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真のプリミティブアート

弥生土器の機能美があるが、縄文時代の火焔型土器の方がデザインの多様性があった。
実用性や機能性を求めたデザインは、家畜化され均一化していく。

縄文土器
弥生土器


プリミティブには、原始的、野生的という意味の他に、素朴さという意味もある。
普通に考えると、より素朴な印象を与えるデザインは、弥生土器の方なのかもしれない。
弥生土器は縄文土器より、相対的に進んだ文明から生まれたものであるのだから、反野生的感性によってリデザインされたものである。

素朴なデザインという言葉から、大人しい去勢された印象を感じるのは、ただ原始的な素材には、原色の様な彩度の高い色が少ない事や、加工技術が少ない為に、素材を活かしたデザインにならざるを得ないので、そういう印象があるだけで、内実としての精神性は新奇性を求めるものなのだ。つまり、アバンギャルドこそが、プリミティブな感性で創られたものなのでえる。芸術における原始的な感性とは、ダイナミックで、社会から去勢を受けていない、自由なものという意味なのだ。

下ネタは好きだが、NTRは好きでない、自称サディストの友人がいる。進化心理学的観点からは、程度の差こそあれど人間には、サディスティックな一面が本能的に備わっていて当然である。マゾヒストとは破滅主義者なので原理的に、淘汰されていく遺伝的特性だからだ。


サディストという性質の方が原理的に本能に近いので、プリミティブなものなのは間違いない。しかし、よりプリミティブな感性が高いのは明らかにマゾヒストの方である。


性欲の強さとは、下ネタを好む性質なのか、性処理を行う頻度なのか、それとも量的差異によって、測定可能なものなのだろうか。まぁ、性欲とはプリミティブなのものであって、プリミティブな感性ではない。

個人レベルの差異における原始的な感性とは、
新奇性を求める革新的なものであり、反原始的な感性とは、家畜の様に安定や現状維持を求める、自己保存の欲求が高い性質なのだ。

ロックは、起源を辿ると原始的なアフリカの黒人霊歌から派生したもので、先進国の白人によって発展を遂げたスタイルである。ロックをはじめた黒人には、プリミティブ性があるが、それを慣習によって模倣している人間にプリミティブ性はない。むしろ、それを発展させて色々なロックを発展させた少数の白人にプリミティブ性がある。

ヒップホップには、スタイルによって、ヒップホップかそうで無いかという論争が起こる。
ヒップホップ黎明期は、サンプリングという革新的なスタイルを持ったジャンルとして、プリミティブ性があるものだった。

これを考慮すれば、伝統的なヒップホップのスタイルを受け継いでいるものは、ヒップホップのスタイルを継承するものと言えるし、ヒップホップに革新的なスタイルを取り入れるものは、ヒップホップの精神性を取り入れているものだとも言える。

であるなら、より伝統的な精神性を受け継ぎ、プリミティブ性を発揮しているのは、ヒップホップに革新的なスタイルを取り入れようとする者達であるともいえるのだ。

しかし、技術も発想も飽和しきった世代から、革新的なスタイルと銘打たれたものも、他のスタイルとミックスさせたものに、過ぎない。
それは、全ての音楽がジャンルレスになっていくという一定の流れに乗っているだけとも捉えることができる。

そして、ジャンルレスのトレンドに逆らっている者についても、ヒップホップに元々存在する保守的な伝統に従っているだけとも言える為に、両方が両方ともに、プリミティブ性が無いとも言えるし、あるとも言えるのだ。

ヒップホップかヒップホップでないか論争は、俯瞰してみると、とにかく下らない。自身をヒップホップだと言いたがる人間も、ヒップホップじゃ無いと言われて激しく反発する人間も、自分達は、優れた形式を選択したグループだから優遇して欲しいと、自己陶酔しながら、ポジショントークで駄々をこねているだけだからだ。

まぁ殆どの文学理論の対立などの遊戯的議題は、そういう政治的なポジショントークの水掛け論でしかない。あるのは結果だけだ、そう思うと虚しくなる。

現在出ている結果から、リバースエンジニアリングしたスタイルこそが、時代が要請するものだ。
豆腐で無いものをこれは豆腐だと偽り、豆腐の市場を支配したら、それは正しい事になる。
本物の豆腐を食いたいというのは、少数派のイデオロギー(ロマンチシズム)でしかない。隅っこで慎ましく、勝手にやっておけ。

勝った方が正義だ!その勝ちに対してケチをつけるのは、全て負け犬の嫉妬でしかないと、聞く耳さえ持たれないだろう。

結局のところ明示されたルールで禁止されていない範囲は自由なのだ。倫理とは、個人の感想でしかない。

ラーメンに法律で規制されていない依存性のある薬物を入れて、市場原理で勝利すればいい。
料理の技術なんて二の次だ、旨みなんて関係ない、ただ合法のドラックを安く仕入れる交渉力やコネがあるのが、勝者であり、正義なのだ。

全てがドラックという、快原理の頂点である物質に支配されたり、権力による評価の強制で、駆動する世界になればいい。それを望んでいるのだから、加速度的に規範意識がどんどん破壊されていけば良い。さっさと、人類でユニバース25が正しい事を証明してくれ。

私は、絶対に反逆してやる。生成し続けるのだ、既存の価値観を転倒させ、蝕む毒物を。

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