初夏、此処の元へ…

 晴れた昼下がり、久々自分本来の心を取り戻しこの記事を書いております。皆様どう過ごされておりますでしょうか。

 岡崎モユルです。

 諸々と簡単に語る事ができないここ数か月を過ごし、ようやく落ち着いた訳で、悠長に酒を飲みつつ、こう文章を書いていられる幸せ。皆様のお陰だと胸を撫で下ろしつつも高笑いしそうになる感情を抑えるように、大好きなハイライトメンソールの煙を吐いております。

 仕事をし、その対価を頂き生活をする。そんな当たり前の生活の中で、人々は何かを得て、何かを失い、何かに憤慨しながら日々を過ごしております。

 当たり前の生活をしているだけで幸せを感じざる方々の方が多い。五体満足なだけでも幸せであり、この日ノ本で生まれついた生であるだけで何もいう事はないと唱える方もいらっしゃる。

 言いたい事は重々承知できるのだが、それだけではという感情を抱いてしまう私ももしかすると傲慢な人間なのかもしれない。

 幸せの感情は人それぞれであり、そして時代背景が違えば捉える物事も違う。難しいなと本当に感じている、そんな今日この頃です。

 自分らしさ、自分らしく生きるという事を考えた時、自分の守るべきものを歪曲して生きなければならないという選択肢を選ばざるを得ない時、その人は不幸になるのだろうと思った。

 例えば、先の歴史的大戦時、家族の為、子孫の為にこの命を亨て戦い散っていったかつての英雄は、理不尽ではあるものの、不条理ではあるものの、この先、この国の民たちの笑顔を護る為、紡ぐために命を天秤にかけた時代もあった。

 それが幸せなわけなどあるはずもない。そんな時代と今を比べる事態間違っていると私も思う。

 しかし、時代は違い、今の生活での幸せとその時代の方々の価値観は違う。言いたいことは、一枚めくればそのような無残な歴史のある螺旋で私達は生きて、今生きている幸せという価値観を改めなければならないという事なのである。

 死という概念は時それぞれに迫り狂うものだと重々承知している。

 何時しかこの国のトップ達が堂々と独り言のような言葉を呟くようになった時代である。

今こそ自身の確固たる信念を熱く手に握りしめて生きていかなければならないと、ここ数か月の出来事の中で痛感した次第である。

 コロナを憂うネット記事を、在庫少なくなったコロナビールを飲みながら叱咤する。

 幸せとは何だっけ?旨い醤油がある家らしい。誰かが歌っていたと記憶する。

 私の幸せって…?そうだなあ…。相方が私の事を愛しすぎて我が儘にならない事かな。って、それ自体が贅沢な悩みであるのは分かりすぎている。

 ピンクの手錠も、行き過ぎれば不幸せになるというのも然りとご理解頂けたら救われます。

ではまた…。


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