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これ以上毎日に疲弊したくないから、「無関心」という手段を選ぶ

最近のニュースで「若者は映画を早送りで楽しみ、論評やスポーツには興味を示さず、テレビドラマは苦手」という内容のものがあった。
賛否はさておき、そのニュースに対するコメントで興味深いものがあった。

やりたくもない仕事で疲弊した後に、何かを考えさせられるようなコンテンツに触れたいと思わないし、負けることで余計なストレスを溜めるスポーツは癒しにならない

正確ではないが、このような内容だったと思う。

このコメントに大いに同意した自分がいる。
仕事や育児など、日々いろいろなことに追われ、それ以外の時間もスマホで常に情報が入ってくる今の生活において、
さらに時間と労力を割いて、余計に疲れそうなものに対峙するするほど、現代人はドMばかりではない。
はっきりいって、関心を持つほどもうエネルギーは残っていないのだ。

よく「政治について考えましょう」とか「SDGsとはこう言うものですよ」と言ったコンテンツを目にするが、
はっきりいって正攻法で塗り固められた“疲れそうなもの”を、会社の行き帰りや1日の終わりに真剣に見られるほど、体力は余っていない。
疲弊する毎日を過ごしている現代人には、もう余力はない。
もう余力がないから、無関心を選ぶしかないのだ。
ただでさえ日々様々なストレスに晒されるのに、これ以上自分をストレスに晒して何になるのだろう。

自分の割いたエネルギーやリソースが、無力に終わることが多いのも、大きな問題に対する無関心を促しているともいえよう。
どれだけ怒りに震えてもオリンピックは開催されるし、どれだけ投票率アップを訴えても憎いアイツは当選している。
こういう徒労感の繰り返しが、人々から関心を奪っていく。

ウケるコンテンツも、取捨選択ができるもの、さらには自分で見たい場面をコントロールできるものにシフトしつつある現代において、「無関心」は本当に罪なのだろうか?
むしろ大きな問題の提起のやり方も、きっと時代に合わせて変化していくべきなのだろう。
極力負担をかけず、極力ストレスのないやり方で。



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