見出し画像

宇宙に行くことは、地球を知ること、そして自分を知ること

野口聡一さん×矢野顕子さんの対談本、「宇宙に行くことは、地球を知ること。『宇宙新時代』を生きる」には、理論や知識、法則の枠にとらわれない宇宙観がありありと書かれています。

遠い宇宙は近くなる

誰もが思っていることとして、私自身が考えたのは「宇宙とは遠い存在である」ということ。あなたが思いを寄せている人がいるとしよう。その人は私にとっては高根の花の存在であるし、片思いのまま終わってしまうのだろう、なんて遠い存在なんだろうか、とその人との心の距離に戸惑い、自分の感情をあきらめてしまうかもしれない。そんな心の距離を対比として用いていいかわからないが、「宇宙までの距離」というのは、そんなはかない心の距離感よりも、想像をはるかに超える「近さ」であると私は思った。(心の距離ほど遠くて儚いものはないと思う、という私の考えから。)
宇宙というものは、実はめちゃくちゃ近いのである。地球の大気圏を過ぎて、その後に地球周回軌道まで到達する。その距離は地上約400キロメートル。地上から400キロメートル上空には国際宇宙ステーション(ISS)もぷかぷか浮いているし(実際は地球を90分で1周する速さで移動しているが)、宇宙ゴミ(デブリ)もふわふわ浮いているし、そんなものがめっちゃ遠いというわけでもないところに存在していることと、普段メディアやネットなどを通じて見している宇宙の景色がそこに広がっているという認識のずれは、宇宙への旅行も人生の中で夢じゃないことかもと、期待を持たせてくれる。実際には、今年11月に人類初の民間宇宙船「クルードラゴン」が野口聡一さんとその他の優秀なアメリカ人宇宙飛行士を乗せて4人で宇宙を目指し、無事ISSにドッキングし、成功を収めたばかりだ。民間の宇宙船が成功した事実は、これからの宇宙旅行実現への速度を速めてくれるに違いない。

宇宙で何かを感じること

宇宙で感じ取れることは、私たちには想像のできない範疇だ。重力のないせかいで、上も下も右も左もない中、どのように生きていけばいいかなんて、誰も分からないし、不可能なことだ。宇宙に行ってそれを感じてみたいとは思うけど、酸素もない真空の空間だし、音も通さないような無音がただそのに広がっているだけだし、地球は明るいかもしれないけど一度地球外を見てみると真っ暗闇で何もない空虚で恐怖な世界だし、やっぱ怖いから地球で暮らしたい!私はそう思う、しかしそう思いながらやっぱり宇宙にはあこがれを抱いてしまうものである。

『 そして、一切の命を拒絶する、絶対的な闇。 』 

空間が空虚で過酷なだけではない。まるで一切の命が存在していないような、気配を微塵も感じ取れないような、光のない絶対的な闇が宇宙には存在している。船外活動する際に野口さんは「死の世界に包まれていることを直感的に感じとる」のだという。それは宇宙服というミニ地球に包まれている自分がいま宇宙でなぜ生きていられるのかを感じ取るからだ。宇宙服の外はすぐに「死の世界」である、と。通信機からの音声は聞き取れるものの、その通信機が故障すれば、音を通す大気がない真空空間に生きる私は、「絶対的な孤独」に襲われる。宇宙には常に、大気に包まれた私たちからは想像のできない、「死の世界」が指先から感じ取れてしまう。それが宇宙体験なのである。

『 満天の星を漆黒の闇に変えてしまうほど
地球は神々しく光り輝いている。 』

しかし、その「絶対的な闇」を生んでいたのは、物凄い光量で光を放っている地球がいるからなのだという。星空がきれいな夜、近くに街頭があると、星を確認することが難しくなる。その現象と同じで、周囲の銀河系などの光を打ち消してしまうほど、地球は光り輝いており、それによって周りの光を確認することが出来ず、「絶対的な闇」が出来上がるのだ。そんな地球に目を向けると、すべての命の営みを、その神々しい光に、直感的に感じ取ることが出来るのだという。

「絶対的な孤独」「絶対的な闇」が存在しているのは、神々しく光っている「地球」がいるからであり、そんな地球に住み、宇宙を漂っているのが「人間」やその他の生き物たちなのであると、実際に俯瞰することが出来るのだそうだ。それは想像よりももっと、多くの知覚や経験を得るきっかけになるモノなのだとしみじみと思った。地球には重力が存在し、宇宙とは別の空間に居ると普段は考えているけれども、地球という大きいくくりで考えてみたら、私たちはもはや宇宙に存在しているのだと、理解することが出来るのではないか。また、宇宙とは遠い存在ではないのだ、と。人類が宇宙に進出していって、火星に住むことになったら。またその先の惑星への移住や移動が可能になったら、はたまた他の銀河系への旅行も実現することが出来たら、住所には「宇宙の場所」「銀河系の名前」「惑星の名前」が必要になる。地球も、地球に存在している生き物も、地球に存在はしているけども、地球は宇宙に存在している限り、私たちは常に宇宙に存在している。宇宙は遠い存在ではなく、私たちの生活なのだ。

宇宙が与えるもの

民間の宇宙船が無事ISSに到着し、今はまさに「宇宙開発の歴史的転換点」なのだという。民間企業が宇宙への可能性を実際に示したのである。あまたの宇宙産業へのビジネスを画策する企業は今後活性化し、我々市民にも「宇宙」を身近に感じ取る機会が多くなることは確実である。宇宙はだれのものでもないけれども、宇宙にビジネスチャンスがあり、事業参入する企業が多くなれば、宇宙を日常体験として存在する未来が、すぐそこまで迫るのは紛れもない事実である。宇宙を肌で感じ取れる世界に生き、自分の「生」と「死」について触れること。そして、周囲に何もない宇宙という場所、自分しかいない漆黒の世界で、何を感じ取れるのか。そして、感じ取ったことを大切に心にしまって、地球に戻ること。そのあと、自分が見る世界に何が変化として訪れるのか、早く確認してみたいと思う。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?