履物の原型8種とその歴史②サンダル
ホモサピエンスが直立二足歩行を獲得したおかげで世界で大繁栄を収めている履物たち。その歴史や特性を考える事は未来の履物を考えることに役立つかもしれません。そこで数多ある履物の原型を8種と仮定し、その歴史について、個人的な省察を主目的に情報をまとめてみたいと思います。
1.モカシン
2.サンダル ←今回はここ
3.ブーツ
4.クロッグ
5.パンプス
6.ミュール
7.オックスフォード
8.モンクストラップ
番外編(予定)
2.サンダル 〜底+紐〜
発生と歴史
サンダルもモカシンと並ぶくらい昔からある履物です。甲が無いので上方からの保護機能はありませんが、足裏の保護が少ない部材で出来るのは優秀。世界中で古くからよく履かれてます。
足に括り付けておくために簡単な紐が付けられた一枚の革、という意味のsanisや、板を意味するsandalionなどがsandalの語源とされてるようです。
1938年にオレゴン州フォートロック洞窟で、1万500年前のサンダルが発見されています。モカシンだと出土してるのが5500年前なので、こっちのほうがだいぶ古い。樹皮を編んだものらしく、まあ草履ですね。素材はセージブラシ(ヨモギの仲間)。先述の通り農業革命は1万2千年前あたりだったので、藁製のサンダル(ワラジ)もこの頃にあっても不思議じゃない。もちろん狩猟採集生活でも樹皮や蔓などの、身近に手に入る強靭な繊維質の材料を使用してサンダルは編まれてました。
世界史の中のサンダル
農業革命により人口が増加し、コミュニティの人数が増えて国家や文明が発生すると、もともと足の保護目的だったサンダルとかも上流階級の衣類の一部という位置付けになってきたりします。
紀元前7500年頃のトルコにあるチャタル・ヒュユクは5000〜1万人の住民がいたらしいですが、まだ階級はなく平等だったもよう。ただ土偶とかはあり宗教的萌芽はあったようです。その後、紀元前3100年頃のエジプト王国、紀元前2250年頃のアッカド帝国では何十万〜100万超の住民(臣民)がいたそうなので、サンダルを中心とした装飾的役割が強い履物が発生したのは、案外この頃あたりな気がします。
現人神「アメン神の生き写し」ツタンカーメンと、その横は妻のアンケセナーメン。2人ともT字ストラップのサンダルを履いてますね。ツタンカーメンの墳墓からは純金製(!)のサンダルも見つかってるようです。
一方、他の壁画に描かれてる民衆とかはだいたい裸足。エジプトにおいて履物は呪術的な意味合いも強かったようで、他人のサンダルを持ち運ぶ事は卑しい行為とされ、王の新参の奴隷が担当してたりしたようです。征服時にも従者がサンダルを持っていったりしてたとか。
エジプト王朝、なんと壁画に皮鞣し職人が描かれたりしてます。古王国時代のにもあるみたい。タンニンや明礬鞣し、更には染色技術まで持ってたよう。と言っても狩猟採集時代から皮鞣しはされてたでしょうし、モカシンの初出である5〜6000年前から技術としてはあったと見て良さそうです。
さて裸足と言えば、おそるべきクオリティの数多の彫刻たちからも分かるように、古代ギリシアは肉体美の世界。つまり裸が美の象徴であったのですね。だからこそ古代オリンピック(紀元前776〜393年)は出場条件が裸だった。逆に奴隷とかは服を着たりしないといけなかったようです。すごいですね。
前450年ではマラソンの語源になったマラトンの戦いの勝利の報を伝えたフィリッピデスさんが40km爆走し息絶えちゃってます。これも裸足。マジすごいよね。プラトンとかムキムキだったらしいし、ギリシアではそういう価値観のもとサンダル系が好まれてたようです。
ラファエロの名作「アテナイの学堂」(1509-1510)にはギリシャ時代のいろんな哲学者や思想家が描かれてて超面白いのでご紹介。足元もしっかり描かれてるので履物も分かります。真ん中の2人は左がプラトン、右がアリストテレスです。プラトンは裸足でアリストテレスはサンダル履きですね。裸足が多いんですがブーツ履いてる人もいたりと見ていて飽きません。
指だけ出したサンダルが出てきたので、実用的な軍靴としてのサンダルを使用してる例として、我らがヒーローオブヒーローのアレクサンドロス大王様を紹介せずにはいられない!彼はサンダル履いてる絵ばっかりあります。ギリシアの影響が続いてますね。彼が生きてたのはアリストテレスと被っており、紀元前356-323。
一番足元も見やすいのはこれですかね。
左がぶいぶい言わせてた頃の征服者アレクサンドロス。たぶん20代後半。右は究極のミニマリストたる「犬学派・樽学派」の哲学者ディオゲネス先輩。「アテナイの学堂」にもちゃんといるので探してみよう!
これはアレクサンドロスがディオゲネスに「おれ王の中の王だけど、何か欲しいのある?」と聞いたら「お前のせいで日が当たらんわ。どいて」という超有名な一場面ですね。この宗教的というより物語的な感じ、作者はロマン主義の画家っぽい。
持つもの・持たざるものの対比が面白い絵ですが2人の履物の対比もご覧あれ。アレクサンドロスはどの絵でもだいたいこのタイプのサンダル履いてる印象です。鼻緒が付いてるフラットソールは指の力はいっぱい使えそうですし、ぬかるみとかでも踏ん張れそうですね。「裸足=強い自分」という図式も守れてます。特徴的なのは足首をがっつり覆ってることで、これは勿論足とのフィット性を高める効果もありますが、個人的にはトロイア戦争の英雄アキレウス(アキレス腱の由来)のエピソードを意識したりしてんじゃないかと妄想したり。
時はもう少し進んで共和政〜帝政ローマでは、「mulles calceus」というサンダルのようなブーツのようなものが元老院議員とか富裕層とかでよく履かれてたそう。高位の貴族は赤い革を使っており、これは名誉の印だったようです。赤は染料が希少ですからね。対して一般民衆は裸足で生活する人が多かったようです。先のギリシアの頃からはちょっと様相が変わってきますね。
街中の音楽隊のモザイク画です。ポンペイは紀元前1世紀〜1世紀に栄えた街。貴族も多く住んでおり市井の人物を描いたモザイク画やフレスコ画が多数残ってます。履物についてもしっかり描写されていて、この楽隊の人物はおそらく革製のサンダルを履いてるのがよく分かります。ポンペイには革なめしの家に加え、なんと靴職人の家(!)まであったようで、履物へのかなりの関心の高さが伺えます。
なお絵の左端の子供はまだ裸足。子供はどこの国でもどの時代でも裸足の子は多かったでしょうけどね。
同じくポンペイ展よりビキニのヴィーナス像。沐浴する直前にサンダルを脱ごうとする一瞬を捉えた作品で、クピド(キューピッド)が支えになってる面白い構成です。
足に残っている彩色の跡を見ると、ビーチサンダル構造ベースに、かかと上部や脛のあたりまで紐かストラップがあったことがわかります。片手で脱げる構造だったんでしょうね。非常に興味深い彫刻です。
ポンペイ展から最後にもう一つ。
これは半分伝説的なトロイア戦争(紀元前12世紀頃)時、ミュケナイのアガメムノン王が娘を神の生贄に捧げる場面です。この人は「アガメムノンのマスク」で有名ですね。この絵だと泣いちゃって顔見えないけど。
ここではアガメムノン王の足元にご注目。紐がランダムにめちゃくちゃ巻かれてますね。これは脱ぎ履きは手間がかかるものの、フィット感はかなり高かったでしょう。まさに機動性全振りした軍用のサンダルって感じです。
ちなみにこの軍用サンダル、「Caliga」という名前が付いてたりします。ポンペイと同時期の帝政ローマ第3代皇帝に超絶悪名高いカリグラ帝がいますが、これは本名じゃなく愛称。子供の頃にこのCaligaを履いてたのがその由来らしいです。履物が人物名になってる激レア例かも。
こちらはエジプトのQasr Ibrim遺跡から見つかったカリガとのこと。これも紀元前1世紀〜1世紀頃。クレオパトラのプトレマイオス朝がローマに滅ぼされた頃なので同じ形態になってるのかもですね。
こんな感じで紀元前の西欧世界では、裸を美とするギリシアの観念をベースとし、フォーマルな履物としてオリエント中心に一世風靡してたのがサンダル。もちろん爪先が隠れるタイプの靴やブーツも履かれてはいましたけどね。ただ中世頃になってくるとまさにこの爪先が隠れる「靴」ががっつり台頭してきます。農民は裸足で作業してたっぽいけどね。モカシンの回で紹介した通り、11世紀頃から職工会としてギルドが形成されていきますが、そこで靴職人ギルドも出来てきています。
この後もサンダルは廃れこそしないものの、モードの主役は「靴」に取って変わられていくようになります。
日本のサンダル
世界で見ても広く履かれてたのがわかりますが、日本でも農民から武士階級まではちゃめちゃに広く履かれてますね。稲作の二次産物である藁を使用したワラジはもちろん、江戸期になって文化が隆盛するとゾーリ(草履)にもいっぱい種類が生まれ、さながら現代のスニーカーのような様相を呈してきます。
鎖国が終わり明治期に西洋靴であるブーツが入ってからは、足先を隠すクツに取って変わられましたが、日本人とは非常に馴染みの深い履物であることに変わりはありません。
西洋の軍用サンダルを紹介したので日本のも。アシナカと呼ばれるワラジの変種です。蒙古襲来絵詞にこのアシナカを履いた足軽の描写があり、下級武士の履物として活用されてたみたい。カカト部が無いので踵を踏まれたりする煩わしさも無かったでしょう。鼻緒が一番端にあるので指はソールからはみ出して接地します。当然自然とフォアフット走行になりますし、指に力も入るし、史上最もミニマルな軍靴だったと思っています。
サンダルの材料
モカシンは一枚生地で包むという特性上、「面」の材料が必要。そのため生物の革以外の材料はほぼなかったはずですが、サンダルは編むという製法を取ることで、糸状・紐状の「線」の材料を使うことが可能になりました。具体的には植物性繊維。前出のフォートロックの履物も樹皮でしたね。
国立民俗学博物館に展示されているシトゥケリは葡萄蔓/樹皮製のアイヌの履物。ヤマブドウは大事なビタミン源ですからね。
ヨモギ、樺、ブドウの蔓、藁…その土地によって使われる植物の種類があり、外観も変わってくる。これぞ民具の魅力であり、デザインの原点ですね。やっぱり履物は最高だ…
これから
土着の材料を寄せ集めて使用し、そのコミュニティで受け継がれ喜ばれる。その点において、デザインは料理にとても似てると思っています。特にサンダルはその製作の手軽さ故に多くの国々や文化の中で利用されて来た日常色の強い履物であるので、特にその色が強くて素敵だなあと常々思います。
人間のフットウェアホリックが無くならない限りは、履物の大量生産はまだまだ続きそう。だからこそ、これからの履物の製作過程は大いに「ブリコラージュ(寄せ集めて作る)」なサンダルの視点が重要になってくるべきだと強く感じます。ここ数年ずっとそう思っている…
次回はブーツ🥾👢
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