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履物の原型8種とその歴史①モカシン


フットウェアってめちゃくちゃ種類が多いです。世界一種類が多いプロダクトとも言われてるとかなんとか。世界の人口は約78億人(世界人口白書2020)になったらしいし、履物を持たない極度の貧困層(1日の所得が2ドル以下)もかなり減ってきているようなので、いまこの瞬間たぶん少なくとも100〜200億足はこの世界に存在してると思います。昆虫レベルで多い。しかも製品寿命は早くて平均しても5年くらいかも。1970年代のジョギングブームあたりから大量生産が始まったとすると、単純計算でこの100年間すらだけでも1兆(!)もの履物が世界に存在していた可能性があります。


そんな大繁栄を収めた履物たちも最初は無かったわけなので、進化生物学的に考えるともちろん原型があるはず。それを考える事は未来の履物を考える上で何か参考になるものがあるかもしれません。そこで数多ある履物の原型とその歴史について、個人的な省察を主目的に、情報をまとめてみたいと思います。

履物の8種の原型

まず履物の原型についてどんなものがあるか。研究だと民族学・考古学的なものはあれど、最新のフットウェアまで包括したやつとかは流石に無さげ。ファッション研究とかだとなんかあるのかな?
と言いつつも運良く文献でそういう記述を見つけることが出来ました。そこでは全ての履物のルーツは8種だと記載されてます。

“今や10年ごとに何百万種の「新しい」型の靴が売り出されているというのに、そのすべての土台となっているベーシックな靴のデザインは、たったの8種 ーブーツ、オックスフォード、サンダル、モカシン、パンプス、ミュール、モンクストラップ、クロッグー しかない。”

ウィリアム・A・ロッシ 「エロチックな足」法政大学出版局,1999


この著者の方は足病医ですが足と靴に対する執着と偏愛すさまじい人で、この本を1冊書き上げてます。そのため主観的な偏向が見られがちで読んでてそこそこ辟易することもあるくらいなんですが、その熱意からリサーチ量は半端ないので、この8種の原型について、発生した時間軸(歴史)や民具的な視点も交えてそれぞれまとめてみたいと思います。


いっくぞ〜!👟👞👠👢


1.モカシン 〜足を包む1枚の革〜

最古のモカシン

サンダルと並ぶ最古級の履物です。1説には4万〜2万6千年前から履物っぽいものが登場してるとあるけど詳細不明。その頃からつま先の骨(種子骨か?)が軟化したとかなんとか。まあホモサピエンスが移動がっつりしてるのもこの頃だし十分有り得るのかなとは思います。サピエンス全史によると農業革命は1万2千年前から始まったらしいのですが、狩猟採集生活の段階で履かれてるのなら、そこよりもっと前にあっても全然おかしくないし。狩猟の食の二次産物として絶対に皮は出るのでそれを活用できますからね。なお2010年にアルメニア洞窟で約5500年前のモカシンタイプの履物が発見されてます。

なぜかマノロブラニク氏のコメントが。(氏は昨年お亡くなりになりました。R.I.P)

アルメニア🇦🇲は黒海とカスピ海の中間に位置する国で、紀元前にはかなり栄え紀元前2世紀〜5世紀にはアルメニア王国を築いたとあります。

さて5500年前(紀元前3500)の頃というと青銅器時代。このへん全く詳しくないのですがクラ・アラクセスという文化が隆盛してた頃だったようで、家畜とかの交易もしてたっぽい?(馬の骨が出てるらしい) 交易➡︎移動ですし、アルメニア自体が夏は暑くて冬は寒いぽいし、足保護の目的から履物が発生したって感じでしょうね。家畜いるなら革も手に入るし。なおこの辺一帯はメソポタミアです。


出典:wikipedia「アイスマン」
wikimedia commons


他にはオーストリアのアイスマンの履物が5300年前から出てきてます。同じくらいの時期ですね。熊と鹿の革を縫い合わせたものらしい。wikipediaにあるこのイラスト見るに、甲皮(アッパー)と底革(ソール)縫い合わせてるまさしくモカシンタイプですね。

これらのモカシンは革製なので、朽ちていくのも早いでしょう。発見されているもので紀元前3500年ってことは、見つかっていないだけでもっと前から履かれてはいたんでしょうね。動物性の革が手に入れば良いので、狩猟採集の初期段階からあってもおかしくなかったと思います。これは革製の長靴であるブーツも同じですね。


古代のモカシン(革製の短靴)

古代の諸国家における履物事情についていくつか文献をあたりましたが、意外と爪先を覆うタイプの履物の記録があるところはそこまで多くなかったです。エジプト王朝( BC3000〜AD30)は王族はサンダル履きで他の人は基本裸足だったぽいし、クレタ島のミノア文明(最盛期BC1600頃)でもほぼ裸足生活だったようです。逆に室内では靴を履いてたとか。ここはビジュアルがないので推測の域を出ませんが、爪先を覆うタイプの「革製の短靴」であったなら、これはモカシン系だったかもしれません。エジプトやクレタ島は温暖な気候の地域だったでしょうから、足を寒さから保護する必要がなかったのかもですね。


一方で「革製の短靴」はBC500頃に資料が出てきています。特徴的なのはローマ文明が勃興するより少し前、イタリアで栄えたエトルリア。ここの首都タルクィニアの壁画に「爪先の尖った短い革製の履物」を履いた人物が描かれています。

「鳥占い師の墓」墓室壁画 紀元前530頃
タルクィニア国立博物館

エトルリアは交易も活発だったようで、ギリシアやペルシアの影響が多く入っていたようです。この人物は立派な顎髭から察するにおそらく中東系。ということは遊牧民族系のモカシンが、交易を通じてエトルリアに入ってきていたのだろうと思います。
なお紀元前8世紀頃から栄えていた古代ギリシアは、裸足やサンダルの資料が多いです。エトルリアの後に栄えたローマではサンダルとブーツがメイン。ここは次のサンダル回かブーツ回で紹介したいと思います。

パジリク古墳群壁画の馬に乗る男性
wikimedia commons

このなんともゆるい絵は南シベリアにあるパジリク古墳群の壁画です。時代は紀元前4-5世紀らしい。イラン系の遊牧民族であるスキタイ人とのことです。足元はアンクル丈のブーツ。ブーツだけど短いから、いちおうモカシンのカテゴリーでも紹介しておきます。ここまで来るとあまりブーツとモカシンで分ける意味はないので、長靴と短靴という違いで認識しておくほうがいいですね。通じて見てみると、短靴は案外資料に残ってないのが面白いところ。

一方で東アジアでは、BC250年あたりの始皇帝の兵馬俑に、四角い形状の爪先を持つ短靴を履いた人形がいたりします。中国も北方には騎馬民族が多かったですし、元からモカシンは履かれてたでしょう。ただ四角いとなると木材が一部に使われてたのかもしれません。こちらはクロッグの回で触れるかも。


中世のモカシン(民具として)

中世になると履物はかなり装飾的要素を帯びてきて、身分の高い王侯貴族や聖職者の特権になったりしていきます。ビザンツ帝国の資料とかみると面白い。履物も裸足はなくなりサンダルも減ってきて、いわゆる「靴」が隆盛してきます。なので民具的な印象が強いモカシンというよりもっと装飾的なものになっていくのですが、モカシン的な履物は庶民など身分低めの人が履いてた資料がいくつかあるので紹介します。

バイユーのタペストリー 1051-1100頃
wikimedia commons

このタペストリーは、11世紀にノルマンディー公がイングランドを攻めた「ノルマン・コンクエスト」を麻布に刺繍で描きとめた刺繍画。ヘタウマな感じがなんとも味わい深いものですが、長編でありなんと横長さ70mあったと言われてます。戦争時の情景だけではなく、炊事や生活の様子も描かれており、服装や靴の資料としても超絶貴重な資料です。

このノルマン人達はAD300年頃から西に移動してきたゲルマン民族の一部で、彼らは騎馬生活も多かったのかズボン(ブラカエ、ホーズ)を着用していたそうです。これ当時のローマとかでは野蛮人の履物として認識されてたみたい。ただ何よりズボンは動きやすく、それ以後西欧全域に広まっていきます。このタペストリーでも、上着はチュニック、下はブラカエ、って感じ。ここで履かれてるのはいわゆる短靴でモカシンぽいですよね。戦闘時はブーツで足を守ってるけど、だいたいみんな同じ服装をしている。ということで、モカシン系は普段の履物としてかなり広まっていってるんじゃないかなと推測することができます。

ピーテル・ブリューゲル(父)「農民の踊り」1568年
wikimedia commons

16世紀の北方ルネサンスを代表するブリューゲルお父ちゃん。バベルの塔とかも有名ですが、このような庶民の何気ない生活をそのまま描いた絵がいっぱいあり、希少な画家のお一人です。当時は絵画といえばほぼほぼ宗教画ですからね。

さてこちらの何とも楽しい雰囲気の絵、嬉しいことに履物もいっぱい描かれてます。

右側の手を取ってダンスしてる男女ですが、男性は紐付きの短靴ですね。現在の革靴とほとんど同じ形状です。女性のほうはベルト式のストラップが付いてますね。これにヒールが着いたら、これもほぼ現在のパンプスと同じです。いわゆる革製の庶民の履物は、脱ぎ履きしやすさとフィット性を兼ねてこのような形態に収束していったのでしょうね。

ちょっと興味深いのはこの小さな子供の靴。ちゃんと革靴を履いてます。服装もほぼ大人と一緒。老若男女わけへだてなく、このタイプの革靴を履いてたということです。まさに民具ですね。この頃は宗教改革でいろいろ荒れまくったりしてたみたいですが、民具というのはどの国でもいつの時代もアノニマスな魅力で人間と共にあるものだなと改めて思わせてくれます。


日本のモカシン「ツラヌキ」

ここまで古い時代じゃなくとも、モカシンはアメリカ先住民(イヌイットやインディアン)履物としても有名なイメージ。日本ではあんまモカシンってイメージないですが、この「皮を塗って袋状にした履物」は実は日本にもあったんです。

出典:潮田鉄雄「ものと人間の文化史8 はきもの」(1973)p.47より、
大蔵永常「農具便利論」(1822)に掲載されたツラヌキ


綱貫(ツナヌキ、ツラヌキ)」というこの履物がそれ。革に糸が通されて巾着状に締め上げる構造。これは江戸期の庶民が履いてたツラヌキの絵です。まさにモカシン縫いって感じ!耐久性を上げる為に、踵に別パーツ(たぶん革か板)が付けられてるのにも注目。

蒙古襲来絵詞(1293)より。ふっさふさのツラヌキ

個人的にツラヌキと言えば、ふさふさしたこっちのイメージ。というかこっちのほうが500年以上早い。ツラヌキや毛沓は平安時代頃に発生し、だんだんワラジ・ゾーリなどのサンダル系に取って変わられたようです。武将がハレの日に履いてる印象ありますね。このへんも遡ったら奈良時代とかに大陸から日本に入ってきた毛履や単皮だと思います。

もっと昔にあった日本のモカシン「単皮」

源順(931-938)「倭名類聚抄」二十巻本 巻十二
国立国語研究所
https://www2.ninjal.ac.jp/textdb_dataset/kwrs/kwrs-012.html


という事でいろいろ調べていくともっと前に唐から伝わったモカシンの表記がありました。平安時代の百科事典「倭名類聚抄」にフットウェア(履襪)の項目がありました。最高の資料だ…
糸鞋、鼻高鞋など、当時最先端の大都市”唐”から伝来した様々なクツタイプのフットウェアがこちらに載ってますが、今回のお目当てはこの「単皮」。名前からして一枚皮。屋外履きだったぽいですし、鹿皮って書いてあるし、文句なしにモカシンぽいですね。「多鼻」とも表記あります。前述の通り中国(唐)から伝来したものでしょうが、日本のモカシン系譜を考える上では特筆しておくべきものでしょう。

なお「足袋」は靴下である「襪(しとうず)」からの派生であり「単皮」からの派生ではないってのが有力らしく、自分も同じ意見です。シタクツ→シトウズと変化したように室内履きだった襪がそのまま足袋として定着していったんじゃないかなあと。
ただし「足袋」にタビという読み方をあてたのは、多鼻が語源になってるからだと思います。指分かれてるからね。ややこしい!
指が分かれたのは鼻緒式履物が広まったからで、靴下である襪が現在の足袋形状に変化した為でしょうね。(個人の推測です)

現代のモカシン

スニーカー(ゴム底・紐タイプ)大隆盛の現代ではモカシンは比率としてかなり少ないものの、1形態として愛され続けてます。

Nike Air Moc 
https://hypebeast.com/jp/2016/12/nike-air-moc-bomber

「21世紀のモカシン」の異名すら持つエアモック。1994年にアウトドア用コンフォートシューズとして発売されました。1枚生地のアッパーに1枚のゴム底、ツラヌキと同様な巾着式のクロージャーシステムが、まさにモカシンの系譜を受け継ぐ名作です。

Paraboot Michael
https://www.paraboot.com/ja

「モカシン縫い」と呼ばれるのがこちら。U字形状(足の形に沿った形状)の上部アッパーと、側面のアッパーを縫製する時の呼び名です。ParabootやClarksのが有名ですね。


まとめ

1枚革を使用する事から狩猟採集生活や牧畜と抜群の相性を誇ってたモカシン。その構造のシンプルさ・脱着性の高さ・保護性・などなどの機能的側面が故に、古くから世界中で使用されてきた履物と言えるでしょう。何よりブリコラージュの先駆けと呼んで過言ではないその製作過程は、これからのプロダクトデザインにおいても非常に注目すべきものであると共に、改めて民具的なアノニマスな魅力も強く放っているプロダクトであると強く心に印象づけられた次第です。つまりモカシン最高ってこと…!

※当初は履物8種類の考察を全て1記事にしようと思ってましたが、とんでもない分量になりそうだったので小分けにしました。ちびちび更新していこうと思います。随時加筆修正するかも。
※2022.01.25 加筆

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