記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

何かを産み落とすということ 『殺人出産』/村田沙耶香

殺人/出産、という相対する(ようにみえる)題目に惹かれて、数か月前に買った本。(ようやっと読めた。)

概要:今から百年前、殺人は悪だった。10人産んだら、1人殺せる。命を奪うものが保つ日本。会社員の育子(主人公)には十代で「産み人」となった姉がいた。蝉の声が響く夏、姉の10人目の出産が迫る。未来に命を繋ぐのは、彼女の殺意。昨日の常識は、ある日、突然変異する。


まず、「殺人」「出産」、生を消去すること/書き足すこと、相対する言葉を組み合わせた、「殺人出産」というワードに惹かれた。

設定として、100年後の未来には「10人産めば1人殺せる」という、無理難題さと無慈悲が否応もなくあわさった法整備を迫られるような、人資源に枯渇した日本が背景にある。

この事実は、私たちの遠くもない未来、を想像させる。


誰かに対する、明確な「殺意」を、出産によって叶えることが出来る。この「出産」は、セックスを介さない、人工授精が基本となる。

また、女性だけでなく、人工子宮を埋め込んだ男性にまで、対象が拡張される。人工的オメガバースも考慮される。

言い換えれば、「殺意」が目的/原動力となり、「出産」を副次的に促すシステムだ。(にしても10人はきついため、途中で死亡することもあるという。)

また、著作の中には、「殺意はだれでも抱きうる、普遍的な意欲である。」と読み取れる場面がたくさんある。

正直、無意識下に抑圧した自分の感情が見透かされたようで、読んでいてゾクゾクします。


***


主人公・主人公の姉・センターっ子のミサキ・早紀子、の4者をめぐり、物語は進んでいく。(センターっ子とは、人工授精で産み落とされた子はセンターで管理され、引受先が見つかるまで待機し、里親に受け取られたのちに、その子はセンター子と呼ばれるようになる。現在のペットショップ的発想と同じ。)

この4者の、明確な立場の違い、が魅力的に、醜悪的に映る。

主人公・主人公の姉をめぐる、「殺意」を軸とした幼少期。その後、姉は「産み人」になることを(自然の流れで)決意する。その決意は、無差別的殺意が基盤となっている。

そんな姉をみて、「殺人出産」以前と以後の、周囲の環境や雰囲気に対し、「何となく疑義を感じている」のが主人公。

夏休みの期間、主人公の家に遊びに来ているミサキは、小学生であり、「殺人出産」制度が、当たり前の事実として知識に埋め込まれているため、私から見ると、一番残酷な存在に映った。

また、早紀子は、「殺人出産」に反対する、私たち読者の投影のような存在だ。


***


印象に残った部分を少し抜き出してみる。

殺したいなぁ、とぼんやり思う。

怒鳴りちらかす上司に、主人公がこのように心の中で呟く。頭の中で、この上司のことを撲殺していると、気持ちが晴れる、ということ。

まず、非常に残酷に見えるようで、普遍的な場面でもある。

また、「殺意」によって、実際の「殺意」行為を抑圧する傾向が主人公にはみられる。これは、「殺人出産」が普遍的事実となった現実への、小さい抵抗とも見ることが出来る。

姉のように、歪んだ描像を描くこともなく、心の中で、孤独に、抑圧できている、という点が異なる。


胎児を静かに壊していく。

主人公の姉は、早紀子を殺すことに決めた。のちに、早紀子を、主人公と主人公の姉2人で殺害する場面が生々しく描かれているが、その最中、早紀子の腹の中に小さな胎児がいた、という場面である。

早紀子の身体から噴き出す血を見た主人公は、その血が「まるで私が産道を逆流しているかのよう」と表現していた。

早紀子を殺すことで、子宮への逆流を想像し、命に対する慈悲がわいてきた。そのような、早紀子の血の海の中に、小さな胎児がいたのである。

何を表しているか考えたとき、それは、《殺すことと生かすことは実質的には同じ》という、生き物を殺すことへの解釈の逆転現象である。

逆転現象を裏付けるのは、主人公によって終盤に語られる、《胎児を静かに壊すことを条件に、「産み人」になる、という決意と欲求》という意思表明にある。

まだ、誰にも認知されていない、何物でもない「胎児」を壊したことは、何らこの世界に衝撃をもたらさない。(悲しいことながら、何十年生きた人間もほぼそのような感じであるが。)

代替可能である「胎児」。そんな「胎児」は、この人類の歴史の中に漂う、「生と死の区別不可能な潮流」にさらわれて、生きているかも、死んでいるかも分からない、ただの存在である。

このような、誰にも変えることのできない「胎児」の見え方と、現在の「殺人出産」を肯定するような変え難い風景があるなら、その大きな流れの中で「現在の正しいこと(産み人)」をやろう、という、決意/諦めのどちらとも取れる意思を持ったのである。

そして、何物でもない胎児を《1人の人間》として「正しく」壊すことで、その胎児を《固有の胎児》に変容させる。

胎児が壊れることで、初めて胎児となる。

自分の殺意を正しく使うことで、その対価として10人産もう、と決意に至るのである。


この場面に、とんでもない慈悲と残酷さを読み取ることができて、2つの意味でゾクッとしました。


***


本著には、「殺人出産」以外に

ポリアモリーを扱った「トリプル」
性別にドライな夫婦の授精観を描いた「清潔な結婚」
不死が叶った世界での死を描く「余命」

の3部作になっています。

他の、村田さんの作品も読んでいこうと思います!



この記事が参加している募集

#読書感想文

188,210件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?