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1日1個!認知バイアス! 『認知バイアス辞典』/情報文化研究所

「認知バイアス」として日頃よく目にするワードとしては、《同調バイアス》などが挙げられると思います。


【同調バイアス】
周囲の複数他者による同調によって、他者の行動が自身の規範となること。


《どのような認知バイアスが存在して、それぞれがどのように作用し合うのか知りたい》といった要望に応えられるような、《認知バイアス》に関した助走的著作と言えると思います。

60もの認知バイアスに関して、自分の解釈なども加えて列挙してみました。


1~60間での数字をランダムに思い浮かべて下さい。
その数字に対応した《認知バイアス》を読み
気になったらさらに深堀してみて下さい!




1、二分法の誤謬

「壺を買わないと不幸になる」と脅されることについて考える。
上記文を言い換えれば、「壺を買えば幸せになる」ということだけでなく、「壺を買わなければ幸せになれる」「壺を買えば不幸になる」という可能性が有ることを忘れがちである。

2、ソリテス・パラドックス

「素晴らしい演奏をしよう」という宣言の《素晴らしい》とは一体どういうことなのであろうか、と考える。じっくりと反芻すると、非常にあいまいで無責任な言葉であることが分かる。このような、定義があいまいな言葉を用いることで生じてしまう誤謬のことをいう。
どのように《素晴らしい》を達成すべきか定義して共有するために、その言葉に対する線引き、ボーダーラインの配置を思考する必要がある。

3、多義の誤謬

《鏡の国のアリス》物語で、「給料として、1日おきにジャムを渡す」と約束されたアリス。しかし、一生給料としてジャムが渡されることは無かった。今日からみた《1日おき》とは、昨日と明日のことであるが、明日は明日であり、明日の《1日おき》は今日と明後日である。しかし、今日にはジャムはもらえない。
これらの事実から整合すると、ジャムは永遠に貰うことができない。(屁理屈っぽいけど英文からの解釈だとより分かりやすい。)

4、循環論法

「この世は腐っている。デスノートで犯罪者を粛正しよう。」
「犯罪を駆逐すれば、世界は平和になる。」
「早速粛清の効果が表れてきた。」
「効果が表れることは、世界が平和に近づいているということだ。」
「やはりこの世は腐っていたんだ。」

最初に自己定義した《この世は腐っている》という仮説事実が、結局明確に正当化されないまま、説得する事柄だけが増えてしまい、その事柄を説得するために《この世は腐っている》という仮説事実を利用している。これを、循環論法という。

5、滑りやすい坂論法

「AならばBである」という正しい因果関係のなかに、曖昧な因果関係をを刷り込ませ、あれよあれよと滑り落とすように、「AならばBせよ」という帰結へと持っていく論法のこと。
対策として、「その証拠はあるのであれば示してほしい」などと問うことで、主張者自らその論法に例外がないかどうか気付かせればいい。

6、早まった一般化

ある事柄に関して、帰納的解釈により、「〇〇ならばこうだ」と軽率に一般化してしまうことを言う。
「ゆとり世代がだらしない」と語る初老世代に関して、何が早まっているのかと言えば、それは《主語の大きさ》にある。一概にゆとり世代といっても、ゆとり世代という括りを明確にして、どのように何が「だらしない」のかを語れる人は少ない。すぐさま、それに対抗するための反例を示せばいい。

7、チェリー・ピッキング

人は、とある信念や思想に対して、それに準ずるような情報が可視化されやすい。自己の好奇心は、無意識的に、取捨選択されてると言える。
その様な人達は、無意識的に選別された知識や情報を武器に、他者を説得しようと試みる。このように、不都合な証拠を結果的に無視することをチェリー・ピッキングという。
説得されそうな場面では、つねにその人の無意識的選別を疑い、裏の証拠について質問を投げかけるべきだ。

8、ギャンブラーの誤謬

宝くじを買い続けて、全く当たらないような期間が何十年も続いたとする。当たらない事象がずっと続いているのだから、そろそろ当たるのではないか…のような思考に陥るバイアスが、ギャンブラーの誤謬だ。
過去は未来に影響を与えない。1回1回の試行確率は、過去の結果に依存しない。そんな当たり前の確率論でさえも、ギャンブラーには不鮮明になる。
ちなみに「賭ケグルイ」の蛇喰夢子は、《リスクを負うことへの快感》を追求する、ある意味で本質的なギャンブラーなので、このような誤謬は存在しなさそう。

9、対人論法

議論する相手の主張の中身を吟味せず、その人の性質に依存してその主張を退けようとする論法のこと。
「何を言ったか」よりも「誰が言ったのか」が優先される。適切な取捨選択の為、このバイアスは必須。しかし、相手のかえがたい性質(出自や性別、国籍、人種、容姿など)を取り上げて攻撃することは、その人を貶めることに繋がりかねない。

10、お前だって論法

対人論法もそうだが、これも人格攻撃の一つとされる。
「お前だってそうじゃないか!」という論法に関しては、基本的に議論の本筋と全くの無関係であることが多い。今話している議論に過去の事象を持ってくることは、本質的に間違っている。「今はそのことは関係ない」と冷静に切り返せばよい。
上司は常に、部下に「お前だって…」と思われぬよう、部下を注意しながら自分を律する必要がある。

11、藁人形論法

論点のすり替えを行い、架空の意見を提示することによって議論にくぎを打ち、打たれることをいう。
とある人に問題点を指摘したとする。その際に、相手からより巨視化されたような論点にすり替えることで、議論を有利に進めようとする。

12、希望的観測

自分の都合のいいように物事を解釈することを、希望的観測という。直近、または遠い未来に対して希望的観測を講じることで、自身の未来における「自由」を確保しようとする動きが、そのように現れる。
相手に希望的観測を諭す際は、観測のみではなく、観測と熱意と責任をプラスすることで、自分の主張を理解してもらえる確率がアップする。希望的観測と、その反対の絶望的観測は、リスクで天秤にかけると、希望的観測のほうがリスキーである。

13、覆面男の誤謬

戦隊ヒーロー(A)は、戦闘の時は覆面を被るが、それ以外では一般人(B)として、他の人と何ら変わらない生活を送ってる。何も知らない一般人からしたら、この同一の2者は相違する人物同士に映るかもしれないが、それは間違いである。実質、この2者(AとBの2者)は同一人物だからである。
しかし、「Aを信じている。」「Bを信じている。」というような、人の心に内包されうる感情としての動詞が絡む場合、A=Bと言うことは出来なくなる。
指摘されたり責められる際に、その原因を自分自身に、または他人の至らなさに帰結させがちであるが、このように、置き換え可能だと思われる事象同士に関しても、人の心が介在すると、一概には否定や肯定ができなくなる。

14、連言錯誤

「Aは25歳の男性。独身。学生時代はスポーツに打ち込み、全国大会にも出場した経歴を持つ。政治的問題にも積極的に興味をもっており、LGBTなどを取り巻く社会的構造からの視座の必要性を感じている。」
この男性について、より当てはまる可能性のある選択肢はどれか?
①彼はメーカーのセールスマンである。
②彼はメーカーのセールスマンであり、LGBT活動家である。
答えは①。②と直感的に答えてしまう人が比較的多い。これは、直感にしたがって類似性の高い選択肢を選別し、判断してしまうことによる。このような論理的プロセスを欠いた直感思考を、「代表性ヒューリスティック」という。

15、前件否定

「もしAであるならBである。」ということに関して、「Aである、というこは、Bだよね。」と言えるが、「Aではないから、Bではないよね」と言うことは出来ない。これを前件否定という。
BにはAが内包されており、Aは一部分にすぎない。そのため、AでないということがBではないと断定することはできず、他の可能性も数多に残されていることになる。否定できるとすれば、AとBが完全に同一でなくてはいけない。しかし、覆面男の誤謬にもあったように、その完全同一のAとBに他者の心や思想、感想が混じるとイコールで結べなくなる。

16、後件肯定

前件否定と類似系のバイアス。「もしAであるならBである。」という命題において、「Bであるから、Aである。」と言うことは出来ない。
例えば、「男性なので、女性が好きだ。」という命題について、「女性が好きなのだから、男性だ。」はイコールではない。当本人の社会通念上ではイコールかもしれないが、このような後件肯定は、多様な価値観を受容しようというグローバルな風潮に反する思考法である。

17、四個概念の誤謬

三段論法の間違った使い方として、4つ目の概念を挿入して議論を進めてしまうような、四個概念の誤謬が挙げられる。
簡単に表現すると、3つの概念で成り立つ理論や会話に対して、4つ目の概念をさり気なく挿入することで、ミスリードが発生してしまう(また恣意的に発生させる)ことである。
とある人に説得されて何かを契約した際に、そのやり取り中に《四個目の概念》があった場合、その四つ目の概念を説明したという事実と、その概念によって、不利益を講じてしまうリスクがあるのだ。
例えば、会話中の1つ目の概念が「2020年度中の年収が500万以上の人が対象」であり、(2つ目と3つ目は飛ばして)4つ目の概念として「年収が500万円以上の人」となると、この概念同士は同等では泣いため、間違った論証となり、後々になってから「ハッ…」と気付くことになる。

18、信念バイアス

《論証の妥当性》と、《その論証の結論に対する信念》が相互作用する際に、人は信念の決断に重きを置いて判断してしまう、というバイアスのこと。
例えば、その論証が妥当ではないとわかっていても、自分や周囲における美徳であるならば、人はその結論を信じてしまう、ということである。
論証の整合性を推し量ることは簡単ではなく、より簡単に判断を下しやすい《信念》を基準として、判断してしまう心の癖のことである。
推論において信用できる構図は、【論証が妥当であり、命題は真である。】時のみである。

19、信念の保守主義

信念バイアスをみても分かるとおり、信念とは非常に強固なものである。そのため、自分が一度信じて《信念》として心に刻み込んだ事実は、様々な妥当性のある論証や証拠を用いても困難である。これを、《信念の保守主義》という。
しかしながら、付き合う男女にたいして一方の両親が結婚を断固反対していても、男女の真摯な付き合い方などをみて、最終的には賛成するものである。保守的な信念を変容させるためには、時間が必要なのである。

20、常識推論

読んで字のごとく、人が日々行う推論のこと。様々なバイアスを経由して、それを日常に適合させ、実行しているような推論とその結果である。
各個人の常識推論は、ときには平行線で全く交わらないこともある。このように、自身は合理的と判断することも、一方からは非合理的であると判断されることが、容易に想像できる。合理的と考えて行動し、非合理的を感じながら生きることで、人はバージョンアップしていく。
このようなバージョンアップについては、AIに真似することのできない技だ。AIは人間に依存した教師データをもとに合理的判断を行うが、生身の人間の判断とは、理に適っているかどうかの範疇を超えることもあるからだ。

21、ミュラー・リヤー錯視

だれでも見たことのある有名な錯視である。直線の長さを問う錯視であるが、実際は3次元空間における感覚の錯誤を指摘したものである。
人が網膜でとらえる物質は、物質そのものを観察しているのではなく、今までの経験上で最適化された感覚、いわゆる適応度に応じて物を見ているということが分かる。
面倒な計算をしなくても、人間の脳が勝手に最適化しているということだ。人間の脳は私自身からしたら、まるで他人のように知らぬうちに何かをしているのだという事実に感心するとともに、その決定的な矛盾に驚くのである。

22、ウサギとアヒル図形

これも有名な錯視である。同一の絵に、ウサギとアヒルが描かれているものである。先ほども述べたように、人間は《真実そのものではなく適応度をかき集めた結果を見る》動物である。それは、このような錯視を見ても実感できる。絵そのものではなく、《心で解釈した結果》が見えたということなのである。
また、ウサギとアヒルは同時に観察することは決してできない。トップダウン処理(その当本人の状況や、経験、知識に影響して判断されること)と、ボトムアップ処理(知識などに依拠せず対象を把握しようとすること)が相互的に作用することで、図形の反転を困難にさせる。

23、ゴムの手錯覚

非常に奇々怪々な実験によって実証されたのが、このゴムの手錯覚である。(実験の内容は調べて下さい。)
この錯覚は、多感覚統合によってなされてると言われる。多感覚統合とは、1つの知覚器官のみで受容されるのではなく、実際には様々な感覚器官を複合しながら、ある刺激について理解する、ということである。
《食べず嫌い》というのはその1つで、味が嫌いなだけではなく、見た目が無理、という場合も《嫌いな食べ物》であるため、味覚ではなく視覚によって嫌悪感を覚え、《食べず嫌い》となることは、多感覚統合のことを理解していれば、当たり前の現象だ。また、《何となく好き》というのも、その1つであろう。
要するに、自己は拡張しうるということ。このような自己拡張に関した事柄として、ARやVRが挙げられる。自己拡張の技術が発展することは、様々な問題を「自分のこと」として深く理解することに繋がる。

24、マガーク効果

音声の情報処理は聴覚だけではない(多感覚統合)。聞こえる音声と、そのほかの感覚によって受容される情報を統合して、「聞こえてきた音声」として受け取ること、これをマガーク効果という。
マスクによって口元が見えなかったり、リアルよりも情報が少ないようなWeb会議などでは、このようなマガーク効果がマイナスに働いてしまう可能性が有るため、工夫が必要である。

25、サブリミナル効果

サブリミナル効果とは、閾下単純接触効果、と言い換えることができる。
一般に理解されるサブリミナル効果というのは、《政治的な利用や購買意欲を掻き立てるための手段》であるが、本質的には異なる。1つの理由として、そのようなサブリミナルがどのように影響を与えるかという試験で、その試験デザインが脆弱なものであり疑義を呈されていたということがある。
人が知覚する日常は、非常に微小な時間が連続した世界である。日常で起こる様々な現象も1つの静止画として捉えることが出来るということであり、それは常時サブリミナルな世界に身をさらしているということと同義である。無意識的に何かを知覚する日常において、物事を判断したり最適化する現象は、《知覚的流暢性誤帰属説》と言われている。これが説明するのは、人が「好きだ」とか「良い」とか判断するのは、本来の「好き」や「良い」ではなく、その物事を目にした際のスムーズな感じを過去に無意識的に受け取った結果であり、それがさらに無意識的に物事を判断させている、ということである。

26、吊り橋効果

吊り橋という恐怖の感情によって心拍数が上がり、それを恋愛感情と勘違いしてしまうような試験がともになったのが、《吊り橋効果》だ。対照として、固定橋条件の被験者と比較したところ、有為に差があったということである。
日常で、自分の感情について自分が勘違いしてしまう、というような誤帰属が起こることがしばしばある。自分があることに関してイライラすることは、本当にその対象に対してイライラしているかななのか、と考えると、それは昨日仕事が遅く十分に眠れず朝起きるのが辛かったからかもしれない。また、逆プラシーボ効果にも《吊り橋効果》は現れる。

27、認知的不協和

もともと興味もなく面白くもない仕事に従事している人は、どのような認知で折り合いをつけて日々を過ごしているのか、詳しく考えて振り返る人はそうそういない。そこには《認知的不協和》がある。

ある仕事を行うAが、次の人であるBに仕事を受け継ぐとき、AはBに「面白い仕事だ」と伝えるとする。そのようなことを、A、B、C、…と連続して続ける。その際の報酬として、「1ドル」「20ドル」とばらばらに渡していき、被験者に最後にこう質問する。「仕事は面白かったか?」と。
そうすると、「1ドル」を支払われた人の評価は「面白い」に偏り、「20ドル」を支払われた人の評価は平均的であった。
これが言わんとすることは、実際には単調で退屈な仕事に対して自分の認知とは異なる「面白い」という評価を次の人に伝える作業のギャップ(不協和)に理由が存在する、ということだ。
「面白い」と伝えることは自分にとって不協和であり嘘であるため、その労力としての「20ドル」という報酬はそれを打ち消すが、「1ドル」では打ち消すには足りない。それにより、自分の仕事に対する評価を「面白い」とすることで、不協和状態を解消した、ということだ。

ブラック企業に従事し続けてしまう理由が、ここにある。

28、気分一致効果

人間は今の自分の気分などによって、周囲の情報を見聞きする傾向があり、これを《気分一致効果》という。自分の気分によっては、小説を読んでいる際にも、印象に残る部分というのは、まちまち異なるということだ。
《気分一致効果》は嬉しい気持ちも悲しい気持ちも助長してしまう認知行為である。その時は、《気分不一致効果》を思い出すことがいい。気分が落ち込んでいる時は、面白い動画や書物を読むことが善策だ。

29、デジャビュ

デジャビュというのは、病気や障害にかかわらず、多くの人が経験する認知である。デジャビュは神秘的な現象ではない。あくまでも、類似性認知に基づく現象に過ぎない、ということは常識として心に留めておきたい。

30、舌先現象

「もう下の先っちょまできてて、あともう少しで思い出せるはず。」これを《舌先現象》という。最初の文字、アクセント、文字数など、何故か分からないのに、その言葉の特徴を記述できる。であるのに思い出せない、という奇妙な現象である。
この現象に関した理論として、《直接アクセス説》《推論説》がある。

31、フォルス・メモリ

実際は経験したことが無い事柄をあたかも経験したことがある様に想起される認知的現象を、《フォルス・メモリ》と言われる。意味は読みの如くだ。

とある、幼少期の出来事(真実と虚偽のもの)を複数用意し、成人の被験者にそれらを掲示し、数日間かけてこの出来事たちについて思い出す作業をしてもらう。そうすると、虚偽の質問に対しても明確に「思い出した」と回答した被験者が25%にも上った。 

このように、記憶はレコーダーのように連続的で永久保存的ではなく、常に書き換えられ、更新されうるものであるということが分かる。このような理由から、記憶回復療法などのセラピーについては、フォルス・メモリの疑念を完全に打ち消すことは不可能と判断され、現在ではほとんど用いられていない。
そして、膨大な情報に晒される私たち現代人にとって、誰かの《フォルス・メモリ》と接触してしまうことで不利益を被ることも、そして自分の《フォルス・メモリ》によって不利益を与えてしまうことも、可能性として頭に入れておくべきである。

32、スリーパー効果

嘘でも、時間が経過すると、不思議と信憑性が増すという結果が得られている。これを、《スリーパー効果》という。
「信頼性の高い情報」と「信頼性の低い情報」を情報源として提示される時、人は自然と信憑性について【「信頼性の高い情報」>「信頼性の低い情報」】という構図を認知する。しかし、時間が経つにつれてその信憑性に対する評価の差は、ほぼゼロとなることが知られている。
このように、説得力のあるメッセージに続いて信憑性を下げるような情報に触れた際、一旦下がったメッセージの説得性が時間経過により増していくことがある。
それは、様々な情報源のソースを逐一モニタリングするための記憶が時間経過によって薄れていってしまうことを避けられない、ということが要因としてある。
選挙による過激な言論攻防、ポピュリストの印象的なメッセージには、《スリーパー効果》による「言ったもの勝ち」的なバイアスを期待していることを読み取ることも可能だ。

33、心的制約

「9点問題」と検索し、実際に問題を解いてみてほしい。それを容易に解ける人は、《心的制約》の緩和と、柔軟な発想の転換の持ち主であると言える。
このように、《心的制約》とは、問題などを解くうえで妨げになる無意識的な捉われ、ということができる。
ひらめきのプロセスは、【準備⇒孵化⇒啓示⇒検証】の4つのプロセスによって表すことが出来る。準備で試行錯誤し、孵化ではぼんやりと課題へ取り組み、啓示によってアハ体験を得て、検証でそのアイデアの妥当性を確かめる。すべてのプロセスは作用しあっている、大事な要素である。
特に、孵化段階の重要性は太古より言われている。これが示すことは、「作業には集中する時間とぼんやりする時間を意図的に組み込むこと」が重要であるということだ。(ぼんやり時間の有無で分けて試験デザインを組む。その際の2群間のアイデアの質や量の差も確認済み)
何かに行き詰ってしまったとき、スマホをいじったり、本を読むのではなく、全ての情報から自己を半遮断し、ちょっとぼんやりする時間を与えてやることが肝要である。

34、機能的固着

あるものの使い方について、ある特定の用途に固執してしまい、新たな使い方についての発想が阻害されてしまう認知のことである。
特に、従来の収束的思考よりも、現在では、拡散的思考が必要な場が増えてきている。その様な際には、《機能的固着》は邪魔の他でもない。
VUCA時代の「想定外」の問題解決には、創造性が必要となる。それは、AIにとっては、まだ足の踏み入れていない、まだ遠い先の未来なのである。

35、選択的注意

YouTubeで「選択的注意テスト」と調べて視聴してみると、この認知バイアスについて一定の理解が得られる。ある事象へ注意してしまうと、あたかもそこだけにスポットライトが当てられたような状況に変容し、周囲に対して盲目になってしまうことを実感できる動画である。
「ながらスマホ」の危険性には、《選択的注意》の認知行動が大いにかかわっている。

36、注意の瞬き

注意資源というのは無限ではない。例えば、スマホを気にしつつ、周囲の人に迷惑のかからぬよう歩き、音楽を聴きながら、横断歩道を渡る場面を思い出してほしい。その際に、これらへの注意力というのは、全てに100%注がれているわけではなく、100%をすべての事象に分配し、節約しながら注意資源を費やしているに過ぎない。
特に運転中になると、注意しなければいけないことは倍以上に多くなる。ある事象は連続性をもって変化し、その隣り合わせた連続するAとBという事象があったとすると、後続して発生したBという現象を知覚することはほぼ不可能という。Aが「動物が飛び出してきた」、Bが「車線に子供がいた」という出来事に置き換えれば、その恐ろしさを感じ取れるはずである。
人間の中心視野(ピントが合う範囲)は、周辺視野(ぼやける範囲)に比べると非常に狭い。注意しなければいけない現象(AやBのこと)は瞼のように《瞬く》ということを、意識しなければいけない。

37、賢馬ハンス効果

馬のハンスが飼い主の問題に明瞭に答える場面を切り取って、人や動物が検査官などの挙動より「望ましい」回答を察知して答えを導く行動のことを《賢馬ハンス効果》という。
その例として、《ピグマリオン効果》が知られる。「今後成績が伸びる生徒」として期待される生徒は、教師から無意識な助力や特別な対応を受けることになる。そして、その生徒たちは実際に成績を伸ばした。しかし、この「今後成績が伸びる生徒」は、実際には成績上位から抽出されたわけではなく、ランダムに選ばれた生徒だった。教師の思い込み行動により、結果として「成績を伸ばした」にすぎない。この実験における教師と生徒の関係性は理想的なものであるが、リアルの場ではそれが教師による思い込みや差別などにより、無碍な扱いを受けてしまう生徒も存在してしまう可能性をはらんでいることを示している。

38、確証バイアス

自分の考えや仮説が「正しいこと」を確認する前に、仮説に合致するような情報のみを集めてしまいがちである。裏を返せば、仮説に関する情報を集めようとしない、あるいは無視してしまう。このような傾向は、《確証バイアス》を呼ばれる。(「4枚カード問題」など検索して挑戦してみると良い。)

39、迷信行動

考えてしまうと少し悲しい気持ちになってしまうが、星に願おうが、願掛けしようが、手を合わせて祈ろうが、結果は変わることは無い。それは「みせかけの因果関係」によって、それらが強固な関係であるという幻想を見せられているに過ぎない。
本来すべき努力などを放棄してしまうような《迷信行動》であれば、それは望ましいものではない。その状況を打破するためにすることはただ一つ、ある因果関係を「消去」してしまうことだ。「雨が降ると、仕事のモチベーションが下がる。」と考えて行動できないのであれば、そこに本質的な因果関係は皆無であるので、勇気をもってその関係を「消去」してしまおう。「雨が降ろうが関係ないじゃないか!」と。

40、疑似相関

2つの間に直接の関係性(相関)がある様に見えてしまうことを、《疑似相関》という。たとえば、「週55時間以上残業すると、脳卒中のリスクが1.35倍になる。」というのは、巡り巡ってそうなる可能性も否定できないが、そうならない可能性も否定できない、ということは感覚的にわかる。感覚的にわかれば、その次は2つの間の関係性に潜む「潜伏変数」を推し量る作業に移ろう。では、以下の潜伏変数はなんだろうか。

「牛乳を飲むとがんになるか。牛乳をよく消費しているアメリカの諸州やスイスなどの国は、牛乳の消費量が少ない地域や国と比較して、がん患者が何倍も多い。」

この場合の潜伏変数は、「寿命の長さ」にある。アメリカやスイスの寿命は長く、がんは中年以降に多いためである。

41、単純接触効果

人やモノや音楽や芸術やデザインなど、最初は気に入らないと思ったとしても、それについて触れる回数が増えれば増えるほど、好意を持ちやすいという現象が《単純接触効果》である。
詳しく言うと、人が様々な事象を知覚する際に、今まで知らないものを吸収する必要があるため、認知的な負担が重なってしまう、ということが要因として挙げられる。
何度も接触すれば、その接触対象に対しての知覚的行動は徐々に少なくなっていく。これにより、「認知的な処理の心地よさ」が知覚的癖となり、「好意」という誤帰属を生じてしまうのである。

42、感情移入ギャップ

人はある感情を持つと、その感情を持たない様な立場から物事を考えることが困難になる。これを、《感情移入ギャップ》という。
特に注意すべき点は、数日前や遠い過去の経験(で得た感情)については、相手に共感を持つ理由にならない、ということが挙げられる。これを《感情移入ギャップ》に当てはめて考えれば、人というのは自分と違う立場の感情に共感することは認知的に困難なことである、ということが分かる。
個人的な問題に着目すれば、ダイエットの際の行動がある。お腹がすいていないときに、「今日はダイエットをする!」と意気込んで間食を我慢しようと決意しても、空腹のときにデザートが目の前にあると、どれほど魅力的に見えてしまうのかということをその時は想像することが出来ない、ということだ。
このような、別の時間軸の自分や他人に共感するということは、今後の拡張現実や仮想現実のテクノロジーの発達が、それを解決してくれるかもしれない。

43、ハロー効果

人に対して、ある「優れた点」を見出した時、その他においてもどこか「優れている」と考えがちになる様な現象のことを言う。
分からないことに直面した際、人は推測を行う。推測を行うための材料とは、「事前に得られた情報や知識」から抽出した解釈的データが必要である。感覚器から得られる事前情報は、その後の推測に影響を及ぼし、上記のような《ハロー(後光)効果》に繋がってしまう。
たとえば、友達の紹介で「当たるで有名な占い師」を訪ねることにした。その占い師について、友人に「どのくらい当たる占い師なの?」と聞くことがあるだろう。しかしながら、決して「どのくらい外れるの?」とは聞かないかもしれない。「当たる占い師」という事前情報から、「どのくらい当たるのか」という推測を行いたくなるためだ。「当たる」という証拠を探したくなるのである。確証バイアス的側面もある。

44、バーナム効果

安易な一般化などにより、誰にでも当てはまりそうな事柄を指摘され、「そうかもしれない」と思い込んでしまう現象を、《バーナム効果》という。
「バーナム」とは、誰にでも楽しんでもらうることをコンセプトとした、とあるサーカス団の主宰の名前である。これより、「誰にでも当てはまる」という意味を込めて、バーナムの名前を借りて命名している。
占いで注意すべき点は、このような効果が働いている時は、占い師の言葉に対し、後付けで理由を探していることを自覚することである。
自己の本質的な部分を突かれていると思っていても、それは自己が理由を瞬時に後付けし、納得しているに過ぎないのである。
《バーナム効果》を利用して自己肯定感をアップし、日々の活力やモチベーションに繋げられればいいが、無碍に自己を蔑むような要因にならないよう、注意が必要である。

45、ステレオタイプ

バーナム効果同様、血液型診断に多い認知バイアスである。この認知バイアスは個人的に非常に危険であると思う。人は、個別に特徴を把握するよりも、その個人が所属するコミュニティや社会的枠組みの特徴を大まかに把握して判断する傾向にある。いわずもがな、これには問題が多くはらんでいる。
血液型診断の内容は科学的に否定されているにもかかわらず、いまでもなおインスタントに活用されているのはなぜかと言えば、それが暗黙知的知識と化してしまっていることが挙げられる。1番割合の少ない「AB型」は全体の1割に存在しており、よく「変わり者」とレッテルを張られる。圧倒的少数派であるAB型の存在は、そのほかの血液型集団に比べたらマイノリティとなる。マイノリティについての存在や理解はマジョリティに比べると遅れる傾向にあるため、よくわからない存在として、とりあえず「変わり者」と全体を把握し、その把握が個人にも影響してしまっているということである。そして、その判断によって、マジョリティ(A型、B型、O型)はマイノリティを(AB型)とは「違う存在」であると線引きを行い、ステレオタイプが完成する。血液型診断には、これが脈々と受け継がれているにすぎない。
【少ないものは目立ち、目立つ者同士は関連付けられやすい】これは、理解のない差別や偏見となんら変わらない。

46、モラル信任効果

「男」という社会通念が、他よりも優位に立っていると勘違いしている「男性」は、その優位性が社会的意義のある立場であるとさらに勘違いを重ね、多少ならば非倫理的な行動をしても許されるだろうという頭の悪い免罪符を掲げることによって、「女」を思われる「女性」に対して、差別や暴力をふるうことがある。このような、「まやかしの善行によって、悪行を正当化する行為」のことを、《モラル信任効果》という。
このバイアスは、【自分の中にある優越感や優位性が生む歪み】である。

47、基本的な帰属の誤り

他社の行動の原因について説明する時に、その人の能力や性格などを重視しすぎて、状況や環境などの要因を軽視する傾向のことを、《基本的な帰属の誤り》という。
悪人の配役を任された俳優について考えると、その出演してる作品が大ヒットし、名前が売れたとしよう。そうすると、その俳優には外的要因である《悪人の配役としての像》が視聴者に大きく影響し、あたかも作品世界での行動や性格がその人の本質である、と勘違いしてしまう現象も《誤帰属》である。
しかも、これの厄介なところは、他人ごとになると「内的要因」に帰属されやすく、自分の行為となると「外的要因」に帰属しやすい性質にある。
要するに、自分には甘く、他人には厳しいという《誤帰属》が生じるということだ。これについて完全に脱することは複数の認知的バイアスが働いていることも考慮すると非常に難しい。

48、内集団バイアス

「うちの子(ペットなど)が一番かわいい!」と豪語する裏にも、認知バイアスが働いている可能性が有る。その場合は、《内集団バイアス》というものが考えられる。
自分が所属している集団(内集団)やその集団のメンバーのことを、そうでない集団(外集団)やそのメンバーよりも好意的に評価し、ひいきする傾向がある、ということだ。
このバイアスは、その内集団に利害関係がなかったとしても働くということが、実験にて検証されている。
オリンピックなどで自国の選手を応援することは全くもって構わない行為だが、他国の選手を差別したり蔑視するような態度は、集団間差別を助長する原因となるので注意が必要。
また、そういった集団間差別などに対処する方法とは、「対立している集団同士が協力しないと解決しない課題を与える」ことである。想像すれば、なんとなくわかることである。ポケモンの主人公らとロケット団が急に協力関係になる構図が、まさにそれである。

49、究極的な帰属の誤り

これは、自分が所属している内集団のメンバーに対して、成功は努力などとして評価し、失敗は運が悪かったなどと評価することに繋がるバイアスである。また、外集団に関しては全く真逆の態度となる。
自己が存在する集団によってアイデンティティが形成されるという、アイデンティティ理論をもとに考えれば、個人間での比較によって自尊心が高まり、また集団間の比較でも自尊心を高めうる、ということである。内集団では、集団内の人間同士は運命共同体としてみなすことが出来るため、「他の人の幸福は自分自身の幸福である」と帰属していく。
これが常習化すれば、個人間や集団間での正当な評価などは不明瞭になってしまう。差別や偏見なども助長するかもしれない。これは、理不尽な思考に対する反省や、いい結果を出した相手に追い付くための努力する機会を失うことに繋がる。

50、防衛的帰属仮説

私たちは、自分と似た部分のある者に自らを重ね、そうでない者の責任を過大に評価する傾向があり、これを《防衛的帰属仮説》という。
交通事故などの、加害者/被害者の責任などをどのように判断するかについては、「加害者の刑が軽すぎる」「被害者にも過失があったのではないか」と評価する人の心には、強力な自己への責任の逃避する心理的バイアスが見え隠れしている、ということを押さえておきたい。
また、このバイアスに関しては、とある集団を牛耳っている人間の性質によって、無意識的な選別も行われているかもしれない、ということは理解しておくべきである。「男社会」であれば、上司である男が部下の男にこのバイアスを適応し、不適切な評価をするかもしれない。また、「セクシュアルマイノリティ」であれば、少数派であるLGBTはマジョリティの防衛的帰属によって、不当な判断や差別を被るかもしれない、ということだ。

51、心理的リアクタンス

「ぜったいにやってはいけないよ」と言われれば、やりたくなってしまう心の葛藤を《心理的リアクタンス》という。鶴の恩返しや浦島太郎などでも、同様な描写があったと思う。
本来持っている欲求や選択などが、他者によって脅かされたときに、当本人は「自由」をはく奪されたと感じ、その「自由」を取り戻したい、という心的変化から来ている。
また、手に入りにくいもの(希少性が高いもの)も、心理的リアクタンスを引き起こす原因の1つである。「限定品」という文言を見て、今手に入れる自由はあるが、今手に入れないとその自由はもう一生来ないかもしれないという葛藤になり、その自由を手に入れるために購入してしまう、などである。
また、障害が恋を燃え上がらせるのも、障害によるその恋の「希少性」が高まり、心理的リアクタンスが働くということである。
今独身で、「付き合う人が欲しい」と考えている人は、独身という障害によって、「付き合う」という行為の希少性が高まっているため、「いろんな人が魅力的に見える」というようなバイアスが働いてしまうかもしれない、と考えられる。冷静に立ち返り、今自分が何をすべきかを見つめる必要がある。

52、現状維持バイアス

「チャレンジして失敗するよりも、現状維持を優先する」という心の働きのことを、《現状維持バイアス》という。それは、自分が今からする行動に関して、利益と損失が釣り合わないと感じることが原因としてある。検証をもとにした事実から言えば、利益が損失よりも1.5倍~2.5倍の大きさになった時、行動を起こすメリットがあるのでは、と人は思うようだ。
このバイアスは、《保有効果》が生じる際に顕著に発生する。保有効果とは、「一度外部から手に入れた《自分のもの》は、手元に無かった時よりも価値があると感じてしまう現象のこと」である。
組織の改革が遅れてしまう原因も、このバイアスにある。改革しようと行動したときこそ、ゼロベースで思考する必要がある。そして、この変化点でまさにはんかしてしまうことこそが、唯一の解決策である可能性が高い。

53、公正世界仮説

良い行いには良いことが、悪い行いには悪いことが返ってくるという認知的な偏りのことを《公正世界仮説》という。
たとえば、「感染症に罹患するのは自己責任」であるという発言について考えてみる。それについては、感染者を糾弾してしまう原因はいろいろと考えられるかもしれないが、その根底には「どうしようもない問題なのだから、これは他人事ではなく自分にも降りかかるかもしれない問題だ」と思う心が存在しているのである。要するに、そんな《理不尽な》問題に対して、少しでも不安から逃れたいがために、実際に感染した人を正当な目で見れなくなるのである。(たとえば、出歩いて飲食していたせいだ!とか、外出していたせいだ!とか)
なので、「良いことをしたら良いことが返ってくる」と信じ、自分の不安を少しでも解消するために、責めるべき因果関係がないにも関わらず、都合の良い《外的要因》を引き合いに出すのである。

54、システム正当化バイアス

非合理的な慣習や理不尽なシステムが、いつまでも改善されないのはなぜか?それは、当本人が今までの集団で受けてきた恩恵や利益、または不利益などを、自分の今置かれている現状と照らしあわせて考えたときに、それはまさにその通りだと思う心に原因がある。優越感や劣等感を抱く過程に、こういったものがあり、今の現状に折り合いをつけたくなるのである。
このような社会的システムなどは、「不確実なもの」として認識することで、自己の感情に説明をつける。「特定の社会システムが存在していること」自体に価値を見出し、そのシステムを正当化することを、《システム正当化バイアス》という。「わからない」ということがいかに人にとって脅威かが分かる。

55、チアリーダー効果

集団に居る時のほうが、個人より魅力的に見える効果のことを《チアリーダー効果》という。複数の顔が映る動画や静止画では、その顔が平均化され、その平均化された顔に対して、注目している顔が引き寄せられることにより、より魅力的に見えるようなバイアスのことである。

56、身元が分かる犠牲者効果

寄付を募る際に、「難病にかかった〇〇さんへの寄付」と銘打たれると、数字などで提示されるよりも寄付する確率が上がる。これを、《身元が分かる犠牲者効果》という。ここでのポイントは、「自分1人の些細な行動でなにか影響を与えられるかもしれない」という心的描写に起因することだ。
少子高齢化に伴い、「未来に生きる子供たちに責任を持とう」と行動を促すような再生産的未来主義が求められる社会に偏りつつあるが、冷静に考えてみれば、まだ子を産んでない夫婦や未成年、未婚の人にとって未来の子供とは「赤の他人」に過ぎないのである。自分の周囲を構成している人間とは、ほとんどが会話のしたことのない赤の他人であり、この世に生まれてもいない子供に責任を持とうと求めることは、他人への無限責任に繋がる。
このような思想にメスを入れることができるのは、この《身元が分かる犠牲者効果》というバイアスを知っていることと、それを意識することができるからである。

57、同調バイアス

最初に説明した通りである。このバイアスで気を付けなければならない点は、災害時にある。「出口へ逃げろ!」という周囲の行動を規範として認知してしまうと、出口がふさがってしまい、そのせいで怪我をしてしまう人が多発するような2次災害が起こってしまう可能性が有るからだ。

58、バンドワゴン効果

選択肢が複数ある問題の場合、多くの人がこのような選択肢を選んだ、という事実があったとする。それを観測する他の人は、そのような多くの人が支持している選択肢を選び、さらにその選択肢を指示する人が増える現象のことである。
劣勢であるものたちが劣勢であると自覚することで沈黙し、優勢であるものたちの声が大きくなると、それによってますます劣勢の者たちの声が小さくなってしまう、ということである。これは、《沈黙の螺旋理論》という。

59、ダニング=クルーガー効果

簡単に言えば、井の中の蛙が自分の能力を過大評価してしまうバイアスのことを言う。一方、知識が豊富な人ほど、周囲も同じような知識を持ち合わせているだろうと考えて、自分を過小評価してしまうバイアスのこともいう。
これは、「メタ認知」が出来ていないことが要因だ。自分自身を客観的に捉えられていない、ということである。
簡単なテストに対して、点数が悪かった人は「点を高く錯覚」しているし、点数が高かった人は「正確に評価」ができる。また、難しいテストに対しては、点数が悪かった人は「正確に評価」し、点数が高かった人は「点を低く錯覚」する、ということである。
まさに、「成功する人は自分がいかに成功に近づいてるか気付かない」という言葉の裏には、このバイアスがある。気付くには、正確な技能や知識を身につけていくことで「メタ認知」を養うことが必要だ。

60、知識の呪縛

非特定の分野において、知識を持つ人は、知識を持ち合わせない人の立場から何かを考えることが出来ない、もしくは難しいと思う現象のことを言う。
自分の知っていることは、他人も知っているだろうという思い込みのことである。
相手の無知識を非難するのではなく、相手の状況や環境を俯瞰して観察し、理解することで、このような呪縛から逃れることが出来る。自分が今「知識」があることで生じるバイアスがあることを知り、適切に対処をすればよい。

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