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任天堂の岩田元社長の「嫌われる勇気」の実践

最近、この2冊の本を読みました。

「嫌われる勇気」 と 「岩田さん-岩田聡はこんなことを話していた-」

嫌われる勇気

「嫌われる勇気」という題目を見れば、「人から嫌われてもいいから自分の好きなことをして、人生を生きろ」という文脈を思い浮かべがちですが、実際にはもっと穏やかな意味合いであることが、読んでみるとはっきり分かることになろうかと思います。

「自分の課題と他者の話題を分けて考える。」
「幸せになる勇気は嫌われる勇気である。」
「自己の執着を他者の関心へと切り替えていく。」
「世界の中心は自分自身ではない、共同体感覚を身につける。」
「人は自分に価値があると思えた時に、勇気が持てる。」
「全てにおいて始めるのは自分自身。」
「あなたに足りないのは能力ではない、ただ勇気が足りないだけだ。」

本著にはさまざまな「インスピレーションを掻き立てるような言葉」が散りばめられています。日々の生活の中で、不安や悲しみや辛さを感じる根源は、元をたどれば「対人関係」が関与していませんでしょうか。そう思う感情は、どういう対人関係が関与していると、冷静に判断できるでしょうか。SNSが蔓延るこの時代、人間関係とは相互に認知できない部分まで及んでいると思われます。小さなコミュニティで顔を見合わせて交流していた時代とは違い、意図せず(インターネット上で)素性の知らない人と、対人関係を築いていると思います。すなわち、「ストレス社会」とはこのような無数の人との繋がりからもたらされる多様な感情に心身が追い付けず、訳が分からなくなっている状況、と考えられるのではないでしょうか。

上記の言葉からもわかるように、「訳の分からない状況」をまず是正し、社会の最小単位である「あなたとわたし」にスリム化し、あなたに不利益を被る感情をすべて捨て去るという勇気を教えてくれるのが、「嫌われる勇気」だと私自身は解釈しています。

哲学は、理解さえすれば、自身の降りかかるすべての問題が解決できる代物ではありません。「あなたはあなた」「わたしはわたし」、この原理を意識することは、「わたしがすることについて、あなたはどうと思わないことを、わたしは知っている。」反対に「あながたすることも、わたしにとってはどうと思わないよう努める。」ということとなります。であるから結局は、勇気を持つための行動は「自分自身から始めなければならない」ということになります。

幸せへの糸口を提示してくれる「嫌われる勇気」ですが、「岩田さん-岩田聡はこんなことを話していた-」をそのあと読み進めるうちに、この2冊の共通点、ようするに岩田元社長の「嫌われる勇気」の潜在的実践が数多く散見されることに気が付きました。

岩田社長とは

高校時代と大学時代に、プログラミングに明け暮れ、偶然の出会いからHAL研究所に入社し、その後「星のカービィ」等を契機に任天堂と関係を持つようになり、任天堂の山内元社長から直々に社長に任命され、若くして任天堂代表取締役社長となった人物です。ネットで見る姿からもわかるように、まじめで、献身的で、朗らかで、柔和な見た目で、指揮者でいえば「サイモンラトル」まさにそのもの、ではないでしょうか。

岩田元社長の「嫌われる勇気」の実践

「もし逃げたら自分は一生後悔する。」

東京工業大学を卒業したバリバリ理系脳人間の岩田元社長。左脳タイプの人間だった、と自負していたようです。HAL研究所が15億円の負債で窮地に立たされていた時、HAL研究所の社長を任されている立場であったので、あれやこれや試行錯誤を繰り返し、その時にふっと沸いた解決策について、メリットやデメリットを無意識に左脳的に処理していたのではないでしょうか。しかしながら、その反面、岩田元社長はこのような状況の時、上記の引用文のように、自身の心の中で唱え、奮起していました。それはなぜなのでしょう。この理由がとても大切です。

一番に優先して考えていたことは「今まで一緒に汗をかいてきた仲間がいるのに、どうしてにげることができるのか。」この一点だったそうです。仲間を、会社全体を意識するということ、それは「嫌われる勇気」の共同体感覚、そのものです。左脳的に、頭で処理できても、会社や社員のことは裏切れないと感じでいたのでしょう、しかも個々人レベルで、顔を思い浮かべながら。のちに語る個人面談もそうですが、「人の嬉しい顔を見たい」という価値体系を踏みにじってもなお、その先にいる自分は、自身で認めることのできる人生になるだろうか、このように思案していたのではないでしょうか。意識的かどうかに関わらず、岩田元社長の最大の強みであり魅力であると、私は思います。

「わたしは、ただしいことよりも、人がよろんでくれることが好きです。」

岩田元社長の価値体系の根本には、「人に喜んでもらいたい」「人がうれしそうに笑う姿を見たい」そういった気持ちが純粋に存在していたようです。そのためなら「なんだってする!」そんな気概もあったようです。

一方、ただしいことが、自分の価値体系から判断したとき、それが「悪」と判断されてしまうことも有るでしょう。岩田元社長もそこは理解していたようで、やはりコミュニケーションのどこかには妥協が存在するものである、と。けれども、会社の本質としては「1人で出来ないことをたくさんの仲間とともにやり遂げる。」、これこそが会社の魅力であるともわかっていました。だからこそ、社長と社員の「個人面談」を毎年欠かさなかったそうです。どんなに時間がかかっても、社員の考えていること、思っていることをただ傾聴し、ときにアドバイス的に反応する。合理性を重んじていた岩田元社長でしたので、その個人面談の中では「どういう理由で今会社が何をしているか。」ということについて丁寧に説明するようです。社員の価値体系と自身の価値体系が違うとわかっているからこそ、両者にどう合理性を見出すことができるか、とことん話を聞くようです。1人じゃできないことを多様に富んだ社員を分かち合うのだから、丁寧に社員の価値体系を重んじたわけです。これは社員の、「任天堂という会社に所属することへの自分の価値」を見出す作業ですよね。ここにも「嫌われる勇気」(の応用)的な要素が見て取れると思います。

「従来の延長上こそが、恐怖だと思った。」

岩田元社長が任期中に主に携わったハードは「ニンテンドーDS」「Wii」の2つです。2つのハードの形態を思い出してもらえれば分かるように、「ニンテンドーDS」は「2画面」で「下画面がタッチパネル式」という、従来のハードの延長線上にはない全く新しいゲーム機でした。据え置きの「Wii」は、コントローラーがまるでリモコンのような形状をしており、実際に名称も「Wiiリモコン」でした。2つとも、最初見た時の新規性やら、驚きやら、戸惑いやら、本当に凄かったですよね。

岩田元社長が目指していたことの1つに、「ゲーム人口の拡大」がありました。ゲーム人口を拡大させて、自分たちのゲームでたくさんの人を笑顔にしよう、そういう気持であったのではないかと思います。1口にゲーム人口の拡大と言っても、会社としてそれを成し遂げることは一筋縄にはいきません。それを成し遂げた後に見る光景は決して1直線状ではない、ということは上記の言葉をもって、岩田元社長は確信していたのだと思います。

その策として、この2つのハードが考えられたのではないでしょうか。またその「ゲーム人口の拡大」を進めていきたいという意欲とともに生まれたのが、「コアユーザーとライトユーザーの隔たりをなくしたい」という気持ちだそうです。ニンテンドーDSでは「そんなものまでゲームにするの?」といった従来の延長線上にはないゲーム(大人の脳トレなど)を開発したり、一方プログラマーの魂が込められた「ゼルダシリーズ」をWiiで開発したりなど、多くの層をゲームに巻き込んでいき、コアでもライトどちらのユーザーでも、笑顔で楽しんでもらえる、そんなゲーム作りを心掛けていたようです。

「すごくゲームが好きで、ものすごくゲームが上手な人も、むかしはライトユーザーだったはずなんです。」、多くの新規ライトユーザーを巻き込む、これはすべて自分の価値体系から落とし込まれた、自分本位の行動であるともいえます

社員1人1人との個人面談を通して、自分の価値体系を社員のものと合理性を持たせること。たった社員1人であっても、納得がいくまで、何時間でも費やすということ。そして、自分の成し遂げたい価値体系、それは、その世界にゲームがただ当たり前に存在している、人とゲームに境目がないということでありました。ゲームをしない人にも、ゲームをしている人を理解してもらえる世界となることを望み、達成を強く信じていました。それを強く信じて、自分の勇気1つを携えて、会社、社員に向き合ったのでしょう。それは「嫌われる勇気」でも語られる、1つの事項です。

なぜ岩田元社長は愛される存在なのか

それは、これらの文章に要約されていると、私は思います。

糸井さん『岩田さんはみんなの笑顔が好きでしたよね。それは、任天堂の経営理念としても言ってましたけど、やっぱり「ハッピー」を増やそうとしていた人なんだと思います。そのために、ほんとうに骨身を惜しまない人でした。
岩田社長「名刺の上では、私は社長です。頭の中では、私はゲーム開発者。しかし、こころのなかでは、ゲーマーです。

会議中、岩田元社長は「カービィ」と呼ばれていたようで、お茶菓子をパクパク食べる様子が、まるでカービィの吸い込みのよう、なのだそうです。こういうエピソードからも分かる通り、社員に信頼されている証拠ですよね。

岩田元社長は、誰よりも、自分の価値体系を、周囲にいる仲間を、大切に思っていた人物であると思います。それは様々な行動に表れていますが、最初は条件付きの「信用」を獲得しようと、動いていたのだと思います。「信用」を獲得することは、簡単なことではありません。しかし、岩田元社長はそれ以上に獲得することが難しい、無条件の「信頼」を全社員から獲得することになったのではないでしょうか。それは偏に、岩田さんという人柄そのものが要因であるのではないかと、私は思います。

社長はもう存在していなくても、社員一人ひとりの心には確かに、存在していることでしょう。 「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」を開発していたころ、宮本氏は「上から岩田さんが見ている気がする。手が抜けない。」と考えながら発売まで突き進んでいった、その話からも分かるように。


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