
 僕は目を閉じたまま過ぎ去った日々を、アルバムをめくる様にワンシーンワンシーン丁寧に思い返した。
 やはり思い返さずには入られないのが、この機会を与えてくれたトースという存在である。彼の大胆且つ強引な手口がなければやはり今の状況には至ってはいないのは明白で、そんなトースには素直に感謝している。
 しかしその念を言葉にしてしまうと彼が調子に乗って踊り出す事は目に見えている。だから想うだけにしておこうと心に誓って僕はもう一度天を仰いだ。
 いつの間にか雲は流されて、目を見張るほどの満点の星空が僕の視界に広がっていた。それに心奪われて、瞬きさえ忘れて暫く見ていた。
 呆然と浮かぶ月は上弦で、まるで明日を誘う女神が笑ってくれていると思え、心が揺れた。
 掴めそうなほど一つ一つはっきりと見える星達の瞬きも祝福してくれているように感じ、なんだか嬉しく思えた。
 夜空に浮かぶ星達が奏でるメロディを聞きながら暫くその場で立ち尽くしていた。


 静寂を切り裂くように激しく自宅電話が鳴り響いていた。
 その激しい音に我に返り、時計を見てみると針は深夜二時を少し回ったところを差していた。普段はこんな夜更けに電話など鳴る事はない。
 もしかしたら親が何らかのトラブルに巻き込まれたという緊急の知らせではないかという事が脳裏に過ったのだが、会社で仕事漬けになっている両親にそんな事はある筈もなく、ただ甲高く叫び続けている電話を暫くの間、傾しげに見つめていた。
 相変わらず鳴り続ける電子音の中で、今日のホームルームで担任が注意事項で上げていた『深夜のイタズラ電話』についての項目を何気なく思い出した。
 どうやら最近被害を受けている家庭が後を絶たなく起きているらしく、被害者による事情聴取をまとめてみると、唯一共通している事といえば、高校生がいる家庭ばかりが被害にあっているという事だけで、犯人の動機を始め、他の事は何一つ分かっていないという。
 実は、『深夜のイタズラ電話』事件の噂は、一年以上前から保護者の間や生徒の間でちらほら囁かれていて、被害による通報が激しくなってきた今日、警察も漸く重い腰を上げ捜査に乗り出さざるを得ない状況になったのだろう。
 学校側にも被害者相談窓口が設けられ、警察も入念な姿勢で調査が行われているというパフォーマンスよろしく、今更遅いと言うPTAの声が聞こえてきそうな勢いである。
 遂に僕の家にも掛ってきたのかとも思ったが、もしかするとただの間違い電話かもしれないと冷静に考え直し、視線を窓の外に移した。
 静止したような静寂の時間と、不釣り合いの甲高い電子音。暫くは我慢できていたのだが、音は一向に鳴り止む気配はなかった。
 聞きなれた電子音は僕の中で段々と雑音に変わっていく。
 明日は初陣を控えている訳で、心を落ち着かせていたかった。しかしながらその時間をこの訳の分からない電子音に苛まれている。
 身体を早く休めなければならない事も深く感じていたから尚更である。ふと自分が戦慄いている事に気がついた。
 怒りのせいなのか、恐れなのかは自身でも分からないが、身体は震えている。鳴り止む気配のない電話に何気なく近寄っていた。
 すでに何分間鳴り続けているか分からない電子音。
 電話の前に立った僕はこの感情は怒りである事を確信したと同時に、この電話主にどうにか反撃できないかという感情がふつふつと湧き出てきている。
 確かに明日へのインスピレーションの時間を奪われた為というのは確かなのだが、僕の中で『ここであったが百年目』という悪ノリ作用が働いている事は自分でも否めない。
 いや、それは冗談で、もしかすると僕がここで犯人に会心の一撃を与える事により、事態は終息に向かうかも知れないと思ったと言わせてくれ。
 やはり鳴り止まない雑音の中で、どうすれは電話主に意標を付かせられるのか真剣に思いあぐねた。

『こんな事件を起こす様な輩はきっと大人ではない。高校生がいる家庭が標的。…きっと同年代による悪ふざけの遊戯だ。ならば俺達の年代が通じるネタでひと泡吹かせてやろうじゃないか…。しかし、どうすれば…。どうしたら…。』

 懸命に考えた。
 ふと電話のディスプレイに浮かぶ時間に目をやると、音は三分ほど鳴り続いていると知ったと同時に、真夜中の三分間がここまで長いものだとも初めて思った。
 さて、この電話主に意標を与えるネタ…否、攻撃なのだがどうすればいいかと考えていたところ、伝達手段は声だけという事で、やはり相手が知っている事でしか反応はしないだろう。
 僕と同世代、もしくは近しい年代。
 ふと僕は幅広い年代層に支持を集めている格闘アニメの悪役キャラの存在を思い出した。その強烈なルックスに反してなぜか喋り方は紳士且つカマキャラであり、悪役でありながらも知名度や人気度は絶対的なものだ。
 しかもそのキャラで留守電機能になったとしたら相手はどう反応するのだろうか?不意に声が漏れて犯人の声を拾えるチャンスかもしれない。
 電子音。汗に濡れる掌を強く握った。闇の中で覚悟の念を定めるように大きく息を吸い、吐いた。

『もうこれしかない。ここでしかない。』

 大きく息を吐きながら念仏のように心の中で呟き続ける。そして息を吐き終えた瞬間、目を見開き、激しく受話器を上げた。

「はい、岡田です。ただいま留守にしております。おーっほっほっほ!という声の後にメッセージをどうぞ。おーっほっほっほ!おーっほっほっほ!!!」

 普段はこんな事をする自分ではないと、とりあえず補足しておこう。
 渾身の力を振り絞り、とにかくそのキャラを演じきった。恥ずかしさなどかき捨てて、とにかく相手に意標を付かせたい。その想い一心に懸命だった。
 言い放ったと同時に白い灰になりそうな感覚に囚われたが、相手の反応を待たなくてはならない訳で蹲っている場合ではない。
 受話器に神経を尖らせて相手の反応を待ったが、受話器の向こう側は嫌に静寂を極めている。
 相手が意表を突かれて絶句しているのか、はたまた引いているだけなのかはすでにどうでもいい話だった。
 感無量な気持ちはプライスレス、とにかく僕はやり切ったのだ。
 そんな自分に酔いしれながら立ち尽くしていると、事の発端さえ忘却の彼方へ誘われ、受話器を持っている意味さえも分からなくなっていた。
 僕は鼻歌を浮かべながら受話器を下ろそうとした時、奥から何やら男の声が聞こえてきた。
「…岡田。今、大丈夫か…?」
 その声は確実に聞き覚えがあり、しかも僕とかなり近しい人物であると思われるが、すでに朧ろ気になっている僕の精神では瞬間に誰なのかは思い出せない。

『声の主は一体誰だ…?というよりも僕の知人が犯人だというのか…!?』

 考えれば考えるほど余計に躊躇い、思考回路は迷宮化していった。
 電話主が咳払いをした。
「岡田?あれ?明日の事でちょっと話しておきたい事があったから電話したのだが…。」
 その言葉に僕は恐れ慄いた。
 多分件の犯人であろう輩は僕の明日のスケジュールをどこからか入手し、これから何か脅し言葉を投げかけてくるに違いない。明日こそ我が夢であり、憧れた初陣。それをこの輩に邪魔される訳にはいかない。僕は決死の想いを抱き、心のまま叫んだ。
「お前に明日は渡さない…。渡さないぞおおおおおおっ!!!」
 気がつくと僕は額に汗を浮かべ、息を大きく切らしていた。
 暫く受話器を耳に当てて様子を窺っていたのだが反応は一切なかった。
 もしかすると僕の強烈な一撃に臆して舌を巻いて逃げ出したのではないか?

『という事は、僕自らの手で連夜凶悪無言電話事件の犯人に制裁を食らわしたという事になり、これを機に犯人は自ら出頭。犯人に引導を渡した僕は警察から感謝状が贈られ、そして市報にでかでかと僕の顔が載る。それをどこかで見た美人ジャーナリストが、とある有名報道誌にまるで見てきたかの様なある種出鱈目な感動記事を記載して、全国の青少年に夢と希望を与え、瞬く間に映画化決定。そして僕は所謂時の人となり、色んな番組の出演依頼が殺到。人々は次第と行く末の総理として囁き始め、僕のプロマイドなんか女子中高生を中心にバカ売れの事請け合い…。どぅふふふ。どぅふふふ…。』

 ここまでの妄想、約五秒間。とても幸せだった。
 全身が震えるほどの幸福感に包まれていたのだが、受話器から聞こえて
きた犯人と思われる輩の声が僕を現実世界へと引き戻した。
「おい、岡田!!どうしたというのだ!?俺だよ!宇高だ!」
 
『犯人のくせに人の名字をいつまでも馴れ馴れしく呼び捨てにしやがって!どうしただなんてよく言ってくれたもんだ!!俺だよ?宇高!?誰だよ!?』

『…え?……宇高…?』

「おーい!?おーかーだー!?」
 声の主は間違いなく智さんだった。判明した瞬間、全身から汗が吹き出
し、激しい目眩に見舞われた。しかしながら倒れている場合じゃない。
僕は大きく息を吐き、両手で顔を拭った。
「と 智さん!?どしたんよ!?びっくりしたわ!」
「あー…。やっと正気に戻った…。俺こそ驚いたよ…。なんかあったのか?」
 そう言い終えると受話器からふと氷の音が聞こえてきた。多分何か飲んでいるのだろうと思った瞬間、自分もかなり喉が渇いている事に気がついた。

「智さん!ちょっとまっちょって!」
「えっ?ああ、分かった。」

 すかさず電話を保留にして、リビングにある冷蔵庫まで急いだ。そして昼間に買っておいたコーラをペットボトルごと取り出してとりあえず一口含み、そのままそれを持って自室まで戻っていく。
 受話器を耳にあてて、保留を解除した。

「ごめんごめん。で、どしたん?」
「いや、こんな夜更けに本当に済まない。ところで、ご両親は大丈夫なのかな?」
 彼の声はいつもになく弱々しく、どこか焦りに満ちていた。
「うん、大丈夫よ。今日は親帰ってこんみたいじゃきん。ほんでどしたん?」
「いや、我ながら恥ずかしい話なのだが緊張の余り寝付けないんだ…。」
 彼は照れ隠しのように一つ大きく咳払いをした。
 今まで聡明な判断力と、大胆且つ繊細な行動力で僕達をリードしてきた智さんでさえ寝付けないらしい。
 それもその筈。
 彼は彼なりに独りきりでバンドの方向性を考えていたのだろう。何度も思いあぐねた経緯ありきの今宵、彼が寝付けないのは他のメンバー以上だという事は明白である。
 孤独にバンドの行く末を思い描いていたのだなと思ったらふと胸が熱くなった。
「俺も実はそうなんよ…。なんか寝れんでな…。なんで俺んとこかけてきたん?」
 彼はまた咳払いをした。しかし今度は照れ隠しのような咳払いではなく、少し不敵に思えた。
「いや、なんとなくさ。君ならこの時間帯でも繋がる気がして。」
 本当なら大ちゃんに電話を掛けるのが普通だろうと思い、何となく問いかけてみたのだが、多分彼はメンバーの家庭状況も把握して大ちゃんや他のメンバーに電話をしなかったのだろう。
 僕の両親は働き詰めで、今日も家にいない事を予想して掛けてきたと思ったが、もし両親がたまたま在宅している日だったらどうしたのだろうかと思った。結果いないから良しとして言葉を流した。
「そうなんじゃ。色々あったもんなぁ…。明日の荷物見とったらなんか落ち着かんくて…。」
「ああ…。俺もそんな調子さ…。」
 その言葉に返す言葉も見つからず僕は沈黙してしまった。
 そういえば、智さんとこういう形で電話をするのは確か初めてだったと思う。いつもはバンドの連絡等はトースから伝わってきていたので、彼の声を電話越しに聞く事が新鮮に感じていた。
 僕はふと、智さんの心の奥底に触れてみたくなった。
「智さん、一つ聞いていい…?」
 彼は不意を突かれた様に何度かまた咳払いをした。風邪を引いているのかなんなのかとりあえずワザとらしくさえ感じる咳払いだった。
「ん?何だね?」
「智さんは、このライブ終わった後のビジョンって思い描いとるん?」
「うん…?ああ、思い描いているよ。」
 いつもの彼ならば、思い描いているビジョンは包み隠さず言う筈なのに、今宵はいつもと心持が違うのだろう。
 しかしながらこんな夜でこの機会だから続きを聞く必要もあるだろうと思った。
「どんな感じなん…?」
「…。」
 何故か答えは返ってこなかった。
 もしかすると今是非を唱える事は不適切だと感じているのかもしれない。それだけ綿密な作戦を練っているのだろうと思った。
 このライブの出場権を手に入れた事さえ奇跡のような出来事なのだ。
 この先のストーリーは当日のメンバーの働きで決まる訳で、安易にこの先どういう形で進んでいきたいと現時点では答えられる筈はない。愚問を我ながら恥じた。
「智さん、ごめん。そりゃ色々パターンあるし答えられんよな。とにかく明日、俺も頑張るきん!智さんがどういうビジョン描いとんかは知らんけど、なんとかそれに近づくようにとにかく頑張るきん!」
 僕はとにかく精一杯明るく言った。
 智さんの違和感のある反応に対しての恐怖と、耳につくほどの静寂を掻き乱したい衝動に駆られたからだ。
 しかしながら受話器の向こう側からはやはり声も音も聞こえない。砂を噛むような想いとはまさにこの事だろうと思った。
 手持無沙汰の中、ディスプレイに目をやると電話開始からすでに二十分以上経過している事を知った。
 沈黙になり、約二分強。
 彼は今どのような気持ちで受話器越しの僕と対面しているのだろうか…?考えても仕方がない事なのだが、時間が時間なだけにどうしていいかも分からない。
 僕は遂に耐えきれなくなり心のままに叫んだ。

「智さあああああああああああああんっっっ!!!」

 僕の声が静寂を切り裂くと同時に受話器からガチャガチャっと音がした。
「おおおっ!!どうしたというのだね!?そんな藪から棒にっ!?」
 どうやら驚きの余り受話器を落としたらしい。
「どしたんじゃないきん!?いきなり黙って二分間とかやばかろっ!?」
「悪い悪い。もう少し待ってくれたら面白い事があったというのにな。」
 面白い事?こんな夜更けに…?言っている意味がよく分からなかった。
「えっ?どういう事…?」
 受話器の向こう側で智さんが笑う声が聞こえた。
「ちょっと待ってな。電話を替わろうか。」
 電話を替わる?まさかこんな夜更けに智さんの隣に誰か居るというのか? 自分の中で謎が謎を呼び、全然解決しないまま次のステップに移ろうとしている。『ちょっとまって』と声を上げようとした瞬間、いきなり智さんとは違う男の声が聞こえてきた。

「岡田君、せっかちはいけないよ?せっかく皆で爆笑の渦に包まれるネタを用意していたのに!?」
「えっ!?」
 声の主は大ちゃんだった。
「なんで大ちゃんがそこにおるん!?」
 すべてにおいて訳が分からない。僕は率直な疑問しか声に出す事はできなかった。
「え?明日ライブだから、打ち合わせを兼ねて今日は智さんの家に泊まっているんだよ!」
「えっ!?そうなん!?智さん、なんか寝れんからって掛けてきたみたいじゃけど…?」
「そこは智さんのリップサービスだよ。話し合いしてて、俺達も眠れなくなったんだけど、きっと岡田君も眠れない夜を過ごしてるんだろうなって話になってさ。」

 大ちゃんの声はどこか柔らかく、二人の念は優しく僕に向けられているのだと手に取るように感じられた。しかしながら、やはり親が在宅していた時の対応を聞きたい衝動に激しく駆られたのだがぐっと堪えた。聞いてしまうと純粋な二人の念が濁ってしまうかもと思ったからだ。
「えっと…。イータダとトースの事は気になってないん?」
 僕の質問に大ちゃんは苦笑したようだった。
「あいつ等は大丈夫だろ!多分地球が壊れる前日でも爆睡カマしてそうだからなぁ。」
 言われてみたらそのような気もしないでもない。
 イータダはともかくとしてトースはテニス部時代に試合なる時でも余り緊張の面持ちをしていなかった事を記憶していて、多分今日も高いびきで爆睡している事は十分に予想できた。
「確かになぁ。明日ベストプレイできるとええなぁ!多分緊張するんだろうけんどな…。」
「緊張はするだろうなぁ…。まあ、なんとかここまでこれたんだから!せっかくだから楽しんでいこうよ!」
 緊張して寝付けない僕とは対照的にどこかざっくばらんな大ちゃんが羨ましく思えた。先ほどの彼の見解の事を思い返して気がついたのだが、明日の事で焦り倒しているのはこのメンバーの中で、もしかすると僕だけなのかもしれない。
 皆はきっと希望は頭の片隅に追いやり、覚悟だけをしっかりと胸に抱いて、今宵に焦りや恐怖などは無駄なものだと感じたのだろう。それは一種の悟りに近いものだと言っても過言ではない。
 キャリア的なものは今となればほぼ同時期なのだから、後は所謂開き直りが大切で、それが明日の余裕に繋がるのかもしれないと思った。
 そう思い返した瞬間、自分の気持ちと頭の中が驚くほど澄み渡った状態になっている事に気がつき、単純な自分を我ながら恥じた。

「大ちゃん、今日はありがとな。俺、なんとか落ち着けたわ。結果はどうでもええ訳じゃないけんど、楽しんで音楽せんとお客さんに伝わらんもんなあ!」
「ああ、そういう事だな。思えばあり得ない展開だが、こうなれば機は俺達にある。天明は我らに有りだ!」
 いつの間にか受話器は智さんに渡っていたらしいが今はどうでもよかった。
「うん!ありがと!明日頑張るわ!」
 智さんの言葉は続かなかったが、頷いてくれた事は何となく感じ取れて思わず嬉しくなった。
 そして何気に時計を見てみると針は深夜三時に差し掛かろうとしていた。
「智さんらはいつ寝るん?もう三時になるみたいで?」
「おっと、もうこんな時間だな…。そろそろ眠らなければ。岡田、明日は頑張ろう。最後に大ちゃんには変わらなくていいか?」
「朝になったら会うし、もうええよ。それより寝よや!」
「それもそうだな。では、また朝に。」
「うん、おやすみー。」
 受話器を下ろし、とりあえず自分の部屋に戻った。
そして窓の傍で少し温くなったコーラを口に含みながら天を仰ぐと星の光はまだ瞬いていたが、電話前より確実に闇は浅くなっていた。

『夜明けが近い。』

 そう思うとまた胸が熱くなってきたのだが、深く息を吐いて気持ちを流した。そしてすぐさまベッドへと横たわり、目を瞑った。
 明日への想いを馳せたのは一瞬で、深い眠りに誘われていった。

第八章 戦…前日 おしまい   第九章 当日の朝に続く

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