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履物の原型8種とその歴史③ブーツ

ホモサピエンスが直立二足歩行を獲得したおかげで世界で大繁栄を収めている履物たち。その歴史や特性を考える事は未来の履物を考えることに役立つかもしれません。そこで数多ある履物の原型を8種と仮定し、その歴史について、個人的な省察を主目的に情報をまとめてみたいと思います。

1.モカシン
2.サンダル
3.ブーツ ←今回はここ
4.クロッグ
5.パンプス
6.ミュール
7.オックスフォード
8.モンクストラップ
番外編(予定)


3.ブーツ 〜保護と機動性〜

発生と歴史

モカシンとサンダルはともに狩猟採集時代から親しまれてきた人類にとって最古の履物たちでした。出土してるもので約5000-6000年前。これらはネットにもいろいろ情報が上がってたのですが、ブーツについてはほとんど情報がない。

世界史関連のいろいろな文献にあたってみましたが、BC3000頃からのエジプト文明やBC2000〜1200頃のミュケナイ文明は裸足かサンダルの文化だったようで、ブーツはおろかモカシンも出てきません。殷や周の資料はあまり無いようです。BC22-23世紀あたりのアッカド帝国のレリーフはネットにもいろいろ画像がありましたが、裸足だったり足が見えなかったりと、履物が着用されていたかまでわかるようなものは見つけきれませんでした。

自分が見つけた中で最も古い資料は、BC7世紀のアッシリア帝国のもの。

アッシュールパニバル王の獅子狩り
BC645-635、ニネヴェ ノースパレス出土
wikipedia commons

アッシリア帝国の最後(?)の王、アッシュールパニバルさんのレリーフです。片手でライオンを制してぶっ刺してるすごいシーンですね。完全にエジプトの影響を受けてる描写です。
さて足元にご注目。左の従者は足指がしっかり描かれていますが、アッシュールパニバルさんはつま先を覆う履物を履いてます。さらにはアキレス腱からふくらはぎまで覆うようなガードがあり、そこからバンドっぽいもので脛に固定されています。革製か布製かは残念ながら推測の域を出ませんが。つま先が覆われて、脛のほうまで保護機能がある。と言うことでこれはブーツと呼んでいいかなと思います。
かかと周囲には装飾っぽいものも描写されており、かなり手の込んだ履物であることが見てとれますね。何よりアッシュールパニバルさんは、鉄製武器によりがっつり武力支配でオリエントを初統一したこの帝国の王。さすがの1足といった印象です。

このレリーフはアッシリア最大規模の時のBC7世紀のものですが、アッシリア自体はBC20世紀あたりから存在してる国のよう。BC7世紀のアッシュールパニバルさんのブーツがここまで豪奢なものだということは、おそらく簡易的なものだともっと前からブーツは存在していたと考えていいかなと思います。簡易的なものなら民具でも既にありそうですが、資料に残ってないから何とも言えないところですね。


さて、次に資料上でブーツが見られるのは紀元前5世紀頃。遊牧民族スキタイや古代ギリシャになります。

パジリク古墳群壁画の馬に乗る男性 紀元前4-5世紀
wikimedia commons

モカシンの回でも紹介しましたがこの何ともヘタウマな味のある壁画はスキタイは遊牧騎馬民族の源流的な存在。西洋史メインの世界史の中ではあまり記録がされてこなかったようですが、この遊牧騎馬民族というのは描かれていないだけでかなり世界史に影響を与えている勢力です。歴史上に遊牧国家の発生が確認できるのはBC6世紀頃と言われており、アケメネス朝ペルシアのダレイオス1世は莫大な戦力を投入しけてスキタイ討伐に臨むも、惨敗しています。これがBC514年と言われている。実際はもっと前からいたでしょうけどね。

着目したいのは彼ら遊牧騎馬民族はブーツを履いていたんじゃないかということです。一説では鎧(あぶみ)の発生がスキタイの後のサルマタイが発祥と言われてるように、騎馬民族なので馬具が発展していきますが、間違いなく履物も進化していったでしょう。おそらくはモカシンが足を保護すべくハイカットになっていき、ブーツになっていたのでは…と個人的には考えています。

部族は違いますがゲルマン民族大移動のもとになったフン族はまさに遊牧騎馬民族でスキタイの系譜と言えるかなと思います。漢の武王の西方遠征でフン族が西に追いやられていったのがゲルマン人の移動に繋がり、果てはフランク王国やノルマン・コンクエストまで続いていると思うと歴史の大きなダイナミズムを感じます。なお始皇帝の時代、BC3世紀あたりでは匈奴(フンヌ)や月氏、東胡が中華の北方を統べる一大勢力でした。「キングダム」でも山の民なる超強い騎馬民族が出てきますが、彼らはそのどこかの部族がモデルでしょう。もっと後ですが五胡十六国時代(AD4-5世紀)の五胡とは匈奴・鮮卑・羯・氐・羌の5つでした。彼らはまさに遊牧騎馬民族です。彼らはみんなブーツを履いてたと思うと、感慨深いものがありますね!



ギリシア「ヘルメス、エウリデュケ、オルフェウス」(ローマ時代の模写) Musee du Louvre,Paris深井晃子監修(1998) カラー版 世界服飾史p.15より抜粋

こっちは古代ギリシャのレリーフです。書籍の中ではこの履物に触れられてないのですが、下腿まで覆われた長靴のようなものを履いた賢者が紀元前420-410年の古代ギリシアの石版に描写されています。脛のあたりには紋様もあしらわれており、階級の高さがよくわかりますね。ギリシャは肉体美礼賛の世界観だったので、ブーツがあったのはちょっと意外でした。フェニキア人の地中海交流ネットワークでもたらされたものでしょうか。


「アテナイの学堂」1509-1510
ラファエロ・サンチェス
ローマ ヴァチカン宮フレスコ画

ちょい時代は後になりますが、ルネサンスの寵児ラファエロによる名作「アテナイの学堂」です。サンダルの回でも紹介しました。これは古代ギリシャの哲人達を描いた作品で、画面中央にプラトンとアリストテレスがいます。基本みんなサンダルか裸足なんですが、ブーツを履いた人物(ヘラクレイトス?)が描かれてます。
時代としてはBC4世紀くらい?の設定だと思うのですが、一応参考として載せておきますね。


「パン屋の店先」50-79年
ポンペイ タブリヌム出土
国立博物館にて筆者撮影

国立博物館のポンペイ展には多くのフレスコ画が展示されており、履物もかなり描写がありました。共和政〜帝政ローマの頃なのでサンダルがメインの履物なのですが、ブーツも結構描かれてました。パン屋に行ってる絵があるんですが、ここでもブーツを履いている。軍靴や儀式用だけじゃなく、普段の履物としての選択肢もあったようですね。さっきのヘラクレイトスのブーツに似てます。紐で編み上げるようなものではなく、モカシンにゲートルが付いただけの「超ハイカット・スリップオン」みたいな形態ですね。


ローマ「執政官」Museo Palazzo dei Conservatori, Roma

“トガを着た外出時の履物は、足首をすっぽり覆うカルケウスという靴である。高位の貴族は赤い革を使い、これは名誉のしるしとなった。”
ー前掲書p.21より抜粋

こちらはAD400年ごろ。テオドシウス帝の頃のローマの執政官の像です。ローマの服装といえばこのゆったりしたカーテンを纏ったようなトガという衣服が有名ですね。外出時には足首を覆うカルケウス(mulles calceus)というやつを履いてたようで、これは形態からするとブーツと呼んでも良さそうな気がします。なおcalceusはshoesの語源と言われているようです。

この時代、先ほど紹介したフン族の西方移動によりゲルマン民族が西に押し出されてきます。ゲルマン民族の大移動ですね。そのゲルマン民族が着用してたのがズボン(ブラカエ)。そしておそらく足元はブーツ。衣服は布を纏い体のラインが出ないタイプのトガなどのドレープ系衣服から、体のラインが出るものになっていったようです。今日の洋服の源流はここなんですね。

「聖務日課書」写本挿絵,「アレマン族の王」5世紀 Bibliotheque Nationale de France : Ms.lat. 4404 f.197vー前掲書 p.29より抜粋

えらく緩い顔のこの人物は、サルエルパンツのようなズボンを履いてます。履物はというと長い紐のついた編み上げサンダルか靴のよう。かなり運動はしやすそうですね。

古代ギリシア系は肉体美礼賛で「履物=軟弱」の概念でしたが、上記の通り帝政ローマやフランク王国では足を覆う履物が増えてきました。これはスキタイから始まる遊牧騎馬民族フン族の西方移動、それに連なるゲルマン系民族の移動に関わっているのが興味深いところです。世界史って感じ。


中世のブーツ


中世ヨーロッパは「靴」の大繁栄した時代でした。モカシン、ブーツ、パンプス、、、などなど。モカシンは庶民が履いている絵が残されていましたね。一方でブーツはどっちかと言えば貴族や戦闘の際の履物。革製のやつだと16世紀のルネサンス期で履かれていたり、17世紀でブーツ大流行のモードが発生しています。
モードの変遷でいくと、15世紀あたりまでの中世の服装はだいたいがチュニック+ホーズ(ショース)というもので、今で言うと短めのワンピース+ストッキングのようなものだったとされています。このホーズには短靴が合わせられるか、ホーズの裏に底革が直接縫い付けられるかしてたみたいです。そこにオーバーシューズである「パトン」を履いたりしてたよう。パトンについては次のクロッグ回で取り上げます。

14-15世紀には「プーレーヌ(先尖りの靴)」が一世風靡し、その後15世紀後半〜16世紀初頭に「カモノハシ靴(幅広の靴)」が一瞬だけがっつり出てきます。その後、貴族のファッションアイテムとしてブーツが登場してくるという流れになります。男らしさ=騎士という当時の価値観のもと、騎士の象徴として履かれてたみたいですね。西洋絵画の中でも広く着用されているのが見て取れます。



「シャルル禿頭王の聖書」挿絵 9世紀
フランス国立博物館
wikimedia commons

カール大帝の孫にあたるシャルル禿頭王の両サイドには、間違いなくブーツを履いている従者が描かれています。フランク王国を築いたカール大帝はローマの服装を嫌ってゲルマン民族の服装を好んでいたそう。これは9世紀の作。


「ローランの歌」挿絵 1450-1489
Simon Marmion
wikimedia commons

「ローランの歌」は、カール大帝が778年にイスラム教徒と戦った際の武勲詩。15世紀に描かれたというこちらの挿絵では、左下に普段の服装の人物が見られます。もちろん15世紀の服装で。彼らはおそらくプーレーヌを履いている。服装もチュニック+ホーズです。中央には重厚な甲冑を着た騎兵がたくさんいます。足元のブーツは革製ではなく金属製になっていますね。馬も重そうだ。

「夜警」レンブラント・ファン・レイン 1642年
アムステルダム国立美術館
wikimedeia commons

中世ヨーロッパでは11世紀頃から商工会が専門分野ごとにギルドを形成していきました。ルネサンス期以降は力や富を蓄えていき、とりわけ大航海時代を経たオランダ黄金期ではかなり力を付けていたようです。彼らは自分たちの所属ギルドの宣伝や名誉のために、画家に自分たちの絵を注文していたので、その絵がいろいろ残っています。中でも有名なのはレンブラントのこの絵でしょうか。「夜警」は市民自警団が発注したものらしいですね。中央の2名に視線が向かいますが、右の人物のブーツは特徴的ですね。

1630年頃のファッション Victoria & Albert Museum, London ー前掲書 p.70より抜粋
ウィリアム・A・ロッシ(1999)「エロチックな足」p.163より抜粋

17世紀に流行したのはこの「じょうご型」ブーツ。拍車が付いてるのが人気だったぽい。当時のバロック時代に大流行したレース編みがふんだんに使われてるのがいかにもファッションアイテムといった感じです。特徴的なのは甲の足首部分にリボンぽいのが付いてるのと、滑車ですかね。リボンの方は色を変えたり目立ってるのもあったようです。滑車は乗馬ブーツや戦闘用のもののディテールですね。普段使うわけじゃないけど象徴として付けられている。今で言うゴアテックス信仰みたいなものに似てるかも。

Wikipedia「長靴を履いた猫」より。
Gustave Dore le chat botte.jpg

「長靴を履いた猫」の物語では、ブーツが騎士の象徴である事を顕著に示してます。17世紀に出版された民話のようで、このイラストのブーツもフリル&拍車付き。長靴とはブーツのことなんですね。ドヤってるポージングがいいね。


この後のルイ14世の治世時代(17-18世紀)ではさらにフランスがモードの中心となります。宮廷でサロンが発達し、そこでセンスや教養をアピールするのが重要になり、さらにファッションの中心になっていきます。履物はパンプスやミュールがメインになっていくので、これはそれぞれの回で取り上げていきます。



なおブーツは最も足を「隠す」履物なので、隠す=エロスというフロイト的な図式からフェティッシュの対象としても広く普及します。これについてはここで書くまでもないので「エロチックな足」をご参照ください。めちゃくちゃ書いてあるから。

日本のブーツ

ブーツというと革製をイメージしますし、「日本で最初にブーツを履いたのは坂本龍馬」という話は有名ですが、ブーツを「脚まで覆う長靴」と捉えると日本の民具にもその系譜が見られます。

深履(フカグツ) 長野県
国立民俗学博物館で筆者撮影
鮭皮製履(シーケリ) 北海道
国立民俗学博物館で筆者撮影


深履は豪雪地帯によく見られる藁製のブーツ。西洋の革製と異なり植物繊維由来ブーツというのは改めて考えると面白いです。藁は稲作地域において広く親しまれた素材だったので、藁製のゲートルである脚絆(キャハン)もよく見られるものです。これも国立民俗学博物館に現物ありましたが写真が見つからなかった…

変わってアイヌは狩猟採集生活。なので皮を使用しますが使うのがなんと鮭の皮。まさに北海道って感じでシビれます。成熟した個体はかなり大きいですし、貴重な一枚皮が取れたでしょう。
なおアイヌの履物では前回のサンダル回でも触れた「葡萄蔓履(シトゥケリ)」もあり、その地域や文化ごとに履物の素材が変わってくるのが非常に面白いところ。

コトバンクでの検索結果より。

軍靴としては平安時代あたりから乗馬ブーツとして「馬上沓」「物射沓」などの革製長靴があったようです。鎌倉時代になるとこのへんのブーツは消えて、短靴系の「貫」「毛沓」になり、さらに鎌倉後期にはワラジ・ゾーリ系に変わっていくようです。
紀元前にブーツを履いてたであろう遊牧騎馬民族とは対照に、騎馬でもサンダル系になっていってるのは面白いですね。

現代のブーツ

このように、戦闘用・狩猟用・雪用などで古くから広く利用されてきたブーツ。現在においても、ハンティングブーツ、スノーブーツ、コンバットブーツ、エンジニアードブーツ、ジョッパーブーツ、マウンテンブーツ…などなど枚挙に暇がなく、あらゆるアウトドアにおける専門履物としての地位を総ナメにしている素晴らしい履物の位置を確立しています。

L.L.bean boots
 https://www.llbean.co.jp/shoes/beanboots/

20世紀のブーツと言えばまずこれ。ゴム底でアッパーまで立ち上げる事で水などの侵入を防ぎます。革靴はどうしても甲革と底革縫い付けるときに発生する縫製穴から水が侵入するのですが(グッドイヤーウェルト製法などはその点を軽減した製法)、ゴムで覆っちゃえば侵入しないし編み上げだと脚にもフィットするよ〜って事ですね。

Hunter Original Short Boots
https://www.hunterboots.com/jp/

もちろん全部ゴムで作ると水は入らないですね。最も広く履かれてるブーツはレインブーツじゃないかなぁと思います。1856年でイギリス創業のハンターが歴史が古くて有名ですね。チャールズ・グッドイヤー氏の執念と努力でゴムの加硫製法が発見されてからは、現在至るまでラバーソールがあらゆる履物で一般化されています。

※グッドイヤー氏の孤軍奮闘っぷりは涙無しには読めないので是非みなさん一度wikipediaを…20〜21世紀の我々の足元は彼が開拓してくれたと言っても過言ではありません…

これから

ブーツは広く履かれており、その種類も多岐にわたる事から実体をうまく掴みきれずにいました。しかし「保護性能+運動性能」を両立した履物全般を指すと考えると、今後人間が開拓精神を持ち続ける限りは絶対に無くならない履物であり、ブーツこそが生物学的なヒトの限界を拡げてくれる履物なのではないかと思ったりします。
という事で最後に私が好きなスペキュラティブなブーツを貼って、今回の考察の締めとします。

Nike Mars Yard Overshoe Tom Sachs AH7767-101 (Nike SNKRS app)

火星のためのブーツという名前でいかにもフロンティアスピリットが想起される名作ですね。このブリコラージュ感も美しい。さすがTom Sachs。amazonで12万だけど…

次回はクロッグ!

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