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古今叙事大和本紀 第一章 吉備国の果てまで 4

 暫くするとぼんやりと男の姿が目の前に浮きだしてきた。
 薄い朱色の衣を纏わせて、左手には今まで見た事のない長細い円形のような石を羅列させた装飾品を緩く持ち、右手には杖のようなものを持っていて、その先から金色の光が薄く放っていた。
 その光によってこの男の表情がはっきりと分かった。
 切れ長の瞳で、細い鼻立ちがこの男の凛とした表情を作り出している。しかしながら唇はまるで艶やかな女のように厚く、果たしてこの男の歳はいくつくらいなのだろうと岳は思った。
 纏わせている衣の感じからすると、弥生を浚った者達が纏っていた物とよく似ている事から、大和国の者なのだという事は十二分に理解できた。しかしこの男の全身から恐ろしいほどの神々しい雰囲気が滲み出ていて、誰がどう見ても、どう感じても『この男は只者ではない』と思う事、明確である。
渦巻く情景の中で、岳の前で悠然たる姿で薄笑いを浮かべながら佇んでいた。
 もう一度その男の声がした。
「我が子孫よ、我が声を聞け…。」

『我が…子孫よ…?やはりまた言いやがった。それに、こんな現実ではあり得ない世界へ誘われているだけでも驚愕してしまう事にも関わらず、あめたんが我が祖と申していたのは、多分この人物を指していたのだろう。それが今、目の前に現れて我が声を聞けと言われても、今さら何を語る事があるのだろうか…。』
 
 天鈿女や弥生が現れるまで天涯孤独だった岳にとって、そのような事実は信じたくても信じられない。認めたくても認められなかった。
 思えば思う程、感じれば感じる程、混沌が身体全体に憑依していき、岳の心は乱されていった。こうなってしまうと、相手がだれであろうが見境がなくなる性分の岳は、天鈿女から伝授された芝居状態へと心持変わっていった。
 そして、その男を睨むように、上目使いの視線を浮かべて静かに言った。
「汝、我を子孫と申したな…?面妖な事を申される。我は実在する親の顔も知らずこれまで過ごしてきたのじゃ…。我が父は松林の神であり、母は瀬戸内の海である。よって汝が我が祖であるという事は…ないっ!」

『決まった…。』

 気迫を込めた最後の言霊が、この訳の分からぬ事を抜かす男にとどめを刺した。…と思っていた矢先、薄笑う表情を変える事なく、どこも動じていない様子で呟くように語り始めた。
「我が名は神日本磐余彦。嘗て日向から、東方に或る安寧の地を夢見て旅をし、宛らこの地を訪れた者也。」
「は…?」
 やけに長く感じる名を持ち合わせているのは結構なのだが、先ほどの子孫という話と、日向という地名や、旅の話のどこに関連性があるのかが理解できない。というか、我が声を聞けと言っていた割に、何を伝えたいのか話が見えてこない。
 謎が謎を呼び、意味不明、理解不能な言葉が岳の心を徐々に蝕んでいく。
 しかし、芝居状態というのはある種、冷静沈着な心を保たせている状態と言っても過言ではない。芸能の大神、天鈿女から直接賜った芝居魂が、このあり得ない状況に置かされている岳の心を熱くする。
 今はこの舞台の相方であるこの男に度肝を抜かすような台詞を吐かなければならない訳で、身体を項垂れさせ、腕を遊ばせながら混沌たる劇的演出を展開させながら次の台詞を考えていた。
 相手の立場の逆を突く台詞。祖と申している言葉。訳の分からない展開。天鈿女のこれまでの言動と今の態度…。

『よし、これだっ!』

 岳はまるで何かに勝ち誇ったかのような表情を浮かばせながら、頭に手をやり、踊るような仕草を展開しつつ、思いっきりの台詞を叫んだ。
「ふはははは…。汝の心底、今見つけたりっ!金か?地位か?汝が求めている物は… 何と申すのじゃっっっ!!!」
 いきなりの言動に、流石の神日本磐余彦尊も一瞬、鳩が豆鉄砲をくらったような表情を浮かべたのだが、すぐ様元の表情へと戻し、言葉を続かせた。

「金も名誉も汝から与えられなくともたんまりと所有しとるわ…。まあ話を聞け、我が子孫よ…。」
「あ…、はい…。」 

 その言葉に、流石に岳の芝居魂はぽっきりと折れてしまった。
 芝居というのは、相方との阿吽の呼吸が必要なのであり、相手が空気を読まない場合、全くもって通じない話になってくるものなのである。
 これは芝居ではなく、現実世界であったという事を呼びさました、否、ここまでやりたい放題されて、いきなり素に戻らされた岳の気持ちの憤りは悔しさに苛まれていた。
 遂に岳も観念し、この男の話を最後まで聞く事にした。
 するとそれが以心伝心したかのように、神日本磐余彦尊は凛とした表情を綻ばせながら、しかし、どこまでも深く苦難に満ちた声で粛々と語り始めた。

「嘗て我がこの地に訪れた頃、この地は荒野であった。水も絶え、森も死に、民の目も暗く、それは貧しい生活を虐げられていた…。」
 何故か苦労話が始まった。まさかのお涙頂戴的な悲劇が幕開けてしまったのか…?岳は腕を組んで男の話に耳を傾けていた。
「東を制し、我が天皇に即位したのが確か千年もの昔に遡るだろう。その旅の途中にここへと訪れ、水を引き、荒野を耕し、決したる想い三年を要して、肥沃の大地を作り出し、田畑の園が誕生した。そうして歴史を紡ぎ今に至っているのじゃ…。」
 ふむふむ、なかなか大変な物語を繰り返してこの地の歴史が作り上げられたのか…。今日頂いた食材は、そういう苦労の賜物である訳で、この男とこの地の民に感謝しつつ頂こうと岳は思った。はたまた男の声は続く。
「三年の月日を経て、この地を離れる刻が遂にやってきたのじゃ。民は感謝の意を唱え、ここに社を建て、我が教えを末代まで語り続けると涙ながらに語っていた事を今も記憶している。しかしながら儂はこう言った。教えを紡ぐ、それだけでよい、時折忘れないように、華と香を与えてくれるそれだけで、と…。」
 荒れていると思ったのはそういう事だったのか…。祀る出来事は幾度かあるのだろうが、こういういわれならば、民の成す術もなく、社や石像に対して手の施しようもないのだろう。ある言葉を用いると、公認放置プレイという事になる。
 この男、やるではないかと岳は思った。
 もし、天鈿女とこの男が申し上げているように、これが我が祖との邂逅劇なのだとすると、やはり自分に紡がれるまでの先祖の話や、これまでに課せられていた理。そして、今置かれている自分の立場と行く末まで聞いておかなくてはならないと直観し、岳は口を開こうとしたその刻、再びこの男から声が聞こえてきた。
「そして、汝は無事この地を訪れて、儂の心中を伝える事ができた。それ即ち誠に、よきかなよきかな…。」
 男は満足そうな表情を浮かべながら大きく息を吸い、吐いた。そして、瞳を爛々とさせて、潔く声を放たせた。
「終わりっっっ!!」
「えっ…!?」

 声が岳に届いた瞬間、渦巻いていた情景が一瞬にして止み、緑の闇だけが広がる空間に引き戻されていた。
 自分がその場へと座り込んでいる状態になっている事に気がつき、透かさずその場へ起立してふと横を見ると、頬を両手で覆わせて、石像を見惚れているだけの天鈿女の姿が映った。
「おい、あめたん…。あめたんよ…。」
 声を掛けても何の反応もなく、まるでお花畑が広がる情景に息を呑みながら眺めている少女のような表情を浮かばせ続けている。
 神のくせに何、現を浮かばせておるのだと憤った岳は、そっと天鈿女の耳元に口を近づかせたが、やはり何も気づかぬまま惚け続けている天鈿女。
 岳は思いっきり息を吸い、そして叫んだ。
「あーめーのっっっ、うーずぅぅぅぅぅーめえぇぇえぇぇえぇぇええっっっっ!!!!」
 天鈿女はその叫び声に、当たり前のように驚愕させて、瞬時に岳の傍から吹き飛ぶように離れていった。
「アンタっっっ!!!何するのよ、びっくりするじゃないっっっ!!!」
 必死に息を切らし、瞳に涙を浮かばせながら蒼白した面持ちで叫ぶように言葉を放った。そんな瞬間を垣間見た岳は、素直にこう思った。

『何て人間臭い神なのだ』、と。

「幾度と声を掛けても反応を示さなかったあめたんが悪いのではないか。して、どうなされたというのじゃ?」
 単刀直入過ぎる岳の問いに、一瞬顔を赤らめさせながら、身体をもじもじとさせていたのだが、岳の真っ直ぐな視線を感じ、ふと冷静になった天鈿女は、自身の心を包み隠すように、まるでやさぐれた思春期の少女みたいに言葉を吐きつけた。
「別に…。何でもないわ…。岳こそ、まるで狐に摘ままれたみたいな顔をして地べたに座り込んでいたじゃない…。どうしたの?」
 天鈿女に何が起こっていて、問いても答えられない理由は分からないのだが、思考を逆めいても然り。
 神日本磐余彦尊と名乗ったあの男から発された言葉の意味合いを事細かく説明しながら語っていると、多分三日三晩話し込まなければならなくなる事など安易に想像できた。
「否、特に何でもござらぬ。少し疲れたが故に座り込んでいただけじゃ。それよりも先を急がねばならぬ。さあ、参拝致そうか」
 その言葉に、これ以上自身の物事に対し、突っ込まれないと悟ったようで、天鈿女は晴れ晴れしい笑顔を浮かべて、力強く一つだけ相槌をした。
 緑の闇は相変わらず深い。二人は敢えて社の奥を見る事もなく、決して腐る事のない供え物を施して社を後にした。
 どういう描写を経て、あの刻を過ごしていたのかはお互い気にはしているのだが、敢えてそれを口にせず、特に当たり障りのない会話を交わしながら森の中を進んでいく。
 天鈿女が岳の中に返らない意味合いは何なのか…。問う事さえできぬ程、岳も余裕はなかった。
 路を進ませていく度、深い緑の闇も次第に晴れていく。やがて、森を抜け、紺碧の青空が視界に広がったと思うと、天鈿女が岳の唇を捉えた。
 そして、頭の中に、あのやけに甲高い声が広がっていった。

吉備国の果てまで 4 おしまい  5に続く

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